おとぎ話
私は一人だ。生まれた時からずっと。
育てる責任のある人達の顔も知らない。記憶もない。
本当の名も、生まれた日も知らない。
言い換えればそれは自由だ。道を勝手に決める人はいない。好きに生きられる。
───心から叱ってくれる人も、心から褒めてくれる人も、私にはいない。
毎朝目覚めて見えるこの景色も、そろそろ見飽きた。一つしか知らないのに。
制服に着替えて、朝食を済ます。周りにいる子はみんな年下の子供たち。
それなりに会話のあるこの時間。いつまでここにいるんだと思われていそうな私は誰とも会話をせず、一人そそくさと部屋を出る。諸々の身支度を済ませ、鞄を持てば学校へ行く合図。
「ゆずちゃん、もう行くの?」
部活に入っているわけでもないのに早く出る私を不思議そうに見つめるその人は、私を拾ってくれた人。……と言っても、生まれてすぐの私は、この施設の前に捨てられていたそうで。それを最初に見つけたのがこの人。
靴を履いて、ドアの前まで行く。少し開けて言うそれは
「行ってきます」
いつまでも言い慣れない言葉だ。
今日も何事もなく一日は過ぎていゆく。学校へ行く道も変わらなければ、帰り道も変わらない。
何の変哲もない、平和な日常。今日もまた、施設に帰って軽く勉強をして。夕飯を食べてお風呂に入って寝る。毎日それの繰り返し…の、はず………。
たとえばそう、突然知らない人がやってきて、手を差し伸べてこう言う。
白馬に乗った王子様みたいに。
『お姫さん、俺のそばにおいで?』
そんな夢物語みたいなことは、現実として起きるわけもない。……はずなのに、目の前にいるその人は私をまっすぐに見つめる。キャラメル色の髪を風で揺らし、夕日に照らされた瞳は髪より少し明るく、透明感のある綺麗な茶色。おとぎ話なんて目じゃないくらいキレイなその人は
「お姫さん、俺のそばにおいで?」
微笑みながら手を差し伸べる。
どうやらこれは、夢物語ではないらしい。
この人の手を取れば、何かが変わるだろうか。
何かが──変わっても変わらなくてもここの生活から抜け出せるなら。私は――――。
この人の手を取った。後ろから私を呼ぶ声がした。何度も、私を心配する声が。それでも私は振り返ることなく車に乗った。
何か嫌なことがあったわけでもされたわけでもない。ただ、どれほど名前を呼ばれようとそれは私の本当の名ではなくて、今もずっと感じている空っぽの心は、ここでは満たされない。ここに、私の居場所は無いのだから。