61.クリスマス編 秘密の契約
いつの間に意識を失ったのか記憶は曖昧だ。
目覚めると病院だった。
俺とアレクは並んでベッドに寝かされていて、二人とも包帯でぐるぐる巻き。しかもアレクは腕や足をがっちり固定されている。いったい何ヵ所骨折してるんだろう……。
「大変だったね」
店長の声が降って来て視線を上げる。優しく微笑む店長の姿にモーレツな安堵に襲われ、俺の涙腺は崩壊した。
「てんちょぉ……っ……」
胸に熱いものがせり上がってきて言葉が詰まる。
店長は見舞客用の椅子を二つのベッドの真ん中に移動してきて腰を下ろした。
「アレクは大丈夫なんですか?」
「うん。骨折してるから完治まで時間はかかるけど、もともと頑丈だからね」
アレクが生きてて良かった……本当に、良かった!!
ホッとすると同時に体の力が抜け、俺はぐすんと鼻をすすった。
「……良かった」
「良くない! 都築くんだって低体温症でかなり危なかったんだから。まったく、パトラッシュが血相変えて知らせにきてビックリしたよ」
「そっか……パトラッシュ、ありがとう」
近くにいるであろう愛犬に礼を言う。
助けてもらってばかりの不甲斐ない飼い主で情けない。
「店長、俺たちがあの山にいた事情は……?」
「把握してるよ。君たちを拉致した三人組のこともね」
俺は青ざめた。恐怖で体が強張る。
「俺たちが生きてるって知られたら、また襲われるかも!!」
慌てる俺に、店長は軽く首を傾げて綺麗に微笑んだ。
「大丈夫。あの組の親分さんはムーンサイドのお得意様だよ」
「…………はい???」
俺は今までの人生で一番マヌケな声で聞き返した。
「あぁいう関係の人は恨みも買いやすい。それに昔ながらに験を担いだり方角を気にしたり、そういう事が根強く残ってる業界なんだ。僕は親分さんの専属アドバイザーをしてる」
「あど、ばい……ざー……?」
「うん、さっき『うちの若い者が失礼をした』って謝りにいらしてたよ。そこのお花も親分さんからだ」
店長が指差す壁際には新装開店のパチンコ屋にでも飾ってそうな巨大な花が置いてある。俺は酸欠の金魚のように口をパクパクさせた。
よく見ればベッド横のサイドテーブルにも色々と置いてあるぞ。大きなリボン飾りのついたカゴからメロンが顔を覗かせている。老舗和菓子店胡月堂のマークが入った大きな紙袋まで……!
「もしかして、あれも?」
「あれは君たちを拉致した三人組から。アレクも都築くんも意識がないのに泣いて土下座してたし、許してあげなよ」
その様を思い出したのだろう、店長はそれはもう楽しそうにふふっと笑った。
「…………」
怖い。この人が一番怖い……。
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俺は大きな怪我も骨折もなく数日で退院できた。
病院を出たその足でムーンサイドへ向かう。俺の入院中は臨時休業していたらしい。
「年内に退院できて良かったね」
「ありがとうございます。ご心配かけました」
俺がカウンターの椅子に腰かけると、店長が緑茶を入れてくれる。
「そうそう、今月のバイト代に労災も入れておくから病院の領収書出しておいて」
「ろうさい???」
「今回は仕事中の怪我だから業務災害だ。労働基準法に従って被災した従業員に補償を負う保険、それが『労災』だよ」
「つまり仕事中の怪我の治療費は保険が出るってことですか?」
「うちはほら、福利厚生だけじゃなくそういう所もちゃんとしてるから! 安心して就職して!」
にっこり笑顔の店長に俺は苦笑いしか出ない。
「そういえば店長、さっきから何やってるんですか?」
軽く腰を浮かせてカウンター越しに店長の手元を覗き込む。
店長はケーキを切り分けていた。
「新作のデザートですか?」
「うん。これから例のお屋敷にお正月料理の見積書を持って行くことになってるんだ。このケーキは坊ちゃんに……」
と言いつつも、店長は俺の分も取り分けてカウンターに置いてくれる……優しい。
「ありがとうございます。ってか、結局あの坊ちゃんに憑いてる何かを祓ったわけじゃないんですよね?」
問いかけながらミルクレープをフォークで一口サイズにして口に運ぶ。
リンゴバターとマスカルポーネチーズのミルクレープ!?
店長、やっぱりあんた天才だ!!
「祓ってない。というより、祓うのは無理だ」
「無理?」
「あれは『悪魔の寵児』だよ。日本でも数十年に一人くらいのペースで見つかってる。生まれつき悪魔に愛されている子だ」
「あ……」
俺の手からフォークが滑り落ちた。
そういうホラー映画を観たことがある! 確か、生まれつき悪魔に守られてるというか、その子じたいが悪魔みたいな……ダミアンとかいう男の子の話だ。
数十年に一人!?
そんなハイペースであんな怖い子供がぽこぽこ産まれてるのか!?
「ど、どどどどどうするんですかっ!?」
「どうって……さすがに危なっかしくてほっとけないだろ? だから会いに行くんだよ、このケーキを持ってね」
『祓うのは無理』なんてさらっと言っておいて『会いに行く』だと!?
「俺も行きますっ!!」
俺はフォークを掴みなおし、残りの絶品ミルクレープを慌てて頬張った。
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「それでは、この見積書の通りに材料の発注をさせていただきます」
「えぇ、よろしくお願いします。美味しい料理を楽しみにしています」
見積書を確認した奥様は優雅に微笑んだ。
俺と店長は応接室に通されていた。店長が見積もりの内容を説明している間、俺は神妙な面持ちで大人しくふかふかソファに座っていた。
説明が終わり、見積書をクリアファイルにしまった店長は思いだしたように奥様へ声をかける。
「あぁ、それから……新作のケーキをお持ちしたのですが、良かったらお味見していただけませんか?」
「あら嬉しい!」
奥様は目を輝かせた。この人もすっかり店長の料理の虜なんだな。
「ぜひ坊ちゃんからも感想を聞かせていただきたいのですが……」
「あの子、最近部屋に籠り気味なの。声をかけたら出て来るかしら……」
奥様は少し困っている様子で小さくため息を吐いた。
「でしたらホットミルクと一緒に子供部屋へお持ちしても?」
「そうね……お任せするわ」
奥様の了承をもらった俺たちは厨房へ移動した。
店長は鮮やかな手つきで奥様用のロイヤルミルクティーと、坊ちゃん用のホットミルクを用意した。俺はケーキプレートにミルクレープとフルーツを盛り付ける。
応接室で奥様にケーキセットを出してから二階の子供部屋へ向かった。
ノックをするとすぐに子供の声が応える。
「なに?」
「クリスマスパーティで料理係をしました、尾張と申します。坊ちゃんにケーキをお持ちしました。お召し上がりいただけますか?」
ほんの少しの間があってドアが開く。
「入っていいよ」
相変わらず人形のように愛らしい男の子だ。
この子が本当に『悪魔の寵児』なのか?
店長に続いて俺も室内へ入り、ケーキとホットミルクのトレイを勉強机に置いた。
坊ちゃんは椅子に座るもののケーキにはあまり興味なさそうだ。
「僕に用があるんでしょ? やっつけに来たの?」
口調は変わらないのに幼い声はひどく冷たい。そして余裕すら感じさせる。
「とんでもない、その逆です」
店長は坊ちゃんの前に膝をつき、頭を下げた。なんだか分からないが俺もマネしておく!
店長がゆっくりと言葉を続ける。
「本日はご提案に参りました」
「提案?」
「恐れながら今はまだお力を培ってらっしゃる最中とお見受けします。あまり派手に動かれて、教会や祓い屋に目をつけられては面倒なことになります。しばらく……十五歳になるまでは『普通の子供』としてお過ごし下さい」
店長の言葉遣いは小学校入学前の子供には難し過ぎるように感じる。でも坊ちゃんはちゃんと理解しているようだ。
「十五になったら何があるの?」
「政財界に限らず、どのような分野でも業界でもお望みのまま、お力を存分に発揮していただける環境をご用意致します」
「へぇ……そんな事できるの?」
坊ちゃんの表情が変わり店長の方へ身を乗り出す。
「はい。『血の契約』を交わしても構いません。その代わり――…」
「なにを望む?」
「どんなに覇権を握られても『ムーンサイド』のことをお忘れなきよう……お引き立てとお目こぼしをお願い致します」
は???
店長、なに言ってんだ?
「なるほどね。いいよ、分かった」
坊ちゃんの声はまるで悪戯の相談でもしているかのように楽しげだ。
そっと顔を上げた俺は、微笑みあう店長と坊ちゃんに心底恐怖を感じた。
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三十分後、厨房――…。
ティーセットとケーキプレートを洗い終わり、俺は思いっきり複雑な気分で手を拭いた。
帰り支度をしている店長にチラリと目をやる。全く何事もなかったかのようだ。
「店長、本当に大丈夫なんですか? あんな約束……」
「ん? あぁ、大丈夫。アレクと都築くんを病院送りにした、あの組の親分さんも実は『悪魔の寵児』なんだよ」
「はい???」
「ここの坊ちゃんも素晴らしいビジネスパートナーとして成長してもらわないとね。子供のうちに教会にでも捕まったら大変だ。大人しくしててもらえるよう、しっかり見守らないと!」
ご機嫌だ。そして、この人は正気だ。
怖い。この人が一番怖い……。
ふと思い出したように、店長がくるりとこちらを向いた。
「都築くん、このことアレクには内緒だよ。あれは教会の人間だから。まだアレクを失いたくないだろ? 世の中には知らない方がいいこともあるからね」
口元に人差し指をあて、『ひみつ』とばかりに微笑む店長……。
俺は確信した。
悪魔より、神様より、人間が一番怖いのだと。




