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第15話 叙事詩

『クロニカル叙事詩』


 それは騎士と姫の悲恋物語。

 古代イブール語で書かれた詩はずっと人々を魅了してきたわ。


 イブールの地は、常に隣りの大国"ヴォルフスブルク"に悩まされてきた。

 まだイブールがヴォルフスブルクに支配されていた時代の物語。


 イブール独立派の騎士は、あるパーティーで美しい姫と出会う。

 ふたりはそのまま恋に落ちる。


 でも、姫には秘密があった。

 彼女は、ヴォルフスブルクから派遣された総督の娘だったのよ。


 騎士が反乱の準備を進めるなか、ふたりの恋は燃え上がる。お互いの立場を知らないまま。


 そして、騎士が決意を決めたその日に、姫の真実が明かされて、全ては暗転する。


 父親と恋人が争うことになったことを悲観して彼女は自ら命を絶つ。騎士もまた姫の死を知らないまま、総督軍との戦闘で重傷を負うの。


 イブールの地に平和が訪れることを望みながら騎士は、最期に姫との再会を希望するもかなわずに死んでいく。


 そして、天上世界でふたりは再会し結ばれるの。


 悲しいお話だけど、貴族の子女はこの物語を特別に思っているのよ。


 ただ、庶民の人たちには古代イブール語で書かれているせいであまり馴染みがないのよね。


 素晴らしいお話なのに……


 なので、今回の計画では『クロニカル叙事詩』を現代語訳してみんなが読めるようにしたいとのことよ。


 有名な学者さんが中心になって、みんなで担当個所を決めて訳して解説するの。

 学園の古語の授業ではこれを暗記するように言われていたから私も結構詳しいのよ。図書館にも解説本がたくさんあったらほとんど読んだと思うわ。


 だから、楽しみ。解説本で勉強した内容を踏まえて、自分なりの考えも解説していきたいわ。特に、私の担当個所は二人が恋に落ちるところなの。中盤の一番大事な場所ね。


 ここは丁寧に情緒豊かに訳したいわ。腕がなるわね。


 こういう自分の意見をちゃんと書くのもいい刺激。最近はずっと写本作業をしていたから自分の考えを書くなんてなんだか新鮮ね。


『クロニカル叙事詩』は、イブール王国の国民みんなが知っておくべき本よ。今まで知識は貴族に独占されていたけど、庶民にまでいきわたるように学者の人が考えているというのも共感できるわ。


 むこうのひとも私の活動を評価してくれて私を誘ってくれたそうよ。

 会ったこともない人にも私の仕事を認めてくれる。


 村の人たちから本屋さんと仲良くなって、そして、本屋さんから新しい世界が繋がっていく。人の輪ってこういう風に広がるのね。


 とても素敵で幸せな広がり方だわ。


 すべてはアレン様から始まっている。


「やっぱりどんな時でも最後にはアレン様のことを考えてしまうのね、私……」

 自分の単純さにおかしくなりながら、私は叙事詩の中に深く潜っていく。


 そして、私は思うのよ。ああ、私は彼が好きなんだなって……


 ※


 私は、朝の畑仕事を終えて、本のお仕事を再開する。


 今日は、第5幕のラスト「らずの雨」のシーンね。


 恋愛感情を自覚したふたりは、森の小屋で密会し、お互いの気持ちを確かめ合う。でも、そこで姫が総督の娘であること、騎士が反乱軍のリーダーであることが発覚するのよ。


 この事実がふたりを永遠に分けてしまうのよね。ふたりが恋人になれたのは一晩の間だけだった。


 ふたりは敵同士で、もう二度と会うことができない立場だったのよ。


 姫は、騎士に「もう帰らなくちゃ」とつぶやく。

 彼は「次に会う時はどちらかが処刑台にいるかもしれないね」と返す。


 その瞬間、遠雷えんらいがとどろくのよ。


 小屋の外は、雨が降ってきたわ。


「まるで、"遣らずの雨"ですね」


「遣らずの雨?」


「そうですか。イブールにはこの言葉はないのね。ヴォルフスブルクに伝わる言葉なんですよ。帰ってしまう友人や恋人を引き止めるかのように降る雨のこと。お互いを思う気持ちが強ければ強いほど雨は降り続けるの。帰らないでって、まるですがるかのように」


「なら、雨が降り続けるうちは恋人同士でいることができるんだね」


 騎士がそう言うと、姫は震えながら肯定する。ふたりは目に涙を浮かべながら、何度もキスをするの。


 悲しみに震えながらの会話は、雷声らいせいに何度もかき消されながらも、お互いの気持ちを交換する。


 急雨きゅううは、1時間だけふたりに猶予ゆうよを与えたのよ。永遠に別れるふたりにとって、永遠でありながらも一瞬の時間を……


 ※


「悲しいけど素敵な話ね」

 私は今日の分の仕事を終えて、本を閉じたわ。写本のアルバイトで生活には余裕があるけど、高価な油をそうたくさんは使えないわ。暗くなってきたら節約でご飯を食べて早く寝てしまうのよ。


 それで、朝に早起きして活動するの。


 貴族時代は、油を節約するなんて考えたこともなかったのに、1年間の平民生活でしみついてしまったのよね。


 騎士と姫の密会の場所は、森の小屋。もしかしたら、こんな感じの部屋だったのかもしれないわね。油なんて用意していなかっただろうから、月明りだけがお互いのための灯り。


 そんな些細な明かりだけを頼りに、1日だけの恋人関係は支えられたのね。

 最愛の人と過ごせるのは、一生でわずかな時間。


 それでも、ふたりは他の人間が一生をかけてぶつけるべき気持ちを一晩でぶつけ合ったのね。


 自分がそうなってしまったらどうだろう。

 最愛の人と会うことができるのは、あと1日だけ。


 実際にそうなってしまったら、耐えられないわ。


「会いたいな。どうして、遠くにいるんだろう。もっとすなおになりたいな」


 空に浮かぶ佳月かげつに向かって私は気持ちを告白する。

 

 今日は、眠れないかもしれない。


 ※


 どうして眠れないんだろう?

 もう体は疲れているわ。朝からずっと畑を耕していたんだもん。


 畑仕事が終わったらそのまま現代語訳の準備よ。本屋さんから辞書を借りているけど、高価なものをずっと借りておくわけにもいかないからできる限り早く返さないといけないと思って連日、がんばっているの。


 体も頭もつかれているからいつもなら布団にもぐったらすぐに眠れているのよ? でも、まだ眠れない。


 土のにおいを思い出す。生物が作り出すあの香り。

 自然にもにおいがあるのよ。私も王都にいた時は、考えたこともなかったんだけど土や草、花には違うにおいがあって生きているの。


 私はずっと香りに囲まれていたはずなのに、この村に来るまで気がつかない愚かな貴族だったのよね。


 村の人たちは文字は読めなくてもこういう本質的なところはしっかり理解しているの。


 私は彼らの先生だけど、ルイちゃんみたいな女の子も私の先生なのよ。本当に大事なものを教えられているわ。


 ※


「お姉ちゃん、恋してるでしょ?」


「えっ!?」


「隠さなくてもわかるよ。きっとアレン様でしょ?」


「それは……」


「ルーナお姉ちゃんは私の先生だから言っておくね。だって、お姉ちゃんは私にとって大事な人だからね。これはお母さんから教えてもらったんだよ。幸せになりたいなら、自分の気持ちに素直になった方がいいよ。それが一番後悔が少ない生き方だってお母さんが言ってたもの」


 ※


 ルイちゃんの言葉が私の心に突き刺さる。


「わかってるわよ。好きにならない方が無理じゃないの。ずっと私を近くで見てくれていた人なのよ。命を懸けてまで私を助けてくれた人なのよ。そんな人を好きになるなっていう方が無理よ」


 でも、私が彼の重荷になってしまうのは間違いないわ。彼の栄光あるキャリアにも私の存在は邪魔になる。


 ※


「そんなわけにはいきません。すでに、準備はできております。馬車は、途中で私の領土の村を通ります。あなたは、そこで私の縁戚の娘、ルーナ=グレイシアとして生きるのです。すでに、村長には話をつけています。そして、馬車は、無人のまま爆発します。私は、あなたが死んだとクルム王子に報告すればすべて解決です」


「なんで……なんで、そんなことまでしてくれるの? 私は、あなたに返せるものなど、なにもないんですよ?」


「妹が……いや、あなたは王子の婚約者ではなくなったから、もう建前たてまえはいりませんね。私は、あなたのことをひそかに、思っていたんですよ。それは許されない気持ちでした。だから、あなたを妹のような存在だと、必死に思いこもうとしていた。でも、もうその必要性も無くなる。あなたは平民になってしまったけれど、そのおかげで何のしがらみもなくなった。そのような姫をさらわない騎士がいると思いますか……?」


「うそ、いつから……」


「それは、次に会った時にお話ししましょう。私の求婚の返事もその時にお聞かせください。それでは、もうすぐ目的の村です。逃げる準備をしてください」


 ※


 私はあの馬車での会話を生涯、忘れることはできないわ。

 でもね、次にあったら言うはずの返事はまだできていない。


 彼も優しいからあえて答えを聞こうとしないの。私はずるいのに。彼に言葉を返してしまって関係が壊れてしまうのが怖いのよ。


 身を焦がすほど彼を思っているからこそ言えないのよ。


『クロニカル叙事詩』の騎士と姫はどうやってこの怖さを乗り越えたのかしら?


 外では松風しょうふうの音が聞こえていた。

 朧夜おぼろよはゆっくりとふけていく。


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