第14話 本
―バルセロク市―
「おいおい、旦那!! どうしてこんなに早く写本を大量に用意できるんだ! どこの業者を使っているんだ。教えてくれよ。『イブール王国史列伝』をもう30冊も用意できたのか。神業かよ」
「いや~それは企業秘密です。ライバルの本屋さんに教えるわけないじゃないですか」
「だろうな。しかし、何人雇ったらこんな速さで写本を量産できるんだよぉ。それくらい教えてくれよ!」
「まぁ、それくらいなら……実は、9冊を3週間で作ってくれる人がいるんですよ。それもひとりで!」
「ひとりだと!! すごいな、その人は!! 有名な聖職者のひとか? それとも法務官僚の人にアルバイトを頼んだのか!?」
「いえ、無名のかたですよ。その人は学者としても通用するほどの知性がありながら、小さな村にこもっているんです」
「そりゃあ、随分と変わり者だな」
「いや、徳が高い人なんですよ。文字が読めない村人のために、自分で教材を買い集めて教えているんです。だから、私も写本のアルバイトを回して少しでもお手伝いできたらいいなと思ったんですが、まさかこちらがこんなに助けてもらえるとは思いませんでした」
「貴族の人たちは、悪く言ってしまえば自己本位なところがあるからな。俺たち平民の目線に立って寄り添ってくれるのか。やっぱり貴族様なのか、その人は?」
「それがよくわからないんです。でも、あの本を理解できるくらいの知性を持っている方です。きっと高貴な方なんでしょうね。彼女は自分の出自に口をつぐんでいるから、私も深くは追及しません。しかし、彼女が見せる献身性は、簡単にできることじゃありませんよ。私たちは、陰で彼女のことをこう呼んでいるんです……
森の聖女様とね」
※
私はいつもお世話になっているルイちゃんたちにご飯をごちそうして帰ってきたわ。ふたりともシーフードランチを美味しそうに食べてくれたの。嬉しいなぁ。ふたりともお父さんがまた、出稼ぎに行ってしまって寂しそうだったから元気になって嬉しいな。
お父さんも立派な体を持った力持ちの農夫さんみたいなひとでとてもやさしかったわ。私がルイちゃんたちに勉強を教えていることを話したら目を丸くして驚いていたの。
あれは少しだけ面白かったな。
その後、涙を浮かべて感謝されたっけ。この村に来てから、私はいろんな人に応援されたり感謝されている。貴族時代はそんなことはほとんどなかったのに……だって、私は王子様の婚約者だったからみんなに嫉妬されていたわ。
物質的な豊かさはあった王都生活だったけど、今の生活ほどの充実感はなかったの。
だから、物が不足しているけど精神的に豊かな今の生活は本当に楽しいし幸せ。誰かに必要とされている今の方が気持ちが楽よ。
私はこの生活が大好きなのね。
そして、この生活を与えてくれたアレン様のことも……
「やあ、ルーナ。元気にしていた?」
噂をすれば……神様は意地悪に見えて親切な気もするわね。
「はい、アレン様! 手紙に書いていた写本作業も上手くいっていますよ。『イブール王国史列伝』ももう10冊も書き写しました!」
「そんなに書いたのかい? すごいな」
「実はアレン様にもプレゼントがあるんですよ。これは自分で紙を買って作った写本です。もらってくれませんか?」
アレン様用にも実は1冊取りおいていたのよ。
だって、恩人だもの。私から彼にプレゼントを渡せる機会なんてめったにないから。こういうチャンスを逃してはいけないわ。
「ああ、ありがとう。王都でもこの本は品薄でね。プレミアム価格で取引されているんだよ。とても嬉しいな。キミからもらえる初めてのプレゼントがこんな貴重なものなんて……」
「アレン様は恩人ですからね。ちゃんとお礼を返さなくちゃいけないじゃないですか!」
「ふふ、大切にさせてもらうよ」
「アレン様のことを考えながら一番丁寧に写した本ですから、読んでもらえると嬉しいです!」
「騎士で歴史を学ばない者はいないよ。歴史はたくさんのことを教えてくれる。人の動かし方、戦略、物事の考え方。特にこの本の1巻は僕が一番尊敬するカルロス国王の列伝だからね。大切にするよ。僕の宝物だ」
「よかった! 王都で昔そんな話をしていたのをおぼえていたんで喜んでもらえると思ったんですよ!」
「嬉しいな。おぼえていてくれたのかい?」
「はい! 私は記憶力がいいんですよ!」
「そうだろうね。それもこれは今、国中で話題になっている"森の聖女"写本だ。家宝にしないとね!」
「えっ!!」
「あれ、当事者は知らないのか。実は噂になっているんだよ。謎の聖女がどこかの田舎に人知れずいて、写本をすごいスピードで作っているとね。彼女は、大貴族か学者の家系出身で、弱者のために献身的に自分の知識を使って活躍しているってね」
「もしかして……そのうわさの聖女様って……」
「もちろん、ルーナのことだよね。噂の震源地が、バルセロクってことで確定だね」
「ごめんなさい。まさか、こんな大事になっているなんて……」
「大丈夫だよ。誰もキミが聖女の正体だとはわかっていないから。村の人たちには僕の方から口止めしておく。アルバイトのほうも頑張ってね!」
「うう、頑張ります」
私って聖女様っていうがらじゃないのに……
どうしてみんな勘違いするのよ!?
※
今日も私は写本の納品に来たわ。
今回頼まれたのは、『イブール王国経済史』という本ね。列伝の番外編で作られた本らしいわ。
「いつもありがとうね、ルーナさん」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます! 報酬も増やしていただき嬉しいです」
そうなのよ。私の写本が評判になっていて、報酬が金貨1枚から金貨1枚と銀貨5枚になったの!!
銀貨10枚で金貨1枚と同じ価値だから、かなり報酬を上げてもらったのよ。
「それでは、今回納品の5冊です」
「うん、たしかに……あいかわらずのいいお仕事っぷりですね。さすがは森の聖女様だ!」
「もうあんまりからかわないでくださいよ。それに私が森の聖女様というのはどうか内密にしてくださいね」
「わかっていますよ。その方がいい。神秘的になるし、あなたがライバル店に取られてしまうリスクもなくなる。私たちは共犯者です。そこはよろしくお願いします」
とりあえず、本屋さんから情報が漏れるのは大丈夫ね。村の人たちも私のことは秘密にしてくれるし、外部から村に来るのも税の徴収の時のお役人さんくらいだからね。アレン様の代理の人だからうまく話が済んでいるので大丈夫。男爵家も私の村に関わっていることがばれたら大問題だもんね。必死で隠してくれるはずよ。
ナジンももう最近は仕事にも慣れていて普通に働いてくれているわ。むしろ、男爵時代よりも体がスリムになって笑顔が増えた気がするくらい順応しているわ。
人って本当に変わるのね……
順調すぎて怖いくらい。
「そうだ、ルーナさん! 実は、この詩集の解釈本を出そうと仲間内で決まってね。あなたにも参加してもらえたらいいなって思うんだけど、どうかな?」
「えっ!?」
渡されたのは、『クロニカル叙事詩』という本ね。古代イブール語で書かれた有名な叙事詩。私も学園で勉強したことがあるけど、かなり難しい本よね。
「この現代語訳と解釈をみんなで書いて出版しようと思っているんだ。でも、そんなに肩肘をはらなくていいよ。今回は政府公式じゃなくて、仲間内で作る本だから。みんな好き勝手に解釈しようと決めているからね。ルーナさんの意見を好き勝手書いてくれればいいから!」
「それは楽しそうですね。でも、いいんですか。私なんかが参加して……」
「森の聖女様が参加してくれるなんて、むしろ話題にしかならないよ。もちろん、ルーナさんは、私を通してしか表に出なくて大丈夫だから。安心してね」
「でも、名前も発表しなくちゃいけませんよね?」
「それも大丈夫だよ。ペンネームで出しておくからね」
「わかりました。なら相談したい人もいるので、その人に相談してからでも大丈夫ですか?」
「もちろんだよ! 嬉しい返事を期待しているから」
「ありがとうございます!」
私はそう言って本屋さんを出たわ。
あの叙事詩は、たしか騎士と姫の恋について書かれているのよね。私もそういう詩大好きだから是非とも参加したいけど……
とりあえず、アレン様とも相談しなくちゃいけないわね。
さすがにこんな大事なことをひとりで決めることはできないから、手紙で相談しないと!
許してもらえるといいな。
私は貸してもらった叙事詩を読みながら、この物語に登場するお姫様に自分を投影させるわ。
騎士はもちろん、アレン様……
子供っぽいのはわかっているけど、その妄想から私は抜け出せなかったわ。
「会いたいな」
正直な言葉がポツリと外に出てしまった……
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