目的地と、乗り物酔い
馬車に揺られながら、ゆったりとした時間を過ごす。この世界の風景は、とてものどかだ。前の世界ではド田舎でしか感じられなかった美味しい空気とやらを、どこにいても吸う事が出来る。
「すー……はー……」
私は荷馬車の後方から身を乗り出し、空気を吸って吐いて、深呼吸。
そうすると、少しは酔いがマシになる。
「大丈夫ですか、シズ……」
リズが背中を優しくさすってくれて、更にマシになる。
けど気持ちが悪い。馬車は未だに走り続けている訳で、激しく揺れて私の酔いを刺激し続けている。
「おっ、ぷっ」
ガタリと揺れて、その瞬間胃からこみあげてきた物が口から出てきそうになった。けど、ギリギリで踏ん張った。
「あっはっは!馬車酔いなら、飲んだら治るよ!飲みな!」
荷馬車で酒瓶を片手に、一人で飲み会を開いている村長さんが、大きな声で乗り物酔いに苦しむ私に向けて言ってきた。
そう。私は現在、絶賛乗り物酔い中だ。
激しく揺れる馬車に、ほんの数時間ほど走らせた所でやられてしまった。だってこの世界の道、全然舗装されてないんだもの。揺れに揺られる事によって私の三半規管が悲鳴を上げる事となった。更には一人で飲み会を始めた村長さんの、お酒の臭いにもやられている。その強烈なアルコール臭は私の気持ち悪さを助長するのに役立っている。
加えて大きな声で喋り、そんなの今飲んだら絶対に吐く物を勧めてくるんだから、タチが悪い。
「……風の妖精よ。我が友に癒しの囁きをあげてください。ウルティーネ」
リズが私の手を握ると、その手から暖かい何かが流れ込んできた。
それに続いてリズが詠唱して魔法を発動させると、少し身体が楽になった気がする。気持ち悪いは気持ち悪いんだけど、先程のように吐く寸前という感じではない。
「い、今の、魔法、ですか……?」
「はい。妖精さんにお願いして、シズに癒しの魔法を使用しました。少しは楽になりましたか?」
「は、はい。だいぶマシ、です」
「良かったです」
魔法もだけど、リズって凄いな、こうして元気づけながら笑顔を見せてくれるだけで私を元気にしてくれるのに、魔法も加わる事で本当に楽になった。
「あっはっは!ならもっと飛ばしな、カークス!」
酒瓶を振り上げながら、村長さんがそう叫んだ。少し構えたけど、馬車は速くならない。
「飛ばさないのか、おっさん?」
「やめといてやれ。魔族の嬢ちゃんがかわいそうだろうが」
御者席に座るウォーレンと、おじさんの会話が聞こえて来た。
おじさんは、男なのに少し優しい。そして少し気も使える。良い人なんだなと、なんとなる分かる。前の世界では、そんな風に思える男は私の周りに一人もいなかった。
でも男なので減点100点だ。
「それにしてもよー。どうしてラーデシュなんかに行くんだ?」
ウォーレンが皆に聞こえる声で、主に村長さんに向けて尋ねた。
私達の目的地は、『ラーデシュ』という町だ。村長さんは、そこに向かって馬車を走らせるようにおじさんとウォーレンに命じ、馬車は走っている。
「だな。そろそろ聞かせてもらいたいもんだ。オレ達はただ、村長にラーデシュに行くと言われて付いてきてるだけだからな」
「だってよ!聞かせてくれよ、村長!」
「ぷはぁ……。あそこには、ガランド・ムーンがいるんだよ」
村長さんがお酒を一口飲んで大きく息を吐きながら、呟くように言った。
その瞬間、馬車が止まった。
「どした、おっさん?」
「が、ガランド・ムーンって……あのガランド・ムーン!?何故そんな連中が居る所に!?」
「大きな声を出すんじゃないよ。酔ってるシズがかわいそうだろうが。馬車も止めるんじゃないよ」
「し、しかしだな、村長。ガランド・ムーンだぞ!?あの、ガランド・ムーンだぞ!?」
「なんだ、そのガランド・ムーンってのは」
私とウォーレンは、それが何なのか分からない。ウォーレンはその言葉に首を傾げ、おじさんの反応を不思議がっている。私もそうだ。
そして何より、村長さんの発言が気になった。酔う私に構わず大きな声を出しまくっていた村長さんこそ、注意されるべきだ。おじさんの声なんて可愛い方である。
「ガランド・ムーンとは、多種族が集まった組織の名です。確か組織のリーダーはエルフの種族長で、種族長を中心として魔族や獣人族が集っているとか……」
そう説明してくれたのは、リズだ。リズはその組織の事を知っているらしい。
「そうだよ。エルフどころか、魔族や獣人族が集まったヤバイ組織だ。人間が奴らに無暗に近づけば、容赦なく殺されるって噂だぜ!?」
「そんなのはただの噂だよ。エルフも魔族も獣人族も、人間に対して良い態度はとらないだろうけど、殺したりはしないよ。奴らは各地で災厄の欠片に支配された地を、魔物どもから取り返す活動をしている。今その活動をラーデシュでしてるのさ」
「そ、そんな話聞いたことがないですよ。そもそも相手がエルフや魔族ってだけでヤバイんだって」
「偏見だねぇ。だからアンタはいつまでもカークス坊やなんだよ」
「……」
そう言われても、おじさんは不安げだ。顔を強張らせ、とても嫌そうな顔をしている。
そんなおじさんが、私の方をチラっと見て来た。そういえば、私も魔族という事になっているんだっけ。とすれば、私っておじさんに嫌われているのだろうか。私は男にしてはおじさんの事は割とマシな方に思っていたけど、どうやら向こうは違ったらしい。そういえば、初めて会った時睨まれたっけ。別に気にしないけど。
それよりも、この世界にエルフっているんだ。私の知っている通りなら、エルフとは金髪で耳の長い美しい種族の事をさす。魔族って言うのは、私みたいに角が生えた人の事だろう。獣人族っていうのは、やはりネコミミと尻尾がはえた種族なのだろうか。想像がはかどる。
ちなみに私の想像に登場するのは、どれも可愛い女の子である。
「ガランド・ムーンの活動の終点は、災厄の討伐だ。災厄の討伐は、人族のみならずこの世界全種族の夢だ。夢を同じくしてから、種族間の戦争はなくなった」
「それは国家間レベルの話だ!大体にして条約はどうなってるんだよ!ラーデシュは人族の領地だぞ!?」
「なんだ、条約って」
「お前、知らないのか……?」
私と同じように会話についていけていないウォーレンが、頭を掻きながら興味なさげに尋ねた。
それを聞いて、おじさんが呆れ返っている。村長さんも、ため息を吐いて呆れているようだ。
「魔族やエルフ達と人族は、災厄がこの世界に登場して間もなく不可侵の条約を結んだ。これにより、黒王族がいなくなった世界の、次の覇権争いは終わる事になった。条約の内容は、互いの領地に許可なく足を踏み入れた種族の者は、その領地の所有者の奴隷とする権利を得る。災厄によって互いに戦ってる場合ではなくなって結ばれた、協力はしないけどせめて互いに消費はしないようにしようっていう、偽物の平和条約さ。別の種族の領地に足を踏み入れて、突然奴隷にされたくなかったら覚えときな!」
「……」
あ……だから私は、お城に辿り着いてすぐに檻の中に入れられたのか。何もしてないのに檻の中にいれるなんて酷いと思っていたけど、納得がいった。
私は別の種族の領地に足を踏み入れ、突然奴隷にされてしまった愚か者っていう訳だ。笑うしかない。
「だからガランド・ムーンがラーデシュにいる時点で、条約違反なんだよ。条約を気にしてない時点で、ヤバイ連中確定だ!」
「災厄の欠片に支配された地は、もはや人族の地とは言えないだろう。それに条約ももう形骸化してきている。どの種族も、もう戦争するだけの力は残っていない。一人や二人だけ相手にするならまだしも、ガランド・ムーンみたいな組織が領地に入って来たって、誰も条約違反だと指摘して攻撃しようなんて思わないよ」
「そ、そうかもしれないが……」
「分かったらさっさと馬車を発進させな」
「け、けどな、村長……!」
「ごちゃごちゃ言うんじゃないよ!さっさと発進させないと、あんたのその頭に生えた毛を全部引っこ抜くよ!」
「……」
村長さんの恐ろしい脅迫を受けて、おじさんは渋々と言った様子で馬車を発進させた。
馬車の速度は、先程よりも遅い気がする。遅いおかげで、やや揺れも少ない。けどそれは私に気を使っての事ではないだろう。