040 氷の古竜
古竜を見たのは初めてだった。
そりゃそうだ。
現在居場所と名前が分かっている古竜は3体のみ。
どれも崇拝の対象になっていて、滅多にお目にかかれない。
それが今、目の前にいる。
でけぇ。
そして重い。
触っていないにもかかわらず、重厚感が伝わってくる。
その威厳ある風格は、ある種の美しさすら感じる。
次いで、ある疑問が生まれた。
なぜ古竜が現れたのか?
山奥に籠り、滅多に姿を見せないはずなのにどうして?
俺だけじゃない。
ここにいる全員がそう思っているだろう。
そして気づく。
目をカッと見開き、息遣いは荒い。
歯はむき出しになっており、下顎がピクピクと震えている。
どうやらヌシ様は機嫌が良くないようだ。
吠える古竜。
前脚を地面から離し、兵士たちを踏みつけようとしてきた。
兵士の中にはまだ腰を抜かして動けないものもいる。
「危ない!」
とっさに爆弾矢を数本投げた。
古竜の足元で爆発が起きる。
前脚は動きを止め、首を捻り、頭を俺の方へ向けてきた。
やべえ。
完全に俺のこと狙ってる。
こっからどうしよう。
ふと大使様の方を見ると、兵士たちがそりを運び、逃げる準備を進めていた。
イヴも、ライサンドも。
「え、ちょっとまっ…」
置いて行かれるんですか、俺。
そりに乗って逃げていく2人を見ていると、ライサンドがこちらに拳を突き出し、力強く頷いた。
「頑張れよ」ってか?
古竜の方を向くと、完全に身体をこちらに向けていた。
視線は俺をロックオンしている。
これは、ダメだな。
「か、かかってこいやぁ~!」
もう一度爆弾矢を投げつけ、大使様とは別方向に走る。
俺が囮になればいいんだろ!
やってやるよ!
古竜はこちらに向かって来る。
このままだと追いつかれるが、あそこにあるそりに乗れればなんとかなるかもしれない。
狼たちも律儀に俺を待っている。
まさしく人類の相棒だな。
待ってろ。
もうすぐ乗ってやるから――
「ぶしゃあ!」
突然、謎に叫び声とともに背中に衝撃を受ける。
俺の身体はそりの上に叩きつけられた。
畜生。
こいつの存在を忘れていた。
「ロー!ロー!」
狼たちに走れと声をかける。
そりが動き出し、奴の身体がぐらッと揺れた。
今だ。
右手から剣を出し、脚を斬りつける。
奴はバランスを崩し、そりから落ちていった。
そして霧の中に消えていった。
このまま古竜のエサにでもなっておけ。
さて、俺は早く古竜から距離を取らないといけない。
スピードは若干こっちのほうが上のようだ。
ならばいつかは撒けるはず。
はずなんだが…。
おかしい。
いまいち速度が上がらない。
1人ならもっと行けるはず。
いやそれどころか、どんどん遅くなっている。
まさか!?
後ろを振り向く。
嫌な予感は的中した。
そりの手すりの部分にナイフが刺さっている。
そこから糸のようなものが延びていた。
急いでそれを取ろうとした。
しかしナイフに触った瞬間、針のようなものが飛び出し、俺の手を貫いた。
「痛ぇ!」
そりの上でよろめく。
次の瞬間、奴が霧の中から現れた。
このタイミングを待っていたのだろう。
奴は物凄いスピードで俺に近づき、そのままの勢いで腹に拳を叩き込んだ。
足がそりから離れ、俺の身体は手綱を括ってある場所に打ち付けられた。
その衝撃でそりの操舵部が破壊され、狼たちと分かれてしまった。
俺は慣性で進むそりの上で呼吸も出来ずに、ただ横たわっていた。
脳はまだぐわんぐわんと揺れ、目は視点が定まらず、吐き気を催す。
それほどまでに強烈な一撃だった。
そして視界が安定しない中で、俺は奴の姿を捉えた。
ナイフを持ち、馬乗りになり、俺の喉を掻っ切ろうとする姿がそこにあった。
咄嗟に身体が反応する。
一種の生存本能のようなものか。
俺の腕は奴のナイフと首を掴んでいた。
「ぐうううぅ…」
2人の攻防が始まった。
テクニックもクソもない力だけの攻防。
俺は生死をかけた最後の力を振り絞った。
しかし、力では勝てない。
ナイフの先端は遂に、俺の喉に到達した。
その時だった。
「ギュアアアアアンン!!」
奴の後ろから古竜の頭が霧の中から現れた。
そして大きく口を開けた。
一瞬だった。
辺りに霧のようなものが充満し、キラキラと輝いていた。
全身痛くなるほど急激に気温が下がる。
目の前には氷漬けになった第七星の姿。
噂には聞いていた。
『氷の古竜は冷気を操る』と。
『吐く息は死の霧であり、全てを止める』と。
少し俺の腕が動いた瞬間に、第七星の身体は砕け散った。
掌には奴の首と腕がこびりついたままだ。
血が出ることはなく、最早それは石のようだった。
運が良かった。
奴が俺の上にいたおかげで、氷の霧が直撃しなかった。
脚は多少凍っているが、火の魔術で溶かせばなんとかなる。
しかし、古竜は再び氷の霧を放とうとしている。
魔法壁で守れるか?
いややるしかない!
すると突然、古竜の頭が爆発した。
古竜はよろめき、叫んだ。
耳がつぶれそうだ。
だが、よくわからないが助かった。
火の魔術を唱え、自分に張り付いた氷を溶かしていく。
幸いにも氷の膜は薄く、すぐに動けるようになりそうだ。
どうやら、どこからともなく火の玉が飛んできているらしい。
火の玉は古竜を襲い、じりじりと押して行っている。
かなり大きな火の玉だ。
出しているのは実力のある魔術師か、それとも…。
身体に張り付いた氷を溶かし、動けるようになった。
それと同時に呼び声が聞こえた。
「おーいゼオライト!よくやった!」
イヴとライサンドだ。
そりに乗ってこっちに向かってくる。
「お前ら、逃げたのかと思ったぞ!」
イヴの差し出した手を掴み、そりの上に乗る。
ライサンドは慣れない手つきで方向を変え、大使様の方へ向いた。
「大使様は宮廷魔術師だったらしい。気を引いている間にお前のこと助けてやれ、だってよ」
そうだったのか。
大使様、そしてこの2人に感謝だな。
古竜の方を見る。
霧雪がかかっているのか、よく見えない。
が、なんとなくすぐ近くにいることはわかる。
古竜の発する空気、あるいは圧をまだ感じているからだ。
先ほどの大使様の魔術で怯みはしたものの、あんなもので引くような玉ではない。
再び強い風が吹く。
風圧で霧が晴れた。
そこには翼を羽ばたかせた古竜の姿があった。
ほれみろ。
まだまだ元気じゃないか。
ていうか、よくあの巨体が宙に浮くな。
飛竜はまだ飛びそうな見た目とサイズをしているが、古竜は流石に無理がある。
なにか物理法則を越えた強力な力が働いているとしか思えない。
いや、だからこそ古竜なのだろう。
だからこそ魔神も恐れるのだろう。
古竜は俺たちの方を見向きもしないで大使様の方へ飛んで行った。
そして、氷の霧を吐いた。
大使様一行の姿が見えなくなる。
完全に包まれたか。
「あれはやべえぞ!ゼオ、なんとかできないのか?」
古竜はまだブレスを吐き続けている。
あれでは全員凍っちまう。
となれば、迷っている場合ではない。
「なんとかなる、かもしれない」
一度も使ったことがないが、アレをやってみるしかない。
師匠と別れる時に教えてもらった伝説の魔術の一つ。
ある意味絶好の相手だろう。
呼吸を整え、詠唱を始める。
右手を高く掲げると、掌に黒い渦が現れ、詠唱が終わる頃には槍の形を成していた。
『竜殺しの槍』。
その名に恥じぬ力があるのか。
見せてもらおうじゃないか。
左手を古竜の方に伸ばし、距離と角度を測る。
落ち着け。
あの巨体ならどこかに当たるはずだ。
もう一度呼吸を整え、腕を振りかぶる。
そして投げた。
槍は周りの霧を吸い込みながら飛んでいき、古竜の背中をかすめた。
当たらなかった。
しかし、古竜は攻撃を止めた。
その場で羽ばたきながら、ぎろりとこちらを見てきた。
ごくり。
唾を飲み込んだ。
古竜はしばらく舞っていると、巨体をぐるりとひねらせ、東の方へ飛んでいった。
「もう、大丈夫なのか?」
「さあ…」
今の一撃。
とても効果のあったようには思えない。
だがあっさりと諦め、去っていった。
やはりこの槍には、なにか秘められた力があるのだろうか。
すると、そりが止まった。
振り返ると山が。
「対岸に着いたのか?」
どうやらそうらしい。
なんとかユーバーランドにたどり着けたようだ。
「ふう…」
心の底から安堵した。
今になって、自分が古竜という伝説と対峙していたことの実感が湧く。
死ななくて本当に良かった。
「お前ら!ボーってしてる場合か!」
イヴが叫ぶ。
そして走り出した。
「大使様の様子を見に行くぞ!」
そうだった。
大使様たちは大丈夫なのだろうか。
俺が助かったのも大使様のおかげだ。
慌ててそりから降り、イヴについて行くように走り出した。




