第38話 ディナー
「それではルーナ知事。中に入りましょう。エスコートさせていただきますね」
アレンは私に対してゆっくりと手を伸ばす。とても洗練された動作だった。
「今日のドレスは本当に似合っていますね。とても素敵です」
彼は私の手を握るとそう言った。とても澄んだ目で見られている。ドキッとしてしまうわ。
「あ、ありがとうございます」
これはエスコートの鉄則よ。まずは女性に優しい言葉をかけて褒める。今までだってなんどもやってきてもらったじゃない。
「さあ、お先にどうぞ」
すっとドアを開けてくれた。やっぱり完璧なエスコートね。王都でも人気があったアレンが私のためにやってくれている。自尊心がくすぐられるわね。とても嬉しいわ。
そのまま椅子まで座りやすいように引いてくれた。
「ルーナが好きなシーフード中心のコースを頼んでおいたよ。甘いワインが好きだろうからヴォルフスブルクのアイスワインでよかったかな?」
「はい。それで大丈夫です」
アイスワインは、冬の寒さを利用して凍ったぶどうを使って作られる甘いワインよ。デザートワインとも言われていて甘くてさっぱりした味がするの。詳細な製法はヴォルフスブルク帝国が秘匿しているため高級品になっている。
同じように甘いワインに貴腐ワインもあるわ。こっちもヴォルフスブルク帝国が独占しているせいで少数しか市場に出回っていないわ。貴腐ワインはカビを使ってワインを甘くしているそうだけど……
「私をだましましたね?」
「極力、嘘は言っていないよ? 私は元副騎士団長で地元でも有力者じゃないか!」
「でも、本当のことは言ってませんでしたよね」
「本当のことを言えばディナーには来てもらえなかっただろうからね」
「……」
「ルーナは真面目過ぎる。ちゃんと事務所の人たちには連絡しておいたから大丈夫だよ」
「何も知らないのは私だけだったんですね……」
「事務所の皆もキミが働き詰めだから休んで欲しいと思っていたんだよ。だから、半日のデートに誘った」
「デート……」
そうよね、やっぱりこれデートなのよね?
一緒に服を買いに行って帰りに夕食をおしゃれなお店で食べる。
私がひっそり憧れていたデートそのものだった。
「そんなに怖い顔しないでくれよ。嘘をついたのは悪かったからここでしっかりエスコートさせてもらうよ。だから機嫌をなおしてくれ」
彼は苦笑している。まずい。初めてのデートで緊張していただけなんて言えない。
「わかりました。みんなが心配して作ってくれた時間なら精一杯楽しみますよ」
私たちの幸せな時間が始まる。
※
「お待たせしました。前菜のチーズと野菜の盛り合わせ、そしてビーツとライ麦のスープです」
給仕さんからが色とりどりの野菜のサラダとチーズのお皿を持ってきたわ。ヴォルフスブルク帝国名物のビーツのスープも一緒。これはボルシチと呼ばれる真っ赤なスープよ。たくさんの野菜が入っていて、サワークリームで味付けされているからさっぱりとした味ね。酸味が強い感じで美味しい。
ビーツとは簡単に言えば赤いカブね。古来から薬草としても重宝されてきた野菜ね。だからこのスープはヴォルフスブルクの薬用スープみたいな位置づけでもあるのかも。
「うん、美味しい。ワインともよく合うね。僕はエールも好きだけど」
「はい。とても体に優しい味ですよね」
「たくさんの野菜と肉で作られているからね。選挙の疲れによく効くよ」
たぶん、アレンも私の体を心配してこういう体によさそうな料理をチョイスしてくれたのかな。やっぱり優しいな、彼は――
ヴォルフスブルクはイブールと比べても寒冷だから、取れる野菜も文化も全然違うのよね。パンも向こうではライ麦パンが主流だし。パンを焼くにもライ麦を使ってイースト菌ではなくサワードウという酵母が使われているから酸味が強い。イブールのパンよりも歯ごたえがしっかりとした食べ応えがあるパンになるわ。
ライ麦パンは塩気がある食事との相性もいいので、ソーセージやハムなど非常食が発達しているヴォルフスブルクとの食生活にもよく合うの。こういう食文化って勉強すると面白いわよね。
「スモークサーモンの冷製です」
アレンが追加で頼んでくれた魚料理もテーブルを豪華にする。
サーモンにレモンを加えたさっぱりと冷製ね。
さっぱりしていておいしい。
「ありがとうございます。私のためにシーフードを多めにしてくれて」
「喜んでもらえてよかったよ。ルーナに喜んでもらうために美味しい魚料理を出すレストランを選んだんだ」
「忙しいのに私のためにいろいろと調べてくれたんですね」
「ああ。ここからが大変になるからね。ルーナには元気になってもらわないと」
ワインを回しながらアレンは笑った。
「メインのタラのローストになります。ソースはハーブとガーリック、そして白ワインので作っています」
豪華な魚料理が並ぶ。バルセロク地方は海に面しているから各国の魚料理をさらに美味しくするわね。ここを国際都市にしたい。私はうっすらとそう思った。
婚約破棄されて暗殺されかけた私がこんなに幸せなディナーをすることができるなんてね。思わなかったわ。
ろうそくの灯りが反射するワイングラスを眺めながら私は幸せに没入する。




