065 見えて来た終わり
見たことある景色が見えて来た。
角度は違うがあれは間違いなく蛇骨山脈。
蛇の背中に似ていることからそう名付けられた。
正直いうと背中なんだから、竜でも馬でもなんでもよかったと思うんだが、まあ野暮か。
オストロルに居たころ、この山は毎朝見ていた。
つまりオストロルはすぐそこ。
いや、すぐそこなんてものじゃない。
明日には着く。
三年半ぶりになるか。
「おい。何ボーっとしてんだ。日が暮れる前に宿まで行くぞ」
「ああわかってるよ」
この気持ちはなんだろうか。
不安と期待が入り混じる感覚。
不思議だ。
だいたい不安と期待って真反対じゃないか。
でも共存する。
やっぱりそうだ。
これこそが人間。
矛盾を抱えて生きていくのが人間なのだ。
と、齢十八の青年が何か申しております。
だめだな。
悪い癖が出ている。
不安になるといつもこうやって変なことを考える。
そして妙に納得して終わる。
本題から逃げている。
俺は怖いんだ。
オストロルについたときに、ユナがいなかったら。
いや、いないのはまだいい。
怖いのは俺のことを忘れてしまっていること。
それは耐えられない。
「なんだその腑抜けた顔は」
「……わかっちまうか」
「女のことでも考えていたのか?」
「ああ」
「はん!」
ひどい男だと思う。
こんな時にユナに会ったらなんて声をかけようか悩んでるなんて。
「だらしのない奴だな。日に日に精力がなくなってきているぞ」
「言っとくが、もう一人の女のことも考えてるぞ」
「……それはあたしも同じだ」
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今晩は老夫婦の家にお邪魔した。
ここらは宿がないし、ラマーナのごたごたで街道から離れているしな。
部屋は一つしかないが、明日にはオストロル。
でっかいベッドで寝ることができるはずだ。
今は辛抱。
とはいえ丁重にもてなしてもらったので文句は言えまい。
夕食をご馳走してもらい、さあ寝ようか。
明日に向けてゆっくりと休もうか、なんて思っていたら、ついにその時が来た。
「なあお嬢様。あたしらについて来ないか?」
イヴが切り出した。
お嬢様は黙ったままだ。
いつかこうなると思っていた。
イヴのことだから我慢できないこともわかってた。
だが、止める気もない。
俺だって気持ちは同じだ。
「明日にはオストロルに着きます。そこは実質ティロニアンの支配下です。そこまで行ったら、もう逃げられない」
お嬢様は依然黙ったまま。
目線も合わせてくれない。
「だから今しかないんです。ティロニアンから逃げられるのは今だけなんです」
真顔。
いや少し微笑んでるようにも、悲しんでいるようにも見える。
イヴはその様子を見ながら慎重に、しかし熱を持って話し続けた。
「お嬢様。貴方は本当によい人だと思う。志があって、芯もしっかりしている。そんな人が、これから一生男の世話をして終わるなんて。それも顔も知らない男に」
「知らない男と結婚するのは、貴族社会ではよくあることよ」
「それでも見合いとかあるでしょう! しかもジェネスとかいう奴は貴方の国の民をたくさん殺したんですよ! そんな――」
「イヴ。落ち着くんだ」
イヴの声色が変わりそうなところで止める。
怒鳴ったところで意味がないのはわかっているだろう。
「ゼオライト。貴方はどう思っているの?」
「私は……」
わかっている。
何を言っても無駄だということもわかっている。
俺の言葉にどう返すのかもわかっている。
「私は、お嬢様の心に従えばいいと思います」
「ふふっ。意地悪なこと言うわね」
でも、ここで何も言うなってのは無理があるってものだ。
「これは私の願いです。貴方には、好きに生きてほしい」
「それは難しいわね」
お嬢様は椅子を引っ張ると俺たちの前まで持ってきた。
静かに、優雅に座った。
「ゼオライト。貴方は以前こんなことを言っていたわね。自分の信念に反して生きるのは嫌だと」
「そうでしたね」
「でもね、どうしようもない『生まれ持った使命』というものがあると思うの。その人が生まれた瞬間に、いえ、生まれる前からしなければならないと決まっているもの」
生まれ持った使命。
その言葉を聞くと何故か鳥肌が立つ。
「私は王族の女として生を受けた。その時点で、自分の身よりも国のことや民のことを優先しなければならない。こればかりはどうしようもないのよ」
「だからって、そんなものに縛られたままの人生でいいんですか!」
非情に徹しきれないイヴが吠える。
おそらくこの件については彼女の方が悔しく思っているはず。
イヴはドワーフの女として生まれた。
その使命は村に籠り、働く男を支えること。
だが、イヴはそれが嫌になった。
ドワーフの女の使命を捨て、今に至る。
「貴方は人間だ! そんな他人が決めた通りの人生なんて、人形にでもやらせとけばいい!」
「人形、ね。何もしないお飾りの人形」
怒るイヴ。
しかしその反面、お嬢様は笑っていた。
「こんな童話があったわね。汚い男に愛でられることを強いられた人形が、ある日王子様に助けられて自由に生きる。外の世界を自由に歩いて、旅をし、そして好きな人と結ばれる。小さいころによく読んでいたわ」
お嬢様俯き、ドレスをぐっと握っていた。
「でも現実は都合よく王子様は助けに来ないし、だいたい人形は歩けないでしょう。所詮はおとぎ話。ありえないのよ、そんなことは」
「それはそうかもしれませんが――」
「だから、変に希望を持つより、きちんと現実を見ないといけない。わかるでしょう?」
「いや、でも……」
イヴが声を震わせながら。
そして恐る恐る聞いた。
「お嬢様、泣いているじゃないですか」
彼女の膝の上にポツリ、またポツリと滴が零れる。
俺たちは気づいていた。
この旅が終わってしまうことを一番悲しんでいるのは、お嬢様であるということに。
なぜなら。
「私は、貴方たちと旅をして来たのが、とても楽しかった」
お嬢様はあふれる気持ちを抑えながらそう言った。
「貴方たちはどう思っているか分からないけれど、私は初めてお友達が出来たような気がしていたの。お金や政治なんて関係ないどうでもいい話をしたり、一緒に見たことないものを見たり、食べたことのないものを食べたり。今までで一番充実した時間だった。だから、このまま貴方たちと自由に暮らしたい。それが私の本心」
涙を流しながら、しかし嬉しそうに話す。
それだけ楽しかったのだろう。
俺も楽しかった。
お嬢様と一緒に魔術を学んだり、ちょっと議論をしてみたり。
いい時間だった。
「でもね、私はクリストロフを愛しているの。お父様もお母様も、お爺様もお兄様も、そしてあの極寒の地を故郷だと思っている民も。みんな愛しているの。だから……、だからこそ苦しかった。貴方たちといるとふとクリストロフのことを、任務のことを忘れてしまう自分がいたの。最低よね。私を守るために何人も命を落としたのに」
それも本心なのだろう。
だからこそ迷いがあった。
俺たちはそれに気づいた。
「でも、せめて、今まだ生きている人だけでも救いたい。そしてその中には、貴方たちも含まれているわ」
「お嬢様……」
「だから、私にできることは、最初から一つしかないの」
お嬢様は椅子から立ち上がった。
目があった。
「ティロニアンに行き、ジェネスの妻となること。そうすれば、故郷の皆も貴方たちも命を落とすことはないわ」
涙は止まっていた。
初めて顔を見た時のようなキリッとした、どこか威厳のあるような。
そんな表情だった。
「そしてこれは私の信念でもあるわ」
この人のことだからこういうと思っていたよ。
そんなことはわかってた。
だけど、本人の口から聞きたかった。
なぜかって?
俺自身も悩んでいたんだよ。
お嬢様をどうすればいいのか。
なんて助言すればいいのか。
どこへ連れて行けばいいのか。
「それが、お嬢様の本心なのですね」
「ええ。そうよ」
イヴがお嬢様を抱きしめる。
お嬢様は無言で受け止めた。
そしてそっとイヴの背中に手を回した。
「イヴ。貴方がいたことが本当に心強かった。同じ女性としていろいろ気を使ってくれたし、面白い話もいっぱいしてくれたわね」
「ぐうう……」
イヴが離れる。
涙は、こらえたか。
「ほら、ゼオライト」
お嬢様が両手を広げて立っている。
え、俺もするんですか?
「王族の女を抱きしめる機会なんて、もうないかもしれないわよ」
「いやぁ、でも」
「おらぁ! 早くしろぉ!」
後ろからドンと押される。
ふらついたところをお嬢様に優しくキャッチされた。
いい匂いがした。
「ゼオライト。貴方もありがとう。私のわがままをたくさん聞いてもらったわね」
俺もお嬢様の腰に手を回した。
「それとごめんなさいね、この焼け跡。私も初めてだったから」
「別に大丈夫ですよ」
お嬢様はふふっと笑うと俺から離れる。
「すっきりしたわ。ありがとう」
それならよかった。
みんな笑顔だし。
俺も後悔はない。
て感じでいい雰囲気だったところに、イヴが待ったをかけた。
「あの、お嬢様!」
「何かしら」
「その、最後に何かしたいこととかありますか?」
イヴがさっき言ったように、自由に出来るのは今日が最後になるだろう。
だったらやりたいことは今のうちにやっておかなきゃ。
「でも……いいの?」
「私は大丈夫ですよ」
「ほら、ゼオもこう言っているじゃないですか。出来ることなら何でもしますし、どこにでも連れていきますよ。しょうもないことでもいいです!」
「そう? なら、どうしようかしら……」
顎に手を当てて考えるお嬢様。
そんな様子を見ながらイヴとニヤニヤしていた。
「私ね。自分だけの騎士が欲しかったの」
しばらくしてお嬢様はそう言った。
「王族の娘は15歳になると、自分の権限で好きに動かせる騎士団を作ることができるのだけれど、それにちょっと憧れていたの。でも結局その年齢になる前に国を出ることになってしまった」
「じゃあ、お嬢様のやりたいことって」
「そう。貴方たちをリオバルト騎士団に任命したい」
俺たちは何も言わずにお嬢様の前に跪いた。
そんなことでいいのなら、喜んでやるぜ。
「では、ここにリオバルト騎士団を結成します。騎士団長は私、リオ・バルト・クリストロフ。そしてイヴを鉄火騎士、ゼオライトを水晶騎士とする」
リオバルト騎士団、水晶騎士ゼオライト。
いい響きじゃないか。
「それと、ここにはいないライサンドにも疾風騎士の称号を与える」
聞いたかライサンド。
疾風騎士だってよ。
嬉しいか?
嬉しいだろうなぁ。
お前も大事な仲間だってことは、ちゃんとお嬢様もわかっているからな。




