今すべき事
たぶんこの窓のない部屋で話し合いが行われたのは、誰かに外から見られないようにするためだ。しかし鐘の音に加え扉の隙間から入り込む光を見て、青ざめていたリズリーシャさんが出現した通路の逆に向かって駆け出した。そして部屋を飛び出てしまった。
メルリーシャさんもそれに続いたので、私は取り残される事になってしまう。それが寂しくて慌てて2人を追いかけた。
部屋を飛び出すと、リズリーシャさんとメルリーシャさんが窓の外を眺めていた。その窓から不思議な光が差し込んでいて、それが扉の隙間から入り込んでいたようだ。
私も2人に並んで窓の外を見ると、外には天に向かって伸びる一筋の光があった。
天にぶつかった光は、空を侵食して空を自らの光で覆う。空を侵食する光は枝分かれになり、まるで光の柱から生える枝のようだ。枝状の光によって町は照らされ、そのせいで外は昼間のように明るくなっている。光の色は、白と黄色の中間くらい。所によっては黒や紫の光も見える。
とても幻想的な光景だけど、私はその光を見て不気味に感じた。
その光の源はここからではよく見えない。でもたぶん町の外で、その光の柱は出来ている気がする。
「──キャアアアアァァ!」
窓の外から、パニックに陥った女性の叫び声が聞こえてくる。
よく見れば、もう夜中だというのに住民達が一斉に家を飛び出し、どこかへと向かって走り出している。それも、ただならぬ様子でだ。
「母上!こうなったら母上も一緒に行きましょう!」
「……なんて恐ろしい光景。身体が、震える」
メルリーシャさんは窓の外の光に目を奪われ、呆然としている。リズリーシャさんの問いかけに答える事もなく、震える身体を自分の腕で軽く抱きしめ、視線は外の光に向き続ける。
その様子は光に意識を奪わてしまったかのようだ。
「母上、しっかりしてください!『災厄の殺戮』が始まる前にここから逃げるのです!母上!」
リズリーシャさんがメルリーシャさんの身体を激しく揺さぶり、視線を強制的に外から自分に移させた。
そのおかげでメルリーシャさんが正気を取り戻し、リズリーシャさんを抱きしめる。
「……リズ。そうですね。諦めるのはまだ早い。ウルエラ!」
「奥様!」
そこへ丁度、名前を呼ばれたウルエラさんが慌てた様子でやって来た。
「屋敷を出ます!何も持つ必要はありません!今すぐに、全力でこの町から出るのです!」
「はっ!皆今すぐ玄関前に集まれ!何も持つな!身軽なまま逃げるんだ!」
ウルエラさんがメルリーシャさんの指示を大きな声で繰り返して屋敷の皆に伝えながら、また去っていった。
そんな中で、私だけが取り残されている。この状況が全く理解できていない私は、慌てようがない。心の準備もしようがない。この空気から察するに、逃げなければいけないというのはなんとなく分かる。でもそれだけ。
そろそろ誰か説明してくれてもいいいんだよ。皆に置いて行かれているこの私にさ。
そこへ一際大きな叫び声と、大きな衝撃音が外から聞こえてきた。何事かと外を見ると、無数の見た事のない化け物が空から降り注いで周囲の道や建物に落下。落下の衝撃などもろともせず、すぐに立ち上がって人々を襲い始めた。
その化け物は、ゴリラのような化け物とは違う。細長いひし形の殻のような物にこもり、殻がぱっかりと開くと中から無数の触手と大きく開いた口のある化け物が出てきた。蠢く無数の触手はなにやら液体をバラまきながらテカっており非常に気持ちが悪く、口の中はトゲがびっしりと敷き詰められている。見る人が見たら、その気持ち悪さに卒倒するだろう。しかもデカくて、普通の家一軒分くらいの大きさがある。
そんな物が無数に町に降り注ぎ、人を襲い始めているんだからパニックにもなる。
人々はその化け物の触手に掴まれ、引きちぎられ、口の中に放り込まれたり、はたまた触手で殴り殺されたり、踏みつぶされたりしている。一方的な、虐殺だ。
「これでは逃げられない……!」
「抜け道を使って外へ逃げては……」
「無理です。抜け道が繋がるのは大通り……。この様子では通りは人で溢れかえり、身動きが出来なくなってしまうでしょう」
リズリーシャさんも、最初からその提案には無理があると分かっていたのだろう。あまり乗り気ではない様子で提案し、否定されると最初から分かっていたかのように項垂れた。
今何がおきていて、これから何がおきようとしているのか、私には分からない。でも今私がすべき事は、たぶんこの屋敷に迫り来るあの化け物を倒す事だ。
「シズ?」
「アレを倒します」
私は窓を開け放つと、窓から飛び降りてお屋敷の玄関前へと降り立った。この高さから飛び降りても、今の私には特段ダメージはない。痛みもない。
この強さは、黒王族の血を受け継いだおかげだった。元の私は何の能力ももたないただの人間だったので、この血のおかげでここまで生き延びてこれたと言っても過言ではない。ホント、ただ普通に召喚されただけではなくて助かった。
「シズさん!何をするつもりだ!?」
玄関前に集合していたメイドさんや、ウルエラさんの視線が背中に突き刺さる。皆逃げる準備が完了しているようだけど、こちらに向かって突進してくる化け物に道を塞がれ、家から出るに出られなくなっている所だ。
私はそんな皆に背を向けたまま、化け物に向かってこちらからも突進を開始する。
『ピイイィィィ』
化け物の鳴き声は、まるでリコーダーの音色のようだ。
私、リコーダーってあんまり好きじゃないんだよね。小学生の頃、あまり上手く吹けなかったから。吹きかける息の加減が微妙で、穴も少しでも塞いでいなければ意図しない音になるし、イライラした。
その音の発生源である化け物の走り方は、少し気持ちが悪い。パッカリと割れた殻の中から出現した触手が、地面を踏み荒らして足跡を作りながらこちらに向かってくる。
そんな化け物に立ち向かおうとする私は、あまりにも小さい。感覚で言えば、走り迫るデコトラに真正面から走って立ち向かっている感じ。
「すぅ……」
黒王族の力がなければ、私が跳ね飛ばされて死んで終わる。でも今の私には黒王族の力が宿っているのだよ。残念だったね。
正面から突っ込んでくる化け物に対し、私は走りながらその勢いを拳にのせ、突き出した。突き出された拳により、風が巻き起こった。風は一瞬にして通り過ぎていき、空気が震えて大地を一瞬だけ揺らす。
私の拳の直撃を受けた化け物は、まるでそこを超高出力のビームでも通り抜けたかのように、ポッカリと穴をあけて地面に倒れた。残ったのは走るのに使っていた蠢く触手くらいで、殻や口などは跡形もなくなっている。
とまぁ、今の私にはこれくらいの事が軽く出来てしまう。あのゴリラ型の化け物を倒した時の経験があるので、これくらいの敵ならいくらでも倒してあげられる。だから、皆もうちょっと落ち着こう。
「油断するな、シズさん!そいつの触手は危険だ!」
倒したと思った。けど違う。敵を倒して油断していた私は、いつの間にか触手に囲まれていた。
ウルエラさんの声でそれに気づいたけど、遅い。
「っ!」
触手が、私の腕に足に、首に顔面に巻き付いてきた。先程倒した化け物の、残った一部の触手達だ。その触手には小さなトゲでもついているのだろう。巻き付いた場所に針が刺さった感じがして、しかも熱くて火傷でもしたような感覚に襲われる。
子供の頃にクラゲに刺されたことがあるけど、その時と似ている。でもそれとは比べ物にならないくらい、熱く痛い。オマケに締め付けが凄く強力だ。私を殺そうという明確な殺意を感じるその締め付けにより、骨が悲鳴をあげる。あと息も苦しい。
でもその締め付けをもろともせず、私は腕を動かして腕に巻き付いた触手を掴み、握りつぶした。その後、足に巻き付いている触手も、顔面に巻き付いた触手も、握りつぶして引きはがす。遅れて私に襲い掛かろうとしていた触手に対しては、拳や蹴りを繰り出して跡形もなく吹き飛ばした。
「いてて……」
触手が巻き付いていた場所が、火傷でもおったかのように赤く染まり、皮膚が溶けている。強力な毒でもくらったみたいだ。
けど安心してほしい。服は無事だ。やられたのは私の肌だけで、痛いけどその内再生して元通りになるはず。一方で服はやられたら取り返しがつかないからね。せっかくもらったばかりの服を、こんな短期間で失う訳にはいかない。
「シズさん、大丈夫か!?」
そこへ慌てた様子のウルエラさんが駆け付けて、私の腕を掴んできた。そして食いつくように私の火傷跡を見始める。
「あれはティタボルグと呼ばれる魔物で、触手には毒がある危険な生物で……その毒は対象の皮膚を溶かし、身体の中に浸透し、やがて全身の臓器をとかしてしまうんだ!今すぐに治療をしないと、貴女は死んでしまう!」
「あ、たぶん、大丈夫、です」
私の経験上、死ぬ事はない。黒王族としての能力で、これくらいの傷やら毒はどうってことないはず。ただ、痛いのはちょっと嫌だな。実際今も熱くて痛い。
「大丈夫な訳……!いや、黒王族なら大丈夫、なのか?本当に?」
確認するように尋ねられ、頷いて答える。
そこへ空から屋敷の庭に殻が降り注いだ。1つ、2つ、3つ……庭と、家の裏側にも落ちたようだ。降り注いだ殻は地面に突き刺さると、殻を割いてたくさんの触手が出てきた。
先程私が倒した魔物とやらと同じタイプの化け物だ。ティタボルグってウルエラさんは呼んでいたっけ。
「……どうやら、ここから逃げるのは厳しそうだな。ならばせめて、最期の時まで皆を守ろう。私が守るべき者達には指一本触れさせない」
静かに剣を抜き、構えるウルエラさんの姿は勇ましく、格好が良い。
そして駆け出した彼女は一瞬にして空から降り注いだ化け物との距離を詰め、斬りかかった。その剣の切れ味はすさまじく、しかもとても速い。襲い来る触手を一瞬にして細切れにし、その上で本体にも斬りかかって傷を作る。
全ての動作が速く、美しく、無駄がない。
私はただ単に拳やら蹴りやらで戦う事しか出来ないので、その姿を見て少し羨ましく思った。だって、本当にカッコイイ姿だから。