第76話 アドリアン幹事
私はその日のうちに、アドリアン幹事との面会を成立させたわ。
現在のバルセロク地方保守党の最重要人物の一人。まさか、その日のうちに面会ができるとは思わなかった。
無理をしてでも私と面会したいということは、向こうにも思惑があるということね。
私たちは、地方議会院内幹事室で秘密裏に会合した。
アドリアン幹事は眼鏡をかけたやせ型の男性だった。青い髪が印象的な学者のような男性。この人が地方議会の最大政党を率いているとは思えなかった。
「これはこれは……ルーナ知事。わざわざ、このようなところまでお越しいただきありがとうございます」
宿敵の私を丁寧にもてなす。怪しいわ。
「いえ、私の方から申し込んだのですから……こちらから来るのが道理ですよ。まさか、申し込みをした当日にお会いできるとは思いませんでしたが……」
「おそらく急ぎの案件だと思いましてね。こちらも議会運営のためには協力を惜しみませんよ」
「ありがとうございます。まずは、次回の議会で柱となる重要議案についてですが……」
「知事、ここには私と知事、ロヨラ副知事しかおりません。腹を割って話をしましょう。港湾改革と教育改革の2つのことでしょう? すでに、他の議員から接触があったという話は聞いています。大筋もある程度は知っていますから、時間を節約しましょう」
「……その通りです。こちらの法案について、保守党にも賛成いただきたいのです」
「ふふ、さすがにそれは無理でしょう。港湾改革は、保守党本部のクルム王子を敵に回すものですから……」
「しかし、あなた方は表立って反対できないでしょう? 港湾改革の法案に反対したらそれこそ民意からの反発をくらいます。来年の地方議員選挙にも悪影響ですよ?」
私が語気を強めると、彼は笑っていた。
「やはり、森の聖女様というのは幻想ですね。あなたは立派な政治家だ」
「あんまり嬉しくはないんですが」
「ルーナ知事? 政治に必要なものは何だと思いますか?」
私を試しているような男ね。
「理想と実行力です。自分ができることをひたすら着実に積み上げていくことが大事だと思っています」
「なるほど、すばらしいお考えですな。ですが、私とはタイプが違うようだ」
「ならば、アドリアン幹事は何が必要だと考えていらっしゃるんですか?」
そう言うと青白い顔の男はにやりと笑う。
「交渉力と妥協点を見つける力だよ。現実の政治は、計算と妥協の繰り返しだ。一人勝ちを狙ってはいけない。コルテス家は欲張りすぎたのだよ。彼らは生まれた時からすべてを持っていた大貴族だから……だが、私は違う。どうだい、ルーナ知事。私に腹案があるんだ。聞いてみないか?」
悪魔のような顔で彼は私に問いかける。
まるで禁断の知恵の実を食べる気分で私は、ゆっくりとうなずいた。
「聞かせてください」
※
アドリアン幹事は説明を続けた。眼光がより鋭くなる。
「簡単なことですよ。私たちが手を組めばいいのです」
「私たちが手を組む? しかし、あなたは保守党中央の監視下にあるのでしょう。議会の場で手を組むなんてできるわけがない」
「それはどうですかな。演技をすればいいのですよ」
「演技?」
「保守党のほとんどはあなたがやっている港湾利権改革に対して反感を持っています。それを利用して、私は保守党の英雄になる。あなたは、実利を手に入れればいいのですよ」
「なるほど、そういうことですか……」
「おやおや、これだけ説明しただけでご理解いただけましたか。あなたは相当キレる政治家のようですね。かわいい顔をしながら、老獪だ。では、あなたの答えをお聞かせください。今回の提案は私の身にも火花が降り注ぐ可能性もありますからね。あなたがどれだけ優秀かを試してみたいのですよ」
自分が世界で一番優秀だと思っている人、特有の態度ね。基本的に人を道具としか思っていない。クルム王子と同じ人種。ただ、目の前の彼は泥にまみれながら叩きあがった優秀な政治家なのよね。警戒しなくてはいけないわ。
「あなたは、議会の定員条例を利用するつもりなんでしょう? そうすれば過半数というボーダーは下がる」
議会の定員条例の中に、「議員50人のうち7割の人数が議会に参加していれば評決の結果は有効になる」という条文があるわ。50人のうち7割は35人。そして、そのうちの過半数は18人。私たちにかかる負担は軽くなるわ。
「ほう」
「そして、あなたたちにも利益があるように取り計らうとすれば、考えられる手段はひとつだけね。あなたの筋書きはこうでしょう。私たちが進める強権的な港湾改革に保守党の自称"良識派"は抗議のために議会を欠席する。あなたは、保守派を勇気づけるような素晴らしい演説をして、仲間たちとともに議会を退場する」
「いいですね」
「そうすれば、あなたの保守党内での評価はうなぎのぼりでしょうね。私、ルーナ=グレイシア知事に恥をかかせた英雄として取り扱われる。あなたはコルテス家という後ろ盾を失っても、自分の脚だけで歩いていける人気を手に入れる。私は、任期最初の議会で、それと対立している印象を与えてしまうけど、重要法案は可決されて実利的な得をするということね」
「ええ、悪くないでしょう?」
「あなたは、私に恨みはないの?」
「知事……政治家が個人的に動くようであれば、そいつは二流です。本物は実利を取るものですよ。言葉は悪いですが、コルテス家はもうなにも私には利益を生み出しません。そのような者たちに義理立てをしてもしかたないでしょう? あいつらも簡単に部下を切り捨てています。部下もそのような上司に忠義などありませんよ。さぁ、どうしますか?」




