夢の中で痛みを感じないというのは嘘
「──っ!はぁ、はぁ!」
気付くと私は、地面に横たわっていた。それまで息をとめていたのか、意識を取り戻した私は思いきり息を吸い込んで飛び起きる。
とても息苦しい。涙が出て、涎も出て来る。どんだけ息を止めていたのだと言う話だ。やがて息が落ち着くと、ようやく周囲を視る余裕が出来た。
「おお……!おおお!本当に、本当に成功した……!リズは嘘など言っていなかった!本当に、本当に成功した!やはりアイツは、天才だ!」
「ひっ!?」
周囲を見渡すと、そこに男の人がいた。茶髪の40代くらいのおじさんで、顔立ちは西洋人っぽい。
勿論知らない人で、でも何故かこちらを見て手を広げて凄く喜んでいる。それを見て驚いた私は後ずさって彼と距離を取ろうとする。
その際に気づいたんだけど、私素っ裸だ。服を一切身に纏っていない状態で、しかも三つ編みに結んでいたはずの髪の毛が解かれている。眼鏡もない。
必死に手を使って大事な所を隠すけど、おじさんはそんな事に構わずズカズカとこちらに歩み寄って来る。
かつて、男に襲われそうになった時の事がフラッシュバックする。
かつての出来事は私に少なからずのトラウマを植え付けており、このあまりに無力で無防備な状態で男に近づかれるという恐怖が、私の身体を動けなくした。
男は、嫌いだ。どこを見ているのかハッキリと分かる視線。ギラついた目。その存在の全てがやらしくて、欲望に満ちている。可愛げもない。あ、ちなみに男の娘はオッケー。アレは男と別物だから。
などと呑気な事を考えているけど、割と普通に、凄く嫌で泣きたいくらい私は追い詰められている。
迫り来る男。伸ばされる手。目を瞑ってどうにかしてくださいと、神に祈るしかない私。
グシャッ!
祈りが届いたのか、何かが潰れる音がした。何故か私に触れられない、男の手。恐る恐る目を開くと、そこには獣の手があった。鋭い爪の生えた、とても大きな毛むくじゃらの手だ。
その手の下に、男がいる。爪が身体に食い込み、身体を潰されて全身から血を出す男がだ。
「ひ、ひぃぃ!」
思わず悲鳴をあげてしまった。だって、目の前で人が死んだんだよ?物凄い量の血が溢れて、しかも潰されたせいで目玉が飛び出てしまっている。更には身体が爪で抉られていて、とてもではないがそれがほんの数秒前まで生きていたとは思えないような状態だ。
男に襲われる事は、それでなくなった。
しかし問題はまだある。更に恐る恐る視線を上げると、そこには牙を剥き出しにした獣の顔がある。
巨大な身体は、私を見下ろすのに十分すぎる高さがある。腕は大人の男3人分くらいの太さがあり、その腕によって私を襲おうとした男は潰された。一見すると巨大なゴリラのようだが、それよりも全体的に毛深い。そして剥き出しの牙と大きな鼻も、違う。
そんな化け物に、私は見下ろされている。そして殺気立った目で睨まれている。
巨大な腕が、振り上げられた。それは絶望的な行動だ。私は未だに上手く動く事が出来ない。男を潰したように、私も潰される。その腕と、爪によって。
「……」
結局私は、最期の時まで動く事が出来なかった。化け物の動きを目で追う事しかできず、ただその時を待つだけ。
そしてその時は、ほんの一瞬後にやって来た。私の頭に化け物の爪が食い込んだ。そしてそのまま振り下ろされ、地面と手とに挟まれ私の色々な臓器が潰される音がした。最初は熱く、燃えるような感覚。痛みはそれからやってきて、私はあまりの痛みに頭が沸騰して死にそうになる。
いや。実際死ぬのか。こんな状態で生きていられるはずがない。今の私は、先程目の前で潰された男と同じ状態のはず。
私は自分の身に何が起きたのか分からい内に、死んでしまうのであった。
……。
いや、死んでいない。何故か生きている。本当に、泣きたくなる程痛いけど確かに意識がある。おかしい。もしかして手心でも加えられたのか?
手が私の上からゆっくりとどいた。見上げればやっぱり化け物がいて、私を見下ろしている。私が生きている事に気づいたのか、あげられた手が再び振り下ろされた。また潰れる。でも生きている。それが気に入らないのか、また振り下ろされる。でも生きている。
私の身体はぐちゃぐちゃだ。何故生きているのか、自分でも分からない。私を殺そうとする化け物も、私が死なない事が不思議でたまらないと言った様子で、とにかく拳をあげては振り下ろし手を狂ったように繰り返す。
何故私がこんな目に合わなければいけない。私が何をしたというのだ。
痛みが段々と怒りに変わって来た。怒りはやがて爆発し、振り下ろされる拳に向かって私も拳を繰り出して迎え撃つ。私の腕は、化け物の腕と比べてあまりにも細い。普通は比べるまでもなく、私の腕が折れて潰される。でも何故か負けたのは化け物の腕だった。
『グガアアアアアアアァァァァ!』
私が繰り出した拳により、化け物の太い腕が吹き飛んで破裂した。衝撃は腕の付け根の肩にまで伝わり、肩が吹き飛んだ事により化け物が悲鳴をあげる。
怒っている私は素早く立ち上がると、化け物の前に立って化け物を睨みつける。と、化け物の巨体が震えだした。
今更震えた所で、私はもう許すつもりはない。
「……」
ゆっくりと、化け物に向かって歩み寄る。化け物は依然として動かない。まるで先程、男に襲われそうになって恐怖で動けなくなった私のように、私の動きを見つめるだけ。
私は化け物の前で地を蹴ってジャンプすると、化け物の顔面に向かって蹴りを繰り出した。その蹴りにより、化け物の顔面が吹き飛んだ。ただ蹴っただけなのに、化け物の脆い身体はいとも簡単に破壊されてしまう。
『ガルルル……』
よく見れば、周りにまだ化け物がたくさんいるではないか。
皆が殺気だった目で私を見て、私を殺そうとしている事が伝わって来る。
この化け物たちが一体なんなのか、私には分からない。そもそもここはどこなのだ。木々に囲まれたひらけた広場。その広場の真ん中に私はいる。よく見れば地面に怪しげな紋章が描かれており、私はその紋章の中心部分にいたようだ。
すぐ傍には立派なお屋敷が建っているけど、その建物は半壊していてあちこちに風穴が開いている。建物の作りは、洋風。勿論見た事もない建物だ。そして私はなぜ裸なんだ。そもそも巨大な化け物を殴り殺せるとか、どういう事なんだ。分からない事だらけで頭が痛くなってきた。
そんな私に化け物が襲い掛かってきて、頭から私を丸のみにして口を閉じ、砕こうとしてきた。のだけど、牙が少し食い込んだところで顎を掴んで噛みちぎろうとしたのをやめさせる。それだけにはとどまらず、顎をそのまま押し返していくと、上顎と下顎が逆側にそるまで広げてあげた。その際に骨が折れたような大きな音が響き、化け物の体から力が抜けてその場に倒れこんだ。
牙が食い込んだところが、すごく痛い。あふれ出る血の量はとうに致死量を超えている気がする。
分かった。コレは夢だ。夢なんだ。よく夢は痛みを感じないというけど、あれは嘘だ。凄く痛い。
「はは。あははははは!」
痛すぎて笑わずにはいられない。怖い時に歌を歌うと気が紛れるというけど、私の場合は自然と笑いがこみあげてこの痛みと恐怖を紛らわすことにした。
そして他の化け物たちを睨みつける。この夢の中で、私は巨大なゴリラのような化け物たちを素手で殴り殺せる程の力を持っている。どれだけ傷つけられても死ぬ事もないようだし、負ける要素がどこにもない。
襲ってきたコイツ達が悪いのだ。せめて苦しまないように一撃で殺してあげよう。
寛容な心をもって、私は地を蹴って化け物の顔面に向かってジャンプした。そして繰り出された拳により、化け物の顔面は跡形もなく吹き飛んだ。
他の化け物達も、素手でとんどん倒していく。どれだけ数がいようと関係ない。私は傷だらけの身体を引きずることもなく、笑いながらその場にいた全ての敵に襲い掛かるのだった。