77.クルーズ編 呪術の材料
俺を店長に引き渡した老人と眼鏡秘書は何度もペコペコ愛想よく頭を下げ、船室を出て行った。俺はオークション始まって以来の最高値だそうで、今後も長いお付き合いをお願いしたいのだとか。
ようやく船室で店長と二人きりになった俺の最初の一言は、感謝なんかじゃなかった。
「店長、……おバカさんですか?」
「仕方ないだろ。橘くんが、なかなか諦めないから……ちょっとムキになっちゃったんだよ」
拗ねたように唇を尖らしつつ、店長は俺の手首を縛っているロープを解いてくれた。
「それにしたって、500万ドルなんて――……、……」
さすがに自分のことを『いくらなんでも高すぎでしょう』とは言えず、俺はごにょごにょと言葉を濁した。スンと鼻をすすってから、
「ありがとう、ござい……ます」
気まずさMAXで俯き、礼を言う俺に、店長はそれはもう嬉しそうに微笑んだ。
「どういたしまして……!」
「…………」
あ、もしかして……この500万ドル、俺の借金にプラスされるかも……という恐ろしい考えが一瞬頭をよぎる。
こ、怖すぎて店長に聞けないっ!
今月の給与明細でこっそり確認しよう……。
そこで俺は大事なことを思い出した!
「あ! 店長、パトラッシュが封じられてるみたいなんですけど、解放してやれますか?」
「あぁ、パトラッシュね……」
店長はやれやれ……と呆れたような眼差しを俺の背後へと向けた。
「パトラッシュなんて呼ばれ続けて毒気抜けちゃった? 本来の君なら、その程度の呪縛なんかどうとでもなるだろ。カマトトぶってないで、さっさと戻りなよ」
言葉の最後で店長の髪がふわりと揺れた。
まるで強い風に煽られたように見えたが、俺にはそよ風すら感じない。
「あの……、店長?」
「パトラッシュなら、自力で呪縛を解いたよ」
マジか……。
そういえば、以前に橘がパトラッシュのことを『凄く強い』と言ってた。けど、俺がパトラッシュなんて優しい名前をつけちゃったもんだから性質が変化してきているという店長の言葉を思い出す。
なんとも複雑な気分だ。
コンコンコン、とノックの音がして店長がドアを開くと、橘と百園さんが立っていた。
百園さんが俺に駆け寄ってくる。
「都築さん、大丈夫ですか?」
「うん、百園さんも怪我はない? 無事で良かった!」
俺と百園さんは手を取り合ってお互いの無事を確認し、喜んだ。
百園さんは、かなり怖い思いをしたはずなのに、ずっと俺の心配をしてくれてたようだ。
優しい……。
「あ……えっと、橘も……色々ありがとう」
「……はい」
俺は橘にもちゃんと礼を言ったが、ちょっと残念そうだ。
そ、そんなに俺を競り落としたかったのか? 橘……。
そんな橘に、店長が勝ち誇ったように声をかけた。
「ふふふ……都築くんを競り落としたのは僕だからね、橘くん」
あんた、ちょっと黙っとけ!!!!
「都築さん……力及ばず、すみません……」
待て、橘! なんで涙ぐんでるんだ!?
なんだろう……とにかく、何かすごく怖い……。
俺が謎の恐怖に震えていると、店長が小さく咳払いした。
「さて、と……これで依頼も完了だし、後はのんびりクルージングを……」
「依頼? これって誰かの依頼なんですか?」
店長の言葉を遮るように質問すると、橘がコクンと頷いた。
「十和子さんからのご依頼なんです。お仕事でどうしても現場を離れられないそうで、ご自分の代わりに百園さんを助けて欲しいと……」
店長は楽しそうに、小さくぷぷっと思い出し笑いをした。
「あんな十和子さん、初めて見たよ。『百園さんを助けるためなら金に糸目はつけません!』って言ったんだよ、あの十和子さんが……」
あの十和子さんが!?
いつだって優しく楚々とした十和子さんのイメージとかけ離れた台詞に、俺はあんぐりと口を開けた。
百園さんは、ちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに小さく笑った。
「あれ? じゃあ、俺を助けてくれたのって……」
俺の問いに、店長は涼しい表情で答えた。
「百園さんのついで、だよ」
聞かなきゃよかった……。
いや待て、『ついで』で500万ドルも出すわけない……ここは店長のツンデレだと思っておこう。
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店長の船室は特別室で、寝室とリビングの二部屋もあり、さらにミニキッチンまでついていた。長期の船旅でもゆっくり過ごせそうな部屋だ。
リビングのテーブルについた店長、橘、百園さんのために、俺はミニキッチンでお茶を淹れる。皆でお茶するなんて……こんな何でもない平和が戻って来たことに、俺は改めて喜びを噛み締めた。
俺が皆の前にカップを置いてまわると、改めて店長が口を開く。
「というわけで、買い取り……じゃない、救出作戦も無事完了したし、後はゆっくりクルージングを楽しもうか」
店長の言葉に、俺は目をパチクリさせた。
「待って下さい、他の子たちは?」
「え?」
「え??? 他の子たち、助けないんですか?」
今度は店長が不思議そうに目を瞬かせる。
「どうして他の子まで助けるの?」
ものすごーく純粋な疑問、という体で問われてしまい、俺は一瞬言葉を失った。そうだった、この人は基本的な倫理観とか色んな面で『宇宙人』なんだ。
「いや、だって……助けないと!」
俺と店長のやり取りを見ていた百園さんが遠慮がちに声を上げる。
「買い取られた子たちは、どうなるんですか? BクラスとかCクラスとか言われてましたけど……」
それまで黙っていた橘が、神妙な表情で重い口を開いた。
「彼女たちは、百園さんのように霊感が優れているとか特別な力があるわけじゃないので……僕が見たところ、Bクラスは降霊や召喚の媒体としてぎりぎり使えるか、という感じでした。それで使い捨てにされるか、もしくは呪術の材料にされるか……」
「材料? 材料ってなんだよ?」
嫌な単語に、俺だけじゃなく百園さんも眉を寄せた。
言いにくそうにしている橘を横目でちらりと見た店長は、カップを口に運んでコクリと一口飲んでから説明を引き継いだ。
「古今東西、呪術っていうのは人間の体や臓器を使うものが多い。特に召喚系はたいてい贄が必要だし、他にも――…」
店長はいったん言葉を切り、俺と百園さんを交互に見た。
「例えば、有名なところだと『コトリバコ』だね……。都市伝説って言われてるけど、あれは普通に使われてる。材料さえ手に入れば、たいした術者じゃなくても作れる超有能呪詛アイテムだから」
百園さんが青ざめて息をのんだ。
コトリバコ……?
都市伝説には興味もないし詳しくもない俺は、初めて聞く単語だった。
俺の反応を見れば、知らないのが丸分かりだったのだろう。
店長は苦笑しつつ説明を続ける。
「子を取る箱と書いて『子取り箱』……百年以上の長きにわたって、相手の子孫を絶やす呪力を持つ『呪いの箱』だ。組木細工で作られたからくり箱に、子供の遺体や体の一部を入れて、呪いたい相手にプレゼントする」
「…………プレゼント?」
「もらった相手は精巧なからくり箱を開けられない。中を確認することも出来ないまま、一族の女性や子供が呪われて根絶やしにされる……」
こっっっっわ!!!!
「箱に入れる『材料』の数が多ければ多いほど強力で、全部で八段階あるけど……一番上は強すぎて呪った側も死んじゃうから、シロウトが作るなら五段階目くらいが限界かな……」
「…………」
もう言葉も発せられなくなってしまった俺を、店長はしばらく静かに見つめ、最後につけ加えた。
「世の中にはその手の呪術がいくらでもある。そして材料を欲している人間も多い。ここは、そんな需要に応えてくれる場所なんだよ」
俺は机にバン! と手をついた。
「そんな材料に使われると分かってて、ほっとけませんよ!!」
百園さんは俺に同意とばかりに頷いた。
しかし橘は視線を下げ、何やら考え込んでしまう。
店長は緩く首を振った。
「百園さんは力に目をつけられて攫われたと思うけど、あの子たちは違う。ほとんどが家出とかそういう類の子たちだ。こういう組織の一番主流な仕入れルートは、SNSで良くある『神待ち』とかそういう類のものだからね」
神待ち、という単語は聞いた事がある。
たしか、家出少女がその日一晩泊めてくれるところを探して、SNSで募集をかけることだ。犯罪の温床になってるって、社会問題として取り扱ってるテレビ番組を見たことがある。
「……だから何だって言うんですか?」
自業自得だとでも言うつもりか、店長……。
「あの子たちの親も学校も単なる家出だと思ってるし、社会的にもただの『行方不明』だ。毎日、日本国内だけで何人の行方不明者が出てると思う? 警察が事件として取り扱うこともない……」
「だから、何だって言うんですか!?」
俺の声には苛立ちが混じってしまうが、店長はあくまで冷静に言葉を続ける。
「だから、依頼を受けたわけでもないのに助ける義理も必要もない。都築くん……何度も言うけど、この仕事はボランティアじゃないし、僕たちは正義の味方でもないんだよ」




