幼馴染が作る料理の味
結局、それ以上の事はあの後起こらなかったが、鈴の連絡先を手に入れることに成功し、その後二人だけの時に限り、鈴は『大ちゃん』と普通に呼んでくれるようになった。
それなのに翌日以降も学校に居る時は絶対に『日村君』を崩さなかったし、クラスの底辺女子として振る舞い、また家に帰ると生まれた時からの幼馴染として『大ちゃん』と呼んでくれる。
だがこれは――。
「おかしくなりそう……とかはないのか?」
「どういう意味?」
「いや、何でも」
ころころ呼び方が変わるというのも落ち着かない。
慣れれば良いのだろうかとも思い、それ以上言わないようにして私服姿を久しぶりに見せた鈴が今日、この日村家へと来た理由を制服姿の大樹は聞くことにした。
「こんな夜遅くに何か用があったのか? 約束してたとか?」
「ううん。夕渚のおばさんはまだだよね?」
「ああ、今日もバイト」
「だよね~、分かってたんだ。分かってたんだけど、このくらいなら居るかな~って思って来たんだけど」
「何だよ?」
「おじさんも居ない?」
「ああ、残業だって」
「そうか……。うちの親もまだ帰ってない」
「じゃあ、一人かまた」
「お互い様ね」
「で? 出し渋りの理由は?」
「それはこの前、ロールキャベツをね、たくさん食べちゃったからそのお返しにこれ作って来たの」
鈴から渡されたのは小さめのタッパに入った里芋のそぼろ煮だった。
「まだ温かい……」
「うん、大ちゃん好きなやつでしょ?」
「うん……」
こういう時、通貫させられる。
ああ、幼馴染だと。誰よりもよく俺の事を知っている。
けど埋められてない時間もあるし、彼女はやはり……。
「鈴が作ったやつか?」
「うん。今晩の我が家のおかずのおすそ分け」
「そっか、ありがとう」
ついでにしかくれないのは分かっていた。
純粋に俺だけの為に作った物は食べたことがない。
ぬか喜びもさせてくれない。
それなのに彼女は幼馴染以上に親しい関係を求めていないのは分かるが、こちらはそれを脱したいのだ。
それにはどうすれば良いか……クラスや学校の連中にするようにすれば良いと分かりながらも大樹は鈴にどうアプローチすれば良いか迷っていた。
それは鈴のこうなってしまった原因にあり、どうしても踏み込めない所だった。
「でも、大ちゃん、これよりもっと好きな物があるよね?」
「え?」
「茄子とかさ……違った?」
「違くないけど」
「最近じゃ、とろけるチーズも好きなんでしょ? あとお味噌汁とか」
「それは味噌が良いのであって、そもそも、そこにナスやネギが入るから……」
「分かった、分かった。そんなに熱弁しなくても良いよ」
食べて欲しいの……と言うように鈴はちゃっかりダイニングテーブルの所に行き、四人掛けの一つに着席した。
「少しだけだからね。大ちゃん、ご飯まだでしょう?」
「ああ……よく分かったな」
「分かるよ、まだ制服だもん。部活遅かったの?」
「いいや、ただ疲れて何となくそのままダラダラしてただけ」
「そっ。私も何か食べたいな~」
「それは俺に作れと?」
「いやいや、そんな。大ちゃんは学年一のモテ男だよ? そんな方の手作り料理とか食べちゃったら、皆に何て言われるか」
「それ、もうやめないか?」
「え?」
「その皆は絶対この事を知らないし、鈴が作るご飯が美味しいってことも知らないし、その味がうちの母さんが作る料理の味とほとんど同じだってことも知らない」
「わわわ!? それは褒められてるの?」
「ああ、もっと言えば、鈴の顔はちゃんと可愛くて、隠されてるけど、その中はとてつもなく」
「わわわっ!」
何だよ……と鈴の顔を見れば、ふるふると震えていた。
「どうした?」
「大ちゃん! もうちょっとデリカシーってものを持った方が良いよ?! 学校では言わないくせに! どうしてそんな……」
「言おうとした事が分かるとはすごいな、さすが俺の幼馴染」
「ばかっ……」
それだけだった。
小さく呟くように言って終わった。
どうすれば良い? ――大樹は少し攻めてみることにした。
「そんなんになるの、鈴だけだから。いつも大人しくしてられないよ」
「どうして、クラスの女子にはもっと配慮してるじゃない! まさか、今日の服がいけないの?!」
悩み始めてしまった。
別にそうしてほしくて言ったわけではないが。
「気にする事はない」
「気にする! 男子だから? 男子だから気にするんですか?」
「違う。分かるからだ」
正直に言うな……この男は……という目で大樹は鈴に見られた。
「すみません、ちょっと手荒くして!」
「謝るくらいならしないで。そりゃあ、私だって意固地だと思うよ。でもね、無理なの。大ちゃんはもうすでに大物に目を付けられてる」
「大物?」
「そう、隣のクラスの女子の中でもかなり目立ってるギャル風の子って言えば分かる? それにクラスの中でも一匹狼なのに私や影嶋君と違って常に堂々としていて、クール美人な優等生の女子の鏡みたいな子に、大ちゃんが入学当初から苦手だ~って言ってた隣の隣のクラスのバスケやってる運動神経が良いボーイッシュな女の子! 他にもいるけど今はこれぐらいでしょ? それに私のような者は勝てないの!」
「どうして決め付ける?」
「だって、そうでしょ。それが普通」
「普通って何だよ? 俺には選ぶ権利がある。なら、振ってやる。それでお前を勝たせてやる」
「それはいらない。自分の力で何とかするから、こっちに手を出して来ないで」
「だから、嫌だったんだよ。だからずっと我慢してた。鈴がこういう事で喜ばないのは知ってたし、無理にするとすぐ逃げるから」
「だったら……」
「だから、俺は決めたんだ。カッコイイ自分を曝け出して、鈴を手に入れれば良いって。でも、鈴はどんどん遠くなる。どうすれば良い?」
「本人に聞かないで」
「本人に訊けば、こうなるだろ? だから、言えなかった。改善させるにはどうすれば良いかいつも考えてる」
「それって?」
「鈴がどうやったら、こっちに来るか考えて、考えて……いつも鈴の事ばかりだ。だから、他はどうでも良いようにそうなるように接していたら今のようになった。心ない方が俺は良いみたいだ。そんな俺を人は好きだと言う。俺の方がどうすれば良い? だ、違うか?」
苦笑したくなる。
鈴の事ばかりいつも考える母と同じで自分もそういう風にいつしかなっていた。
「鈴は? 俺とは反対に生きてる。そうだろ?」
「……」
答えはなかった。
もっと良いように言えるのに、何故だか鈴にはそれが通じず、素が出てしまう。我慢しようにも出来なくて、誰かが居れば自重されてそれをせずに済むけれど、そうなるには今日は人が居なかった。
「状況のせいにはしたくないけどさ、落ち着いてみれば、これは俺の問題で鈴の問題ではないのは分かるよ。鈴に気に入られたくてしてる事を鈴は受け入れてくれないけど、他の人達は受け入れてくれる。でも、俺はそれを鈴に受け入れてほしいんだ。だから、鈴を甘やかしたくなるし、鈴をどうにかしたいって思ってするけど、無理だなって痛感もする。どうしたら良いか、正直分からない。でも、鈴が一番なんだ、俺の中ではいつだって」
「どこが良いの? 私の」
それは少しだけ歩み寄ってくれた鈴の答えだったのかもしれない。
「分からない。どこが良いかなんてもう分からないくらいには鈴が好きだから、どうすれば良いのか何となくは分かるけど出来ないんだ」
「それが答えなら、私が素直に甘えるようになるまで待ってて。それまで他の人と心ない事がないようにしてれば良いよ」
「それは出来ない」
「何で?」
「嘘ではないけど、そうする為なら、俺は鈴の側でそうなるように待ってたいから」
「時間掛かるよ? 良いの?」
「良い」
「大学とか卒業する頃になるかもよ? それでも良いの?」
「良い。あ、でもやっぱりもうちょっと早めにお願いします」
「そう……。でも、高校はきっと無理。もう決まってしまったから」
そう言って鈴は大樹の目の前でクラスの底辺女子として言った。
「日村君はずっと私を見てれば良いよ。ずっと皆に嘘を吐いて良い人になって、騙していれば良い。きっと分かる時が来るから」
「それは鈴が元に戻る条件なの?」
「さあね。日村君がこの学校に入らなかったら、違ったかもしれない。何で第一志望落ちちゃったの?」
それは鈴にとっての一番の納得のいかない不思議な部分だった。
「だから言っただろ? 体調が悪くて本気が出せなかったって」
「でも、滑り止めならもっと良い学校が狙えたわけでしょ? 中学の時から大ちゃんは出来たから」
容赦ない。
こうなるとご立腹というか、鈴の冷たさが鋭くなるだけのような気がする。
「もし、高校も! とか思っての事だったら、私……」
「いやいや、たまたま! 中学の時より運動部もそんなに本気にはしてないみたいだし、緩い感じで良いかなって思っただけ」
あわあわと適当に言ってみれば。
「へたれ」
と言われた。
その通りだから何も言えないが、鈴は少しさっきより和らいだ気がする。
「学年一のモテ男の正体がそれじゃいけない気がするから今聞いた事はなかった事にしてあげる」
「え?」
「大ちゃんとしての本心は分かった。けど、私が学校で会うのはその『日村君』なので、ちゃんとした日村君でお願いします」
と言って、鈴は帰って行った。
取り残されたとして、俺に何が出来るのか……大樹はただぼーっと考えるだけだった。