第126話 動き出す政局
知事辞任からもうすぐ半年。
そして、王都に戻り忙しい日々を送る。
私たちは秘密裏に法案を準備した。これが漏れるようでは、準備段階で保守派に潰される。だからこそ、根回しが大事よ。すべてが成立する目途が立てば、公表する。そうじゃなければ、王子に本気で潰される可能性が高い。
「大臣。こちらが修正案です」
「ありがとう次官。素晴らしい出来ね」
「そう言ってもらえて嬉しいですが……しかし、これはかなりリスクが高い法案だと思いますよ。本当にやる気ですか?」
「ええ、今回の法案成立に私は職をかけるつもりです」
「大臣。あなたは就任半年で次々と教育制度の改革を成し遂げた。初等教育なら、貴族だけでなく庶民も受けることができる体制が整いつつある」
「ええ。ですが、それはバルセロク地方のやり方をそのままこちらに応用しただけ。抜本的な制度改革とは言えないわ。下地はすでにあったわけだからね」
「ですが、このスピードで次々と庶民への教育を認める法案を成立させれば、保守派は間違いなくあなたを危険視する。急ぎ過ぎではありませんか。もちろん、この法案は文部省として価値のあるものだとはわかっています。私個人としても大いに賛成です。ですが、教育改革の旗手であるルーナ大臣の失脚を誘発させることだけは、私としては避けたいのです」
「ありがとう。次官の気持ちは確かに受け取ります。ですが、この大連立もおそらくあと半年間でしょう。1年後に私はこの席にはいない。ならば、多少のリスクは覚悟して突っ走らないといけません。たとえ、政治生命を失おうとも、それをかけるにはふさわしい法案だと思っています。学びたいという若者の時間を奪うわけにはいきませんからね」
私の覚悟を示すと、次官は優しく頷いた。
「そこまでの覚悟が決まっているのであれば、私はもう何も言いません。あなたについていくだけです」
「ありがとう」
問題はいつクルム王子率いる保守派の妨害が始まるかね。彼らにとっては庶民のために貴族に課税をするというのはもう耐えきれないだろうから。
『大臣、大変です!!』
秘書官が扉の外から大きな声を出してきた。
「何事ですか?」
『会議中に申し訳ありません。新聞に、教育法改正法案の素案が流出したようです』
「なんですって!?」
紙面には、私たちが作った教育法改正法案のプロトタイプが詳細に書かれている。どうやら本物のようね。
「内部リーク、ね」
やられたわ。保守派の職員はできる限り遠ざけたけど、限界があったということか……
『大臣、宰相閣下が内閣府に来るようにと連絡が……』
もうリークが分かっていたかのようなスピードね。
すべて、あなたの差し金でしょう、クルム王子?
※
「失礼します。ルーナ=グレイシア入ります」
私は宰相執務室に入る。
そこには、宰相とクルム王子のふたりがいるはずだった。でも、その執務室には王子しかいなかった。
彼は宰相の椅子に座り、私を待っていた。
「よく来てくれた、ルーナ」
「殿下、失礼ながらその席はあなたのためのものではありませんよ」
「構わないさ。どうぜ、この椅子は私のものになる。遅いか早いかの差だ」
「……」
どうやら、今回は彼と私だけの話し合いになるみたいね。
最悪。
「では、単刀直入に聞こうか。キミが用意している教育法改正法案だが……説明をしていただきたいな」
「何を回りくどいことを言っていらっしゃるんですか。すでに、素案はご覧になっているでしょう。それに、この新聞の発行元はあなたの側近が主筆の新聞社ですよね?」
イブール王国の魔女も一枚かんでいるはず。すでに用意周到に仕組まれた敵の罠。
「さあ、彼女はあくまで協力者だからね。私のうかがい知らないところでうごいているのかもしれないだろう」
「殿下。自分の勝利を誇りたい気持ちはわかります。ですが、単刀直入に話をしましょう。建前はなしで話すための、この打ち合わせなんでしょう?」
「ふふ、自分の敗北が決まっても、まだ勝ちを諦めないその姿勢はさすがだよ」
「敗北が決まる? なにをおっしゃっているんですか。まだ、何も始まっていませんよ」
おそらく、文部省の職員にクルム王子の協力者がいるんだろう。それも上層部に。そうでなければこんなに早く法案が流出するわけがない。
「だが、あの法案が何の根回しもなく流出してしまえば、さすがのキミでも貴族側の反発を受け止められない。もう、終わりだ。おそらく、ルーナの教育改革はこの法案が根幹なんだろう? どうだ、違うか?」
「ええ、そうですよ」
「ならば、この法案が通らなければ、キミの理想は崩壊する。中途半端な改革でお茶を濁すしかあるまい。ルーナ、どんなに理想が高かろうが、この世界では意味がないんだよ。わかったか? 大人しく我が軍門に下れ。いまなら、優秀な駒としてこきつかってやるよ」
「……」
どうやら、私に復讐することしか考えられないみたいね。
もう、何を言ってもダメだわ。
「今回の失態には、宰相閣下もとてもご立腹だよ。いくら叔父上でもキミのフォローはできないんじゃないかな? メディアもおそらくキミには失望する。こんな大事な法案を流出させてしまう大臣に限界を感じる人も多いだろう」
「何が言いたいんですか」
「これが私が考えた法案の修正案だ。これを吞むなら助けてやろう。読んでみたまえ」
彼は紙を私に手渡した。
※
「さあ、読んでみたまえ」
私は彼に渡された法案に目を通す。
一見、私の案を踏襲しているように見えて、理念とはかけ離れたものになっていた。
今回の根幹でもある身分を問わず優秀な生徒に対する奨学金制度は……
「優秀な学生に対しては、学資金を援助する。ただし、それは親が一定額の税を納めている場合に限る。詳細の金額は、規則で定める」
この条文のせいですべてが骨抜きにされてしまっているわ。
一定額の税を納めた者にしか奨学金が発生しないのであれば、まったく意味がない。そもそも一定額の税を納めることができる学生の親なんて貴族や富裕層だけ。
これでは、貴族層の特権を強化するだけで、本当に援助が必要な庶民層にはほとんど回らない法案に変わってしまっている。
つまり、私の理想とは似ているだけで、意味合いは完全にゆがめられてしまっているのよ。
「ルーナの反発はわかる。だが、これは一時的な措置だ。まずはこれで反発する貴族層を抑え込んで、徐々に対象となる層を増やせばいいじゃないか。よい妥協案だとは思わないかね」
彼は紳士のように笑う。でも、貴族階級が一度つかんだ特権は絶対に不可侵になるわ。それがこの国の慣例みたいなもの。つまり、この甘い言葉に惑わされたら、私の理想は永遠にかなえられない聖域になってしまう。
「さあ、この法案を正式案だと発表したまえ。1時間後に会見の準備はしている。そうすれば、キミは無能な大臣の烙印を押されることなく、名誉を守ることができる。大事な法案を部下にリークされて、廃案にでもされてみろ。もう、キミは最低の無能者になるぞ。キミの理想を叶えるための次のチャンスは一生回ってこない」
「……」
これがあなたから私に向けての王手ということね。
「さあ、会場に向かおう」
「……わかりました」
※
―会見場―
「それでは、ルーナ文部大臣より、新教育法案の説明を行わせていただきます」
会見場は保守党本部。まさに、敵陣の総本山ね。いい趣味しているわ。
「記者の皆さん。今日はよろしくお願いします」
私は必死の笑顔で記者に挨拶をする。質疑応答形式で、記者は保守党派ばかり。
「大臣、今朝の朝刊にあったものと私たちの手元にある資料。ところどころ、文章が食い違っておりますよね。どちらが正しいのでしょうか?」
「それは……」
私は答えるの躊躇していると横にいたクルム王子が勝手に答えた。
「もちろん、手元に配布した資料のほうです。朝刊の法案は、いくつも用意しておいた素案の中で最もインパクトがあるものを切りぬかれたものにすぎません。そうですよね、ルーナ文部大臣?」
私の横で勝ち誇った様子で王子は笑っていた。
それに対して、私は全力の笑顔で答えた。私の笑顔を見て王子は急に真剣な顔になった。
「何を笑っているんだ……早く答えろ」
小声で彼はそう促す。
私は小声で返答する。満面の笑みを添えて……
「気づきませんでしたね、最後まで?」
「なっ!?」
「私の勝ちよ、殿下」
私は、起立して質問に答えた。
「残念ながら、朝刊に掲載されたものが私が用意しておいた本案です。ですが、保守党より反対があり、残念ながら皆様が持っているような修正法案になりました。ですが、保守党案も私たちは受け入れることができません。よって、所管官庁である文部省を代表しまして、2つの法案を廃案としゼロベースで新しい法案を作成する予定です」
私の発言に驚いた王子は、立ち上がって怒り始める。
「何を言っているんだ!? そんなことが許されるとでも思うのか?」
「はい、思います」
「何を根拠に!?」
すごい剣幕ね。こんなに怒った彼をはじめて見る。
「私が文部省の大臣であることで十分ではないですか。まだ、正式に元老院に提出されてもいない法案です」
「なっ……」
「そして、会場の皆様。そして、国民の方々に私の方から重要なお知らせをしなくてはいけません」
会場の視線が私に集まる。
「昨日フリオ財務大臣が自由党総裁の職を退任するという意向を示されました。そして、自由党最高幹部会は、後任の総裁に私を指名したと発表をさせていただきます」
「「「なっ!?」」」
「そして、文部大臣ではなく自由党総裁ルーナ=グレイシアとして保守党に通告させていただきます。今回の保守党が行った教育法案に対する我が党への背信は許しがたいものです。よって、我々は本日をもって連立を脱退させていただきます」




