第16話 王子の状況
―王都―
「アレン、やっと喪中が終わったぞ。そろそろ婚約発表をしなくてはいけないな」
殿下は、楽しそうにそう話す。
「わかりました。ルイーダ子爵令嬢との婚約については進めさせていただきます」
「うむ。お前もいい女性を見つけてくれた。なにせ実家が金持ちだ。バルセロクの輸入代理店というのは外国との人脈を作るうえでも好都合だしな。向こうの両親も次期国王最有力の俺と関係を作れて歓迎してくれているそうじゃないか」
「はい。私の領土に近い都市の有力者でしたので、かなり強引に頼み込まれたのですが……お気に召していただきよかったです」
「うむ」
「しかし、ルイーダ子爵令嬢はなんというか強烈な女性ですよ。将来の王妃として、私は不安でもあります」
「たしかにルーナのほうが政治家としては優秀だろうな。だが、そのほうが扱いやすいというのもあるぞ。神輿は軽いに限る。ルイーダは俺の横にいて国民から尊敬を集めて贅沢して過ごせば満足するような女だ。扱いやすくて助かるだろう?」
「……それに子爵家もかなりあくどい商売をしているとかでいい評判はあまり聞きませんがよろしいのですか」
この人はまた女性を物のように扱うのか。
「お前は潔癖症すぎる。ルーナは高潔すぎた。あの女はいつか俺と対立するかもしれなかった。理想が高すぎるからな。この貴族社会においては、金が一番の力の原石だ。金を配ればなびかない貴族はほとんどいないんだよ? たとえ子爵家でなにかあっても金の力で対立者をだまらせればいいだろう。もっと柔軟になれよ」
「しかし、それではあまりに不誠実では――」
「誰に対して不誠実なんだ? 国民か? いいか、国民といっていいのは貴族階級と聖職者階級だけだ。たしかに参政権は誰にでもある。だがな、今の制度は最終的に貴族が勝つために作られているんだよ。平民の不満のガス抜きでしかない。平民宰相など現体制では絶対に生まれないんだからな。平民は貴族のために金を出していればいいんだよ。それが幸せなんだ」
これが殿下の正体か。俺はずっと見抜くことができなかった。理想に燃えるルーナが太陽のような存在だったから、殿下の闇が隠れていただけなのかもしれない。
俺が求めていた殿下の元での改革は事実上不可能になった瞬間だった。殿下がこのような思考であれば、俺の理想は実現不可能だ。
やはり、ルーナにかけるしかない。だが、今の俺たちではまだ殿下に勝てるような力はない。
まだ我慢しなくてはいけないな。
俺もルーナが表舞台に出るまで、彼女をサポートできるくらい出世しなくちゃな……
幼少期からずっと一緒だった殿下と俺はここで本当の意味で決別したんだと思う。
※
「出版できないってどうしてですか!!」
私は本屋さんで大きな声を出してしまう。みんなで原稿を書いて校正まで終わったのに、出版当局が出してくれるはずの許可が突然、取り消されてしまったらしいの。
王国では「王族中傷防止法」という法律があるわ。本や新聞は当局の許可がなければ本を出版できないのよ。王族の悪口や不都合な歴史的な真実があるかもしれないから。
俗に言う検閲ね。不敬罪にならないように事前に出版予定の本を調査するの。今回はその法律に私たちの本がひっかかってしまったというのよ。
でも、『クロニカル叙事詩』の現代語訳がそれに引っかかるはずがないわ。
だって、あの叙事詩は建国の正当性も示す大事な史料よ。
わたしたちイブール王国市民が、ヴォルフスブルクの圧政に苦しんでいながらも団結して独立を勝ち取った苦い歴史の象徴みたいなものよ。貴族にとっては必読書だし……
「あの本は国民全員が読まなくてはいけない本なのに……すまない、ルーナさん。当局もずっと応援してくれていたんだ。でも、原稿が完成して便宜上の調査の段階で、突然出版不適当と言われて許可が取り消された。具体的にどこが問題なのか聞いても教えてくれないんだよ。これじゃあなおしようがない」
本屋さんも相当落ちこんでいるわね。
「いえ、本屋さんが謝ることじゃないですよ」
でも、変ね。なにかしらの妨害を受けているとしか思えないわ。でも、いったい誰がそんなことを……
『クロニカル叙事詩』の内容的には出版に問題ないはず。そして、出版局の担当者もずっと応援してくれていた。
となるともっと上からの圧力があったと考えるべきね。
出版局の幹部か。
それとも貴族か。
大商人か。
でも、私たちの本を差し止めていったいどんな利益があるのよ。
そうなるとライバル店とかの方が怪しいけど。
「いや、うちの図書ギルド肝いりの出版事業だからこれを差し止めると自分の首をしめることになる」と本屋さんは否定していたわ。
ううん、手がかりもないし理由もわからないわ。もう手詰まりよ。
でもここであきらめたくないわ。みんな時間をかけてがんばってきたのに……
こうなったら私も切り札を使うしかないわね。
アレン様に調べてもらおう。
※
「その方がいい。だが、次回からは絶対に相談してください。私はあなたの共犯者なんですから。そうしてもらわないと私達は本当の意味でパートナーになれない」
※
こんな風に言ってくださったんだから私も甘えさせてもらうわ!
※
私は村に帰ってさっそくアレン様に手紙を書いた。『クロニカル叙事詩』の出版について圧力をかけている人間はいったい誰なのか。それを調べてもらうために。
アレン様の今の役職は近衛騎士団副団長。
軍の役職で言えば大佐。大佐といえばかなり権力があるわ。現場指揮官となれば数千人の部下がいるし、軍艦に載れば艦長になれる役職だもの。
それにアレン様は以前、内務省の情報局に出向していたこともあるはずよ。
つまり、検閲には詳しいはず。
出版の規制も内務省の情報局が元締めよ。つまり、元締めには私たちの陣営にコネがあるの。現場では何が問題か言えないかもしれないけど、元締めから聞き出してしまえば黒幕は判明するわ。
それに私たちにはアレン様と男爵家の2つの切り札があるわ。黒幕が相当な大物でもなければ黙らせることができるはず。
私も貴族の娘よ。こういうのは得意だもの。
※
「ありがとうございました。アレン様、それで誰が黒幕かわかりましたか?」
アレン様はわざわざ私に会いに来てくれたわ。
忙しいのに私に会いたいから無理をしてくれたんだろうな。
そこは素直に嬉しいわ。
「ああ。内務省時代の後輩から教えてもらったよ。思った以上に大物が出てきて驚いている。軍務省の法務局長を務めているカインズ子爵だ」
カインズ子爵。たしか階級は少将ね。閣下と呼ばれる階級……
軍務省の大物。戦場に出れば将軍だもの。
でも、どうして利害関係のない軍務省が私たちの出版計画に異議を立てるのかしら。
「どうやら今度の知事選が引き金らしい」
「知事選ですか?」
「そう。どうやらカインズ子爵の弟で輸入代理店を経営している男が今度の知事選に立候補を予定しているらしい。もうひとり有力な対立候補がいるんだがその人は出版ギルドが強く支持している人物で……」
「対立候補の支持基盤に対する嫌がらせということですか」
「ああ全くひどい話だな。そして、キミには言いにくいんだが言っておかなくてはいけないことがある」
「教えてください」
アレン様がとても言いにくそうにしているわ。よくないことか。
「カインズ子爵の娘ルイーダがクルム殿下の次期婚約者に内定している。キミの後任の国母候補ということだ」
「なっ……」
いや、わかっていたことよ。ショックがないといえばウソになるけどね。
しかし、クルム王子はずいぶん大物と関係を結ぶつもりね。
新しい婚約者の父親は軍部の大物。
叔父は大商人。
経済力と軍事力の両方を抑えることができるもの。
自分の恋愛感情なんて存在しない冷徹なリアリストが本性を出してきたわね。
私の元婚約者は、天下を狙って動き始めているわ。