第36話 知事
そこからは忙しい日々が続いたわ。
まずは応援してくれた方々を招いて感謝のスピーチをしなくちゃいけなかった。
次に各種書類の作成ね。
知事に正式に就任するためにはたくさんの書類が必要なの。私たちは必死にたくさんの書類を作成した。
そして、国王陛下や宰相閣下が主催する任命式に出るための準備も必要になってくる。ドレスなんて全部没収されてしまったから急いで仕立て屋さんで新しいものを作らないといけないわ。
それにロヨラ知事からいろんな引継ぎを受けなくてはいけないもの。
やることがたくさんありすぎてパンクしそう。
忙しい日々のせいで私が知事になったという実感がわかない。
でも就任式は2週間後に迫っている。
焦りしかなかった。
※
―バルセロナ地方知事室―
「やぁ、ルーナ次期知事。今回は忙しいところ来ていただきありがとう。そういえば、まだ言っていなかったね。当選おめでとう。そして、地獄へとようこそ」
ロヨラ知事と私は引き継ぎのために知事室で顔をあわせた。
来るまではちょっと気まずかったけど、ロヨラ知事は紳士的に私に接してくれる。
「いま、その地獄を味わっています」
「だろうね。特に君はまだ1年目だから」
知事はよく笑っている。
「それでは引継ぎをお願いします」
「ああ、そうだね。細かい話は地方政府の職員から聞いてくれ。今現在の問題を伝えておくよ」
「はい」
「まず、バルセロクの最大の問題は治安だ。ここは港町を中心に発展してきた地方だからね。荒くれ者も一定数いる。だが、本質はそこじゃない。治安悪化の最大の要因は格差と労働環境だ。これを是正にしなくては根本的な解決にはならない」
「格差と労働環境ですか。たしかに貧困は心の余裕をなくしますよね。労働環境とは?」
「実はエル=コルテス議長関連の海運会社がかなり無理な条件で労働者を酷使しているらしい。それを是正にするには彼が死んだ今がチャンスだ」
「わかりました」
「基本的に税収は右肩上がりだ。キミならその税収を使ってどうする?」
試されているわね。
「私なら産業振興と教育に使います。今あるものを使い潰してしまえばそれで終わりですが、投資をしておけば将来新しい利益が生まれます。一番効果があるのは新しい産業を作り、子供たちをしっかり教育することです。そうすればこの地方により将来の利益を生むでしょうから……」
「いい考えだと思うよ。まさに君はこの地方の知事にふさわしい。いい後継者を得られたものだ。エル=コルテスにも言ったセリフだけど、こっちが本心だから誤解しないでくれ」
そして、私たちは笑いあった。
「細かい話は、後で書面に残しておくよ。今日はとても有意義な時間だった。なにかあったらまた連絡してくれ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
「この後はどうするんだい?」
「婚約者のアレンと就任式に使うドレスを受け取りに――」
「なるほど、デートか!」
うっ、そう言わると意識してしまう。
「違います。仕事の延長です」
私は照れ隠しをしながら逃げるように知事室を出た。
※
私たちは引き継ぎを済ませて外に出る。まだまだ忙しいわね。
この後は仕立て屋さんでドレスを受け取って、アレン様が地元の有力者と会食する場を設けてくれたからそちらにも出席するわ。
あと、書類のミスがないか事務所に戻って確認ね。
「ルーナ、こっちだよ」
アレン様が用意してくれた馬車の前で手を振っている。
「お待たせしました」
「大丈夫だよ。引継ぎが無事に終わってよかったね」
「はい。ロヨラ知事もかなり友好的でしたし……」
「うん。ロヨラさんはルーナのことを高く買っているみたいだね。噂が聞こえてくるよ」
「えっ?」
「ルーナは恐ろしい政治家だとか、天性の怪物とか――敵ながら高く評価しているそうだよ」
「それって高く評価されているんですかね?」
「政敵に恐れられているなんて最高の評価だろう?」
「私の女としての部分が泣いていますよ」
「いいじゃないか。ルーナの女性としての部分は僕が評価しているからさ」
うっ、またいつものように不意打ちね。
そういうことをサラッと言われちゃうと反応に困る。嬉しいけど恥ずかしいから……
「そうやって赤くなるところは、希代の若手政治家ルーナ=グレイシアから年頃の女の子に戻っていてかわいいよ」
「もう、あんまりからかわないでくださいよ。今日はこの後も仕事が残っているんですから」
「そうなのかい? てっきり、私はデートに行けるものだとばっかり思っていたよ」
「みんな頑張っているんだからさぼろうとしないでくださいよ」
そんな話をしていたらお店に到着した。
※
「ルーナ=グレイシアです。ドレスを取りに来ました」
本屋さんに紹介されたお店。店主の方が気さくで安心して買い物ができる。
「こちらの2着ですね。準備できておりますよ」
「えっ!? 私が注文したのは紺のドレスですよ。ピンクのドレスなんて注文していな――」
たしかにどっちにするか悩んだんだけど……シックな紺のドレスを選んだのよ。
私が混乱しているとアレン様が笑っている。
「それは僕が注文したんだよ。ルーナへのプレゼントさ。さすがにドレスが1着だけというのも困るだろう?」
「そんないただけませんよ。こんな高いもの……」
「大丈夫だよ。婚約者にプレゼントをあげるのに理由なんていらないからね」
「でも……」
「店主さん、実はこの後、会食なんだ。悪いけど、そのピンクのドレスを彼女に着せてあげてくれないかな?」
「ええ、もちろん。試着室にご案内しますね、ルーナ様?」
えっ、ちょっと待ってとも言えない状況で私は試着室に案内されてしまう。
彼の紳士的な対応に、なぜか胸の高鳴りが止まらない。




