第17話 大学者
「すまない。新しい婚約者の件だが、キミにももっと早くこのことを知らせておくべきだった。決まったのは1か月くらい前なんだ。だがなんとなく言いづらくてね。ずるずると先送りしてしまった」
「いえ、謝ることではないですよ。アレン様だってお仕事が忙しいのですから……」
「そう言ってもらえると救われた気分になるな」
「そして、クルム王子のこともよくわかりました」
「えっ!?」
「このタイミングで新しい婚約者を見つけたということは、私の喪に服していたから。まあ、彼のことだから政治的なパフォーマンスなんでしょうね。私を謀殺しようとしたのは彼ですもの。そして、私の家がなくなったことで彼も別のルートの財力を必要としていたんでしょうね」
「正解だ。まるで殿下と話しているような気分だ」
「何年も一緒に過ごしたんです。思考のコピーくらいはできますよ。でも、彼の動きではっきりしたことがあります」
「聞かせてくれ」
「まず、私の死を彼は確信していることですね。喪に服すという行為は民衆の同情心を買うためのパフォーマンスですが、私が生きている事実が明るみになったら彼の評判が下がることになりますから。私が生きているという情報は、彼には間違いなく伝わっていないはず。伝わっていたならそんなリスクを彼が取るわけがない」
「なるほど」
「そして、もうひとつ。今回の出版許可取り消し問題の背後には知事選挙とクルム第一王子と子爵が控えている。つまり、アレン様の上司が絡んできている。あなたの力はこれ以上借りることができないということです」
「……」
「さらに運が悪いことに子爵と私は面識があります。彼との接触は避けねばなりませんね。私が生きていることを王子の陣営に知られてしまうのが一番の問題になりますから」
「すっかり政治家の顔になってきているよ。それでどうする?」
「やはり子爵の弟と対立している人と接触しなくてはいけません。許可をいただけますか?」
「毒を以て毒を制すか。だがリスクも大きいぞ。対立候補がキミの本当の立場を知っているかもしれない。脅されたり政治抗争の道具にされるかもしれない」
「代理を立てて彼と接触します」
「誰か候補者がいるんだね?」
彼の問いかけに私はうなずく。
私にはすぐに切り札が思い浮かんだ。
「彼の弟君にお願いしようと思います。すでに我々は共犯者ですからね。協力してくれると思います。彼も将来の知事とコネクションができれば得るものも多いはずです」
私は窓から畑仕事をしているナジンを指さす。
彼はもう生活にも慣れて村の人たちとも和解し楽しそうにジャガイモ畑を耕していた。
男爵家に動いてもらうわ。
※
ナジンを通して男爵家にお願いしたらクリスさんは快く引き受けてくれた。
子爵家と男爵家は利害で対立しやすいから敵の敵は味方の原理ね。
どうしても近くの領土を持つ貴族同士はライバル感情がぶつかりやすいもの。
子爵家と男爵家は一応、クルム王子陣営だけど対立感情が強いみたい。
重宝されて親戚関係まで結ぶ子爵家のことを当然、男爵家はおもしろくない。さらに、この地域の知事まで独占されたら子爵家に勝てなくなる。
どうにかして影響力を落としたいそうよ。
ここで私たちの利害関係が一致した。
これで情報源がアレン様というのも隠してもらうことができる。
さあ、作戦開始よ。
※
―クリス男爵視点―
ルーナさんと本屋さんに仲介してもらって私は、子爵と対立している大物と接触できた。
なるほど。大物が出て来たな。あの女性は平民と言いながら、どこでこんな人脈を作ることができるんだろうな。
森の聖女様というのは不思議な存在だ。
「はじめまして、クリスと申します」
「お噂はかねがね。男爵家の当主様が来て下さるとは……出版ギルドの長としてお礼申し上げる」
そうバルセロク市の出版ギルドの頂点であり引退したとはいえ閣僚経験者だ。
まさか70歳を超える老体で知事選出馬とは、恐れ入る。
「お会いできて光栄です。フリオ閣下」
フリオ=ルイス元文部大臣。哲学者としても有名で、宰相閣下に頼まれた形で5年間文部大臣を務めた大物だ。今は政治家を引退して文筆活動をしているとは聞いていたが……
「閣下は不要だ、男爵。それで本当なのか。『クロニカル叙事詩』の出版差し止めは子爵の差し金とは?」
「はい。本当です。私も子爵と同じ陣営にいる者ですが、あまりに横暴な行為です。義憤に駆られて報告させていただきます」
「なるほど。それで君は森の聖女様と一体どんな関係なんだ。今回の件は彼女を通してと聞いているが?」
「1年前、私の兄が行方不明になった時に捜索に協力してくださったのが彼女なんですよ。それ以来、いろんなアドバイスをいただいているんです」
「そうか。彼女は貴族に助言できるほど聡明な女性なのか」
「ええ、それはもう」
「ふむ、会ってみたいものだな。だが、その前に対策を考えねばならない。子爵家の横やりは予想外だったな。まさか選挙外の分野で攻撃をしてくるとは……」
「向こうもクルム王子を婿とすることから、立場を確立させようとしているのでしょう。陣営内でも抜きんでたナンバー2ポジションを確保していますし……」
「王子が後ろ盾にいるとは……これはかなりやっかいだぞ」
※
「そうなんですか。フリオ閣下が子爵家の対抗馬なんですね」
私はクリス男爵から打ち合わせの内容を教えてもらっている。
「はい。閣下は、このまま貴族階級だけが特権を有している現状を変えるために大臣よりも領域内では裁量権がある知事を目指しているとのことで」
たしかに、大臣は政府の方針に逆らうことはできないわね。裁量権が認められる知事の方が自分の好きなことはできるわ。
「保守派の子爵家対改革派のフリオ閣下という対立構図なんですね。なるほどフリオ閣下が『クロニカル叙事詩』の出版を推し進めていたのは自分の政治的な理念もあるんですね。とてもご立派な考えだと思います」
「しかし、いくら大臣経験者でも後ろに王族が控えている対抗馬と戦うのは難しいかもしれませんね、ルーナ様はどう思いますか?」
「ええ私も同じ意見です」
「そこでフリオ閣下から提案がありました。前後策を話し合いたいので、あなたと直接会うことはできないかと?」
「えっ!?」
「やはり私を通しての対談は限界があると……あなたの聡明な考えを教えて欲しいということですよ」
「でも、私は……」
フリオ閣下とは大臣時代に何度かパーティーでお会いしている。だから、森の聖女が死んだはずの私だとわかってしまうわ。
「やはり訳ありなんですね。もしよろしければ私にもあなたの正体を教えてくださいませんか。私たちは共犯者です。あなたの真実を教えてもらえなければ、私はあなたを信用することはできません」
さすがのクリス男爵もここまで本格的な政治抗争になってしまったから引き返すことはできないはず。男爵家は、ある意味二重スパイのような立場よね。とても危険な立ち位置。なにかに失敗してすべての真実がばれてしまえば私と一緒に破滅してしまう。
アレン様の許しはないけど、ここは私と男爵家の問題でもあるわ。
もう限界ね。
「わかりました。ならば、フリオ閣下と私の面会に立ち会ってください。たぶん、そこですべてがわかりますわ。そして、あなたは戻ることはできなくなる。覚悟はありますか?」
「もちろん」
「では、私のほうでも準備もありますので、閣下との面会は2週間後に調整させてください。よろしいですか?」
「わかりました」
私は覚悟を固める。アレン様には速達の手紙を書かなくちゃいけないわね。
もしかしたら……
私はまた、歴史の表舞台に立たなくてはいけなくなるかもしれない。
その時は、第一王子との全面戦争を覚悟しなくちゃいけない。
どうなるのかな。
私は目を閉じて心を落ち着かせた。