038 かすかな記憶
「ここが、ダネル海峡…」
ちょうど朝日が昇ってくるところだった。
日光が波に反射して、目をチラチラとかすめてくる。
さっきまでの吹雪とは違い、心地いい風が吹いている。
振り向いて後ろを見る。
追手はいない。
流石に諦めたのだろう。
良かった。
「はああ…」
何とも言えぬ感覚に包まれる。
達成感というか、脱力感というか。
それとともに違和感も感じた。
俺は本当に尾の谷を抜けれたのか?
まあ、なんでもいい。
今はただ休みたい。
-----
尾の谷を抜けた俺たちは近くの宿に泊まることになった。
体力回復のためにしばらく留まるそうだ。
生き残ったのは大使様らと王国兵13人。
そして、俺とイヴとライサンド。
合計19人。
部隊の大半が洞窟の中での戦いと尾の谷で亡くなってしまった。
なんということか。
裏切りによって部隊が崩壊するなんてあまりにも酷いじゃないか。
だが、そんなことを考えている暇はない。
犠牲者はまだまだ増えていく。
「寒い、寒い…ああ、寒いよお」
宿についてから半日ほど経ったころ、1人の兵士が亡くなった。
急に体温が下がり、ゆっくりと意識を失っていったのだ。
身体の芯は既に凍っていたのだろう。
「誰かぁ、誰かいないのかぁ?俺はもう…」
「俺はここにいるぞ!しっかりしろ!」
そしてまた1人、体調不良を訴え、それがこの有り様だ。
意識がはっきりしていないのか、ずっと誰かに呼びかけている。
「ゼオ、少し退室する。気分がすぐれなくてな」
隣にいたイヴが暗い顔で立ち去っていった。
はっきり言って俺も見るに耐えない。
せっかく尾の谷を越えたというのに、こんなところで死んでしまうというのか。
こんなにあっけなく…。
「さ、寒い…よ…」
「おい、おい!目を覚ませよぉ!これじゃ、あんまりだぜ!」
彼の友人なのだろうか。
彼が倒れてからずっと看病している。
涙を流しながら必死に呼びかけている。
だが、それも無駄だった。
「…嘘だろ」
ついに彼は動かなくなった。
-----
「イヴ、具合はどうだ」
暖炉の前のテーブルにイヴの姿があった。
「あたしは大丈夫だ。それよりあいつはどうなんだ?」
「……」
「そうか。残念だったな…」
彼女は何も入っていないコップをじっと見ている。
「…はあ」
暖炉の前のケトルを取り、コップに白湯を入れてやる。
白い煙がイヴの顔を覆った。
「ああ、ありがとう」
「何だか、らしくないな」
「あたしだって心を痛める時はある」
イヴのこんな姿は始めて見た。
何が起きようと構わず進んでいくイメージがあったが、彼女も1人の人間だということか。
まあ正確にはドワーフなんだけれども。
「私はな、戦神を崇める勇敢なドワーフなんだ。そんなドワーフが一番恐れていることが何かが知ってるか?」
「教えてくれ」
「無駄死にだ」
イヴは白湯を啜ると、じっと俺の顔を見た。
熱いものを飲んだからか、頬がわずかに赤くなっている。
そして立ち上がり、俺の横の椅子に座った。
「今からする話は、他言厳禁だぞ」
俺は無言で頷いた。
「別にあたしはあいつが無駄死にしたと思っているわけじゃないぜ。あいつは国の為に戦い、大使様を護衛するためにここまで来たんだ。素晴らしいことだと思う。…だが、あたしはどうだ?」
胸に手を当て、うなだれる。
肩は震えていた。
「はっきり言って、大使様に忠義を感じていねえ。この任務に参加したのも所詮金の為だ」
「それは俺も同じだ」
「いや、違うね。お前には守るべき人がいる。そうだろ?祖母か友人か彼女か知らんが、お前にはいるはずなんだ」
守るべき人か。
いつか恩返ししたいと思っている人は多くいるが、ある意味守るべき人とも言えるだろう。
それがイヴにはいないというのか。
「あたしは故郷を捨て、親とも縁を切った。家庭を持つわけでもなく、友人と言えるのは…まあお前くらいなものだ。そんな奴が今死んだとして何が残るのか。いや、そもそも何のために生きているかと、疑問に思うわけだ」
イヴは戦士になりたいと言っていた。
だが、守るべきものがあるから戦士がいるのだ。
目的と手段がごっちゃになっている。
かつて俺もそうだった。
魔術師になることが夢だった。
そんな俺に師匠はこう言った。
「一番大事なのは魔術を使って何をしたいかじゃ」
今でもはっきりとした答えを出せるわけではないが、少なくとも守りたい人はできた。
だとすれば今のイヴに必要なものは…。
「イヴ。僕のことを守ってくださいよ」
「…はぁ?」
「僕が死んだら悲しみますか?」
「そりゃあ、悲しむと思うけど…」
「じゃあいいじゃないですか。他に目的ができるまでの間だけでいいので、僕のことを守ってください」
イヴはきょとんした顔をしている。
だが次第に唇をわなわな震わせて、ついに笑い始めた。
「なに笑ってんすか」
「くくくっ。お前、男が女に守ってくださいって、恥ずかしくないのか?ええ?」
確かにそうだが、なにも笑うことはないだろう。
こっちは真剣なのに。
「ぷぷっ。ま、まあなんか元気出てきたし、ありがとうな」
「それならいいですけど…」
「うん。お前を守るかどうかはまた検討させていただくよ」
イヴはそういうと立ち上がり、廊下の方へ向かった。
「そろそろ交代の時間だな。あたしはライサンドたちを起こしてくるから、お前はもう寝な」
「ありがとう」
俺も立ち上がり、廊下に向かった。
「そういえばあいつら、全然寝れないとか言ってたけど大丈夫だろうな。今頃爆睡してたらどうしよ」
「その時は僕も起こしに行きますよ」
「ああ、頼むよ」
イヴに別れを告げると、俺は部屋に入った。
先ほど兵士が亡くなった部屋だ。
死体は既にどこかに運ばれたようで、彼を看病していた兵士はまだベッドにもたれかかって俯いている。
なんと声をかければ良いのか。
とにかく俺は肩を叩いた。
ひんやりとしていた。
「おい!」
彼の身体を揺さぶり、大声を出した。
だが返事はない。
脈は…ない。
さっき俺が部屋を出てからそんなに時間は経っていないはず。
なのに、どうして。
とにかくこのことは早くみんなに知らせないと!
俺は部屋を飛び出した。
するとそこには女性が立っていた。
金髪で白いドレスを着ており、背中には羽が生えていた。
「な、なんでお前がここにいる!」
「あら」
彼女は、俺が死にかけた時に出てくる天使。
はっ!
ということは…
「その通り。あなたを迎えに来たわ」
そんな。
俺もここで…。
彼女は俺の頭を掴むと顔を近づけて来た。
そしてこう言った。
「さあ、目を覚ましなさい」
-----
「うわぁ!!」
がばっと身体を起こす。
俺は今何をしていたんだ?
見渡すと、辺り一面雪が積もっていた。
そして周りに人が倒れていた。
状況が読めないが、とにかく俺は近くにいる人を叩き起こした。
「大丈夫ですか!聞こえますか!?」
「お、おお?」
良かった。
生きてる。
ホッとしていると、次々と兵士が起き上がりだした。
その中にはイヴとライサンドの姿もあった。
そして馬に乗った大使様たちも現れた。
「ここは…」
「おお!見ろ、キヴォルクの街だぁ!」
「なんと…施しを受けたのか?」
兵士の1人が叫んで歩き始めた。
それに続くように他の兵士たちも歩き始めた。
皆喜んでいる。
「おいおい。もう尾の谷を突破したってことかぁ?」
ライサンドが呆けた顔をしながら近寄ってきた。
状況が読めてないらしい。
「とりあえず彼らについて行きましょう」
「そうだな」
振り返るとイヴはまだ突っ立っている。
一体どこ見てんだか。
「おーい、イヴ。行くぞー」
「…え、あ、ああうん」
イヴも何が何だかという顔をしている。
実際俺もよくわかっていない。
まあ、なんでもいい。
今はただ休みたい。




