勉強を教わりに
少しずつ近付いている期末試験というものに関係なく、やって来る時はやって来るものだ。
いつものように幼馴染のあの彼女はやはりクラスの底辺女子で過ごしている。
こちらを一切見ようとしない。
何より気にしてない。
浮かれた心など一切なく、休みがちな眼鏡女子の友人と細々と楽しくやってそうで、離れた所から机に突っ伏した感じでチラ見する大樹としては全然楽しくない。
「何だ~? また拗ねてるのか?」
「うっさ……」
小さく答えた大樹に南雲はニヤニヤと笑いながら、その席の近くに座ると言った。
「お前さ……」
「何だよ?」
「いやね、あの女子生徒がお前のことを――と思うとね」
どいつだ?! と心の中はウズウズとしたが、大樹はそれを表に出さず言われるのを待つことにした。
鈴じゃない事は分かる。
こういう感じで伝わるように彼女はしないからだ。
「お? 興味ない? 俺はドキッとしたけどね」
「何でだよ?」
「だってさ、あの阿土が、お前より成績上を目指して上手く行ったら、もっと日村くんと仲良くなりたいわ! って言ったらしいのよ」
「ほーぅ、それはどこからの出所だ?」
「知らんけど。テンション低いな……。クラスの外では結構な噂よ、これ。ほら、阿土ってさ、うちのクラスに居る女子で一番の美人で優等生じゃん。女版お前みたいな? でも、お前ほど好かれてるわけじゃないからな。冷静っていうか、目的の為には手段を選ばないというか、無駄な事はしないっていうか……」
南雲はよく見ている。
クラスの事などほとんど内心では関心のない大樹は放っておきたい案件だった。
これが鈴の耳に入ったらどうしてくれるんだ? そもそも鈴は知った所で関係ないと今まで通りだと思うが。
やっとここまで来たのに――。
そんな大樹の裏腹を知らずに南雲は喋る。
「でもさ、これで金子と風谷……そして阿土。やっぱり、お前、モテてんな?」
「うっさい」
それは鈴にも言われた事で、もう誰もが認める事なのか?
俺はそれよりもあの幼馴染と仲良くしたいんだ! と思って、そちらを見ればもう居ない。
まったく、くだらん話に付き合うんじゃなかったと思えば今度はその金子唯千花がやって来た。
見るからに明るいギャルで今日も化粧バッチリ、可愛くしている。
校則がなかったら絶対に金髪にしているだろうに、辛うじて目立たない茶髪という出で立ちはきっと自分の母親が求めるものではないと感じながら、それに臆さず大樹は普通を装って言う。
「どうした?」
「ねえ、ダイダイ。どうしてこの問題解けないんだと思う?」
「それはな――」
どうしてカースト上位のギャル風な彼女には勉強を教えられて、一番教えたい鈴には教えられないのか。
蓄積されて行く度に思う事だ。
ああ、鈴にもこんな風にして、仲良くしたい!
その思いはどんどん膨れ上がり、今ではこれ以上の事をしたくなるし、もっと分かりやすくするにはどうすれば良いのか? と教えながらもついつい考えてしまう。
全ては鈴の為にあり、鈴の為である。
ずっとそうだ、大樹の行動基準はいつも鈴次第。
判断基準も大樹の母親の影響か、鈴だったら――が先に来てしまう。
それを本人に言ったら、嫌がるだろうし。大ちゃんは大ちゃんなんだから、ちゃんと自分を持って行動して! と、自分の事は棚に上げて言うだろう。
だからこそ、大樹は言えなかった。
勉強を一緒にしたい! それは変な事ではない。やましい事もないだろう。
だけど言えなかった。
何故か、それは彼女の足かせになるように思えて、避ける事になっていた。
だが、日頃の鈴の行動のせいか、その日の大樹は唯千花のように図々しかった。
「鈴」
「何?」
それから数日後の放課後、もうこの家に居るのは当たり前のようになっていて、どちらの家だとかも言わなくなった頃、大樹は何の事はないようにさらっと言った。
「勉強をしないか?」
「え?」
驚くのも無理はないというように大樹は続ける。
「自分の成績、どうとか思わない?」
「何で大ちゃんがそんなこと言うの?」
少しは冷静になったらしい鈴は大樹に臆さず言う。
「自分が赤点にならなきゃ良いっていう考え方も良いけど、もうちょっと上を目指してみるとか」
「それって阿土さんじゃない?」
「知ってたか……」
思わず口から出てしまった事に鈴はニヤニヤした。
「何だよ」
「いや、大ちゃん知ってるんだな~と思って」
この笑い、どこかで――南雲のような笑い方に少しカチンと来る。
「別に阿土が勉強出来て、俺より上に行ったとしてもそれは関係ないから。今と同じだ」
「どうだか……」
ニヤニヤ笑いは終わらない。
「鈴はそれを嫌に思わないんだな?」
「嫌っていうか……」
ごにょごにょとなって、鈴の思いは聞こえない。
「金子ですら勉強を教わりに来るんだぞ?」
「それは大ちゃんに会いたいからでしょ。そんで、上手く行けば仲良くなれるかもっていう心理もあって」
「それじゃ、阿土と一緒じゃん」
「そうだね、でも、皆そうだろうね」
鈴はどうなんだ? と思う。
「鈴は? って言いそうだね、その顔を見ると」
鈴は大樹の事を分かったように言う。
「私はね、このままで良いよ。親も私と同じでそんなにできなくても赤点だけは取らないで! 主義だから」
「主義って……」
「それに大ちゃんと勉強したら、成績上がりまくって、大学も一緒とかになりそうだから、このままで良いの!」
「それって」
俺を避けてるのか? と言いたい。
「あ、でも、それになるにはムリか……。そこまでになれたらすごいけど」
そう言うと鈴は冗談であるかのようにどちらの親も居ない家でのびのびと過ごし始めた。
「そういう時間を勉強に使えば良いのに」
「何言ってるの?! 勉強はしないんじゃなくてやらないんだよ」
「同じ意味だろ」
「ま、そうだけど。そういえば、風谷さんも勉強を日村に教われば赤点免れるかも! って言ってた」
「あいつのは無理だろう。運動バカだから」
「そんな事言わないで、教えてあげてよ!」
何で鈴が――。
「俺はお前を教えたいんだよ!」
「何で?」
「え……いや……」
勢いで言ってしまって、大樹は困ってしまった。それを鈴は見逃してくれなかった。
「そうやって、黙っちゃって。カッコイイ自分とやらを曝け出すつもりですか?」
ちょんといつの間にか鈴は大樹のおでこを人差し指で軽く弾いた。
「な?!」
「何、驚いてるの? 大ちゃん」
「だって?!」
「あれ? もしかして、大ちゃんって……」
「何だよ?!」
くすっと笑われた。
「ま、その方が私は良いけど」
何だ? この余裕ある感じの表情は。
女だって事を意識させられるような鈴のこんな行動はとても初めてで、グッと来るものがある。
「鈴……」
「何、大ちゃん? 着替えて来る? 部活帰りだもんね、私なんて今日もバイトな夕渚のおばさんから連絡来て、雨降りそうだから大樹より先に帰るだろう鈴ちゃんにお願い! 洗濯物取り込んどいて! 鍵はいつもの所だから! っていうので、今日は日村家にお邪魔してるわけだけど」
「それで、私服姿というか、もうお風呂も入り終わった感じで人の家のソファでごろごろとリラックスしてるわけか」
「いや、これは……お礼に何かくれるって言うから待ってるだけで」
「母さんにね……」
「ちゃんと一回家に帰って、自分の家のお風呂入ったもん! 大ちゃん家のお風呂には入ってないよ? この服だってちゃんとしたお外で歩いても平気のだもん!」
「そういう意味じゃないんだよ」
「え? じゃあ、何でそんなわなわなしそうなの?」
「……」
大樹はもう限界だった。
「この問題解けるか?」
「はい?」
さっと問題集をカバンから出して、自分でも解けなさそうな問題を鈴に解かすというのをついついやってしまった。
いつだったか鈴が言ってた言葉が大樹の脳裏に浮かんだが、それをパッと消し去って、大樹は鈴を勉強の世界へと連れ込んだ。