63.病院編 然るべきタイミング
数日後、俺は再び夜の営業前の休憩時間に病院へ来ていた。
店長から釘を刺されたが、俺はアレクが心配だ。ほっとけない。とりあえず今日は、アレクが一佳ちゃんを霊として認識してるかの確認だ!
「ゴホンッ、……んん゛ーっ……」
アレクの病室前で咳払いをし、気合いっぱいでドアを開く。
「アレク、お見舞いに来たぞ~!」
「都築、また来てくれたのか!」
嬉しそうなアレクの声が迎えてくれる。俺はニッと笑って持って来た紙袋を見せた。
「今日の差し入れは、店長特製カツサンドだ!」
「おぉーっ! ソース味が恋しくなっていたところだ。尾張のやつ、分かってるなぁ」
アレクは嬉しそうに紙袋を受け取り、シャインマスカットとサンドイッチがみっちりつまっているパックを取り出した。
ランチタイムの営業後に店長が揚げたカツは、まだサクサクのほかほかだ。ボリューミーなトンカツに合うちょっと甘めのソースと和辛子の絶妙なバランス。『肉を食べている!』という満足感たっぷりのシロモノだ。
味見した俺が言うんだから、間違いない!
アレクはさっそくカツサンドを豪快に頬張った。俺は見舞客用の椅子に腰かけ、幸せそうにモグモグしているアレクを眺める。
あっという間にカツサンドをたいらげ、デザートのシャインマスカットを摘まんだアレクは思いだしたように俺へ視線を向けた。
「そういえば、俺たちを殺そうとした奴等……尾張が話をつけてくれたんだってな」
「ん? あぁ~、俺も良く知らないんだけど、あの組の親分さんが店長の知り合いらしい。店長、顔広いからなぁ」
「そうなのか……」
どこかすっきりしない様子でアレクはシャインマスカットを口へ運ぶ。しかし、その手を止めて独り言のように呟いた。
「あの坊ちゃん、どうしたものか……」
「!!!!」
思わず俺の肩がビクッと震えた。
『まだアレクを失いたくないだろ? 世の中には知らない方がいいこともあるからね』
微笑む店長の姿が蘇り、嫌な汗が浮かぶ。
「えぇ~っと、坊ちゃんの方も……店長が、なんかこう……上手いことやってくれたっぽい。だから俺たちはもう関わらない方がいいらしい」
バカか俺は! ふんわり曖昧すぎる!
もっと上手いこと誤魔化せないのか!?
ダラダラ流れる汗に気づかれないよう椅子から立ち上がる。さり気なくアレクに背を向けて窓へと近づき、外を見るふりしてカーテンを開く。
「上手いこと? ……そう、なのか」
背後から聞こえるアレクの声は腑に落ちない……といった様子だ。しかし深く追求してくることなく、アレクは小さなため息を吐いた。
「そうだな……俺一人でどうこうできる相手じゃない。かといって『ムーンサイド』に頼むには……先立つものが、ない」
そう、アレクはビスクドール事件の支払いも分割払いの途中なんだ。まったく、世知辛い世の中だぜ。
アレク自身の安全のためとはいえ、嘘をついたり誤魔化したり……俺は上りたくもない『大人の階段』をまた一段、上ってしまった。
たそがれながら窓の外へ目をやると病院の中庭が見渡せた。花壇の横のベンチに座って日向ぼっこしている患者の姿も見える。
「アレクシスさーん、失礼します!」
ノックの音に続いて病室のドアが開き、看護師さんが車椅子を押して入って来た。
「今日はお天気も良いので、お散歩に……っと思ったんですが、お見舞いの方がいらしてるならまた後にしましょうか」
「あ、俺が行きます! ばぁちゃんが入院した時、よく車椅子で散歩に連れて行ってたんで慣れてますから」
俺の提案に看護師さんは「それなら」と笑顔で頷いた。
「お散歩が終わったらナースステーションへ車椅子の返却をお願いしますね」
「はい!」
看護師さんを見送り、車椅子をベッド脇に寄せる。両足とも骨折しているアレクだが、元々筋力があるのとバランス感覚がいいのか、軽く支えるだけでベッドから車椅子に移動した。
「悪いな、都築」
「気にすんなって!」
冷えないように上着を羽織らせ、ふかふかのブランケットを膝にかけてやる。慎重に車椅子を押して病室を出た。
さっき窓から見えた中庭を思いだす。散歩にちょうど良さそうだ。
「中庭に行ってみよう。花壇やベンチもあったぞ」
「そうだな……、先にちょっと寄って欲しいところがあるんだが、いいか?」
「もちろん!」
エレベーターに乗り込むと、アレクは四階のボタンを押した。売店にでも行きたいのかと思ったが違うようだ。案内パネルに手術室や集中治療室と書いてある。
「知り合いでも入院してるのか?」
「あぁ……」
四階に着き、車椅子を押してエレベーターから降りる。
集中治療室は廊下から中の様子が見えるよう、壁に大きなガラスがはめ込まれていた。ベッドが並び、重篤な患者が寝かされている。どの患者も意識はなく、点滴や様々な計器類に繋がれていて、ピピッピピッという電子音だけが聞こえる。
アレクがガラス越しに奥から二つ目のベッドを指さした。
「都築、あそこの女性……見えるか?」
女性は全身包帯で覆われている。重傷のようだ、痛々しい。大きく膨らんでいるお腹に気づく。
「妊婦さん……?」
「あぁ、一佳ちゃんのお母さんだ」
「一佳ちゃんの……?」
思わず聞き返す。アレクの瞳が小さく揺れた気がした。
アレクは女性を見つめたまま言葉を続ける。
「幼稚園からの帰り道、交通事故に遭ったらしい。一佳ちゃんは亡くなってしまったが、母親はずっと意識がないまま……もうすぐ出産だそうだ。一佳ちゃんは赤ちゃんが産まれるのを楽しみにしていたのに……」
一佳ちゃんが幽霊だってこと、アレクはちゃんと分かってたんだ。
「もしかして、アレクが一佳ちゃんを浄霊しないのは――…」
「あぁ、せめて……赤ちゃんが産まれるのを見届けさせてやりたい。それにもう少しだけ、母親の傍に……、……」
奥歯を噛み締めた。「泣くな」と自分に言い聞かせる。辛いのは俺じゃない。
一佳ちゃんも、アレクも、あのお母さんも……そして産まれてこようとしてる赤ちゃんだって……。
「都築……この間はありがとう。一佳ちゃんのこと見えないのに話を合わせてくれて助かった。一佳ちゃんは決して強い霊じゃない、存在を否定すればそれだけで消えてしまうかも知れない」
「そう……なのか」
「もう少しだけ、俺たちに付き合ってくれるか?」
「もちろん」
泣きそうなのがバレバレだったのかアレクは困ったように小さく笑った。
「都築、中庭へ行こう」
「うん……」
アレクの車椅子を押して再びエレベーターに乗り込む。一階に着き、中庭へ出た。アレクに何か声をかけたいのに言葉が見つからない。情けない。
外の空気は冷たいが澄んでいて、冬の柔らかい陽射しが優しい。ふいにアレクが花壇の方に向かって軽く手を上げた。
「一佳ちゃん、ここに居たのか。おいで、一緒に散歩しよう」
アレクが優しく手招く。
俺は一佳ちゃんとアレクと一緒に中庭の小道を進む。会話に入ることは出来ないが、精一杯の笑顔で車椅子を押した。
「冷えてきたな……都築、そろそろ病室に戻ろう」
「分かった」
雲が出てきて陽が陰り、少し寒く感じたところでちょうどアレクから声がかかる。俺は車椅子の向きを変えた。
院内に戻ろうとした、その時――…。
「あれ? 都築だ、また会ったね」
声に振り向くと橘が立っていた。可愛く首を傾けて微笑んでいる。
橘じゃない、こいつは……
「万里……」
驚いたアレクが俺と万里を交互に見比べた。
「ん? んん? 橘じゃないのか?」
「あー、その人も京一のトモダチ? 俺は京一の弟だよ」
万里は話しながら近づいて来て、アレクの顔を至近距離で覗き込んだ。あまりの近さにアレクは完全に固まっている。
橘の顔と声で、このくだけた雰囲気だもんなぁ……。俺が万里に初めて会った時も、今のアレクみたいなマヌケな表情をしてたに違いない。
しかしアレクの立ち直りは早かった。万里に笑顔を向ける。
「俺はアレクシス・ナインハートだ。よろしく」
万里は目を細めてうっすら笑みを浮かべ、値踏みするようにアレクを見た。初対面にしてはちょっと失礼だぞ。
「ふぅん……エクソシストか。京一も顔が広いなぁ……」
えっ!? 見ただけで分かるのか!?
俺だけじゃなくアレクも驚いたように目を見開いた。そんな俺たちを面白がるように万里はふふっと笑い、車椅子の横に視線を向ける。
「それに、ずいぶん可愛い霊を連れてるね。怪我してて祓えないの? それなら俺が――…」
伸ばそうとした万里の腕を、アレクがガシッと掴んだ。
「不要だ。然るべきタイミングで俺がきちんとするから……放っておいてくれないか」




