62.病院編 お見舞い
夜の営業までの休憩時間。
ランチタイムの後片付けとバータイムの準備を終え、俺はアレクの見舞いに来ていた。
小さく一つ深呼吸してから病室のドアを開く。
「都築、来てくれたのか!」
嬉しそうなアレクの声が迎えてくれる。
全身ぐるぐる巻きだった包帯は減ったが、骨折した右手と両足はがっちり固定されたままだ。
サイドテーブルにはアレク愛用の聖書が置いてある。暇つぶしのマンガやゲームなどは見当たらない……入院中までストイックだなぁ。
ベッドで起き上がるアレクに、持って来た紙袋を差し出す。
「これは店長から差し入れ。病院食も飽きてきただろうってさ」
「おぉ、ありがとう! 病院食ってのは、どうにも薄味で物足りない……」
アレクは嬉しそうに紙袋を受け取り、さっそく中を覗き込んだ。それには一口サイズのカットオレンジと店長特製のサンドイッチが入っている。
スモークサーモンとクリームチーズにアボカドを挟んだサンドイッチは彩りも鮮やかで味も抜群だ。もう一種類のレタスとスライスゆで卵にローストビーフを挟んだやつも、かなり美味い。
味見した俺が言うんだから、間違いない!
「美味そうだ!」
アレクは嬉しそうにサンドイッチにかぶりついた。豪快な食べっぷりからみて、もうすっかり元気そうだ。後は骨がくっつくのを待つだけだな。
「次は時間潰しになるようなもの持ってくるよ。暇だろ?」
「いや、そんなに暇でもない。レントゲン室の待ち合いで順番待ちの子と仲良くなったんだ。毎日のように遊びに来てくれるんだぞ。一佳ちゃんといって、小児病棟に入院しているらしい」
「へぇ~、一佳ちゃんか……」
そういえばクリスマスにも子供達と一緒にアドベントカレンダーを作ったり、クリスマスクッキーを配ったりしてたな。面倒見が良く、気さくで優しいアレクはきっと子供から好かれるタイプなんだろう。
けど、病棟が違うのに自由に来れるんだろうか……。
「今日もお気に入りの絵本を見せてくれると言っていた。そろそろ来る頃じゃないかと……――お、一佳ちゃん!」
アレクは嬉しそうに病室の入り口に向かって笑いかけ、手招きした。
「都築、この子が一佳ちゃんだ。仲良くしてやってくれ」
「……え、……っと……あ、あぁ……」
どどどどどうしよう。
病室のドアは開いてなんかいない。
女の子どころか誰も入って来ていない。
なのにアレクは、今ここに一佳ちゃんが居るかのように紹介してくれる。
俺に見えないということは、つまり……。
「……よ、よろしくね。一佳ちゃん」
引きつりそうになる頬でなんとか笑顔を作った。
しかし全く見えない相手に話を合わせるにも限界がある。
俺はいかにも「今、思い出した!」という体で「あっ!」と声を上げた。
「そろそろ店に戻らないとバータイムに間に合わないっ! そ、それじゃ! また差し入れ持ってくる!」
「あぁ、ありがとう」
アレクと、見えない一佳ちゃんになんとか笑顔で手を振り、そそくさと病室を出た。
病院内だから走り出すわけにいかず、それでも出来るだけ早足で廊下を歩く。一刻も早く店に戻って店長に報告&相談だ!
ナースステーションの前を過ぎ、エレベーターに乗って一階へ下りる。病院の大きな吹き抜けのホールを歩いていると、受付カウンターの前で人とぶつかりそうになった。
「っと、――…すみません! あれ? 橘!?」
目の前の意外な人物に目をパチクリさせる。
「どうしたんだ? 怪我でもしたのか? てか、こっちに来てるなら連絡くれればいいのに……」
病院で会うなんて祓いの仕事中に怪我でもしたのかと、頭のてっぺんから足元まで視線を走らせる。そんな俺を不思議そうに見ていた橘は、急にふふっと笑みを漏らした。
「あんた、都築っていったっけ? 俺、京一じゃないよ」
「あ……!」
軽く首を傾けて悪戯っぽく笑う橘……いや、橘はそんな表情しない。
「万里くん、か?」
「万里でいいよ」
それにしても見れば見るほどそっくりだ。素の表情だったら見分けがつかないだろう、さすが双子。
俺がまじまじ見ているのに気づいた万里は楽しそうに笑った。
「都築、どっか悪いの?」
「いや、友達の見舞いに来たんだ。万里こそ、どこか悪いのか?」
「俺もお見舞いだよ――…母親の」
「あ……」
そういえば橘が言ってたな、母親は体が弱くてずっと入院してると。
この病院だったのか。
「じゃあ、またね。都築」
万里は可愛く笑ってエレベーターの方へ歩き出す。
「あぁ、また……」
ん? また???
思わず返事してしまったが、「また」というのが何だか引っかかった。
離れていく万里の姿を目で追う。ちょうどタイミング良く開いたエレベーターに乗り込んだ万里は、「ばいばい」とこちらに手を振った。エレベーターのドアが閉まる。
母親か……どこの病棟に入院してるんだろう。なんとなく気になり、エレベーター上部のパネルへと目をやる。何階に行くかで、どこの病棟か分かる。
「え……?」
エレベーターは病棟がある上の階ではなく、下へ……地下へと移動している。エレベーターが止まったのは――…。
「地下三階……?」
壁の院内案内図を確認するが地下三階には何の表記もない。
母親の見舞いじゃない、のか? 地下三階って何があるんだ?
総合受付へ近づき、カウンターに座っている女性に声をかける。
「あの、すみません……」
「どうされました?」
「地下三階って何の病棟ですか?」
女性は困惑の表情を浮かべた。
「地下三階に病棟はありません。関係者以外立ち入り禁止です」
「立ち入り禁止?」
「はい。地下三階は緊急用の自家発電室と……それから、霊安室です」
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「本当なんですよ! アレク、女の子の霊に憑りつかれてます!」
「ふぅ~ん……」
バータイムの開始ぎりぎりに店に戻った俺は店長に報告していた。しかし店長はグラスを磨きながら気のない返事しかしてくれない。
「でも『その子は幽霊だ!』なんて言える雰囲気じゃなくて……店長、聞いてますか!?」
「聞いてるよ、女の子の霊だろ?」
「それに橘の弟の万里にも病院でばったり会って、母親のお見舞いって言ってたのに地下三階に……って、聞いてますか? 店長!」
あれもこれも一気に伝えようとするあまり、俺の話は支離滅裂なのかも知れないが、それにしたって店長の反応があまりに薄い。
「はいはい、万里くんね。元気ならそれでいいんじゃない?」
「店長は二人のこと心配じゃないんですか!?」
食ってかかるような俺の言葉に、店長は呆れたように軽く肩を竦め、磨いていたグラスをコトリと置いた。
「あのねぇ、都築くん。ちょっとお節介が過ぎるんじゃない? アレクはあれでもエクソシストだ、自分でちゃんと対応するよ。それに万里くんだって、彼なりの事情や理由があるんじゃないの? 詮索しない方がいい」
「……それは、そう……かも、知れないけど」
俺が言葉に詰まると店長は小さくため息を吐き、くるりと背を向けて棚にグラスを戻した。
「特に万里くんのことは――…、あまり関わらないようにしなさい」
「店長?」
棚の方を向いている店長の表情は見えない。
けれど、その声には反論を許さない何かがあった。




