006 誓い
「ただいま」
家に帰って来るなり、リビングの机に突っ伏した。
返事がないので、ユナは出かけているのだろう。
「ふぅ……」
俺は落ち込んでいる。
ゆくゆくは一流の魔術師。
いや、世界一の魔術師になろうと思っていた。
その夢を馬鹿にしてくる奴もいた。
「世界にはお前よりも凄い奴が山ほどいるんだぜ」
「農民の子どもが魔術師だとぉ」
だが俺は努力した。
なけなしの小遣いを貯めて魔導書を買ったし、農作業や家庭教師の間に魔術の練習をした。
努力すれば、必ず結果が伴うと信じて。
そして俺は、あいつの魔術を目の当たりにした。
ショックだった。
話によれば、
マサキというやつが魔術を使い始めたのは8日前らしい。
教会に運び込まれた彼は記憶を失っており、その代わりに次々と魔術を使ったという。
もちろん、無詠唱でだ。
あーあ。
才能ってのは残酷だな。
いや、もしかしたら彼も努力していたのかもしれない。
だけど、2000年間誰も成し遂げれなかったことを15歳の彼はやってのけたのだ。
これは「努力した」なんて簡単な言葉で済ますことはできない。
そうか。
流れ星の啓示を彼が受けたんだ。
あの流れ星は彼にぶつかっていたんだ。
そうに決まっている。
「魔術師、もういいかな……」
無理だ。
あいつに勝てるわけない。
俺が魔術師になることができても、一生比べられるだけだ。
そもそもあいつがいれば、魔術師なんて要らなくなるだろう。
あいつ一人で魔族を滅ぼすことだってできそうだ。
「ただいま、戻りました」
ガチャっと玄関のドアが開き、ユナの声がする。
俺は顔を上げて、返事をした。
「おかえりな……さい」
ゾッとした。
玄関に立っていたのはユナだった。
ユナだったが、いつもとは違うユナだった。
「お、お前!どうしたんだ!?」
服はボロボロに破れ、右頬には切り傷が付いていた。
俺は慌てて駆け寄り、肩を掴む。
「ユナ! 何があったんだ?」
「これぐらい、大丈夫」
「ダメだ。教えてくれ」
何があったか聞き出そうと肩を揺らしたら、
チャリッと音がした。
音の出所、ユナの首に目線がいく。
ユナの首に、冒険者ギルドのドックタグがかかっていた。
「く、はっ」
言葉が出ない。
息もできない。
俺は机に倒れ込んだ。
ユナは俺にドックタグが見つかったことを悟ったのか、それを慌てて隠した。
そういうことだったのか
ユナは俺に隠して冒険者ギルドに加入していた。
そして俺が学校に行っている間に任務をこなしていたのだろう。
気づけば向かいにユナが座っていた。
机の上には小金貨が3枚置いてある。
「今日の魔物は、ちょっと、手こずっちゃって」
「いつも魔物討伐をしていたのか?」
「うん。一番儲かるから……」
そうか。
ずっとそんな仕事をしてきたのか。
獣人だからという理由で危険な立ち回りを要求されたこともあっただろう。
それでもやめなかったのは、お金のため、生活のため。
しかも自分の生活のためだけじゃない。
俺もためにも働いていたんだ。
俺のために命をかけて働いていたんだ。
なんて情けないんだ。
俺は、自分はたくさん努力していると思っていた。
でもそれは間違いだ。
魔導学校の入学金を出してくれたのは誰だ?
オストロルで健康に暮らせているのは誰もおかげだ?
俺はなにもしてないじゃないか!
「そんなこと、ない!」
「え?」
「主様は、頑張ってる」
心の声が漏れていたのか。
ユナは俺の手を握った。
「主様、夜遅くまで勉強、やってるの知ってる」
「学生はみんなそうするよ」
「仕事探してたのも、知ってる」
「でも結局働いていない」
俺はユナの手を払った。
「女の子が! 顔に傷ができるぐらい危険な仕事をしているというのに! 俺は!」
ユナがこんなに頑張っているのに、俺は魔術を諦めようとしていた。
そしてなにより……。
「俺は君のためになにもしてあげられていない」
「ちがう」
しばらくの沈黙後、ユナは言った。
「ユナは今、幸せだよ」
幸せ?
「ユナ、主様に助けてもらった。主様、安心して寝れる場所くれた」
ユナが再び手を握ってきた。
俺は顔を上げた。
「ユナ、主様に仕えられて、嬉しい」
ユナは泣いていた。
何故かは分からない。
彼女の気持ちは分からない。
でも、どうしてかわからないが俺の心はスッと透き通るような感じがした。
ユナの涙にはそんな力があった。
「主様。ユナのこと、頼って」
「……うん」
その後、俺は胸の内をすべて話した。
-----
「主様。これは?」
ひとしきり話した後、俺はユナに剣を渡した。
「それはばあちゃんがくれた剣だ。『男子たるもの剣を持て!』ってな」
「主様の、大事な剣……」
「うん。それ、貰ってくれ」
「え!?」
ユナがカッと目を見開き、俺を見た。
「ダメ! 貰えない」
剣を押し返してくる。
俺はユナの手を取ると、剣を握らせた。
「あ……」
「ユナ。この剣はお前が持っていた方が相応しい」
「でも」
「俺のせめてもの気持ちだ。これを仕事に役立ててくれたら嬉しい」
「んっ!」
ユナが突然顔を伏せた。
「ホントに、貰うよ?」
「ああ」
「これでいっぱい魔物、狩るよ?」
「そうしてくれ」
「いっぱいお金稼ぐよ?」
「しばらくは頼むよ」
「主様のことも守るから」
「そして誓わせてくれ。俺は一流の魔術師になって、必ずユナに恩返しする」
「……」
ユナがゆっくりと顔を上げる。
目があった。
そして彼女はニッコリと笑い、こう言った。
「主様。ありがとう」
-----
俺はユナに誓った。
一流の魔術師になると。
世界一はお預けだ。
まずはユナのために魔術師になるんだ。
でも、今日は疲れた。
色々あり過ぎた。
もう寝よう。
「主様。ちょっといい?」
ベッドにや座る否や、廊下からユナに声をかけられた。
「ああ。いいぞ」
返事をするとユナが入ってきて、そのまま横に座った。
「主様。ユナは主様に仕えています」
「う、うん。そうだな」
突然何を言い出すんだ?
「そして、今からは、心の底から主様に仕えます」
「ん、どういうこと――、っておい!?」
ユナは急に俺の手を取ったと思ったら、指先をペロリと舐めた。
「改めて、よろしく、お願いします」
上目遣いでそう言った。
その瞬間心の臓が跳ねた。
ユナはそのまま他の指も舐め、甘噛みをした。
ユナの歯は尖っているのに、痛くはなかった。
ただ何ともむず痒い感じがした。
次にユナは俺をそっと抱き締めると、耳にも同じことをした。
「れろ……はむ」
これは、どういう雰囲気?
あんまりよろしくない感じだな。
「ユナ!」
急いで肩を掴み、引き離す。
ユナは少し不思議そうな顔をした後、クスリと笑った。
「他のところも、舐めてほしいの?」
……。
耐えた。
なんとか耐えた。
「今日はこのへんにしないか?」
何とかその言葉を口に出す。
ユナはうなずくと立ち上がった。
「また明日、ね」
そう言って出て行った。
ふぅ。
男としてはどうかと思うが、致し方ない。
これも一流の魔術師になるためだ。
そう自分に言い聞かせる。
ただ、
今夜は寝れる気がしないな。