60.クリスマス編 偶然を操る力
「と、とにかく落ち着こう、アレク! いったん脇道へ入って車を停めよう、次の交差点を左折だ!」
アレクはほとんどパニック状態だ。このままでは事故ってしまう。
たくさんの車が行き交う幹線道路から交通量の少ない方へ誘導し、ようやく車を停めることができた。
「はぁ~……」
額に汗を浮かべたアレクは大きく一息つき、震える手をハンドルから放した。俺の心臓もバクバクだ。
「アレク、深呼吸しよう!」
二人一緒にスーッフーッスーッフーッと大きく吸ったり吐いたりを繰り返し、少しずつ落ち着いてくる。いつの間にか握りしめていた拳を開くと手の平は汗びっしょりだった。
大事故にならなくて良かった……。
ふと、車窓から見える景色がゆっくり動いているのに気づく。
「アレク、車が動いてる!」
「え? あ、ギアがっ!」
ガシャンッ!!
焦るアレクの声に被るように大きな音がして車が揺れる。
マズい! 他の車にぶつかった!!
慌てて車から降りると三人の男性が怒声をあげながら駆け寄ってくる。
「おい、何やってんだ! ぶつかったじゃねぇか!!」
その人たちの車にアレクの車が突っ込んでしまっている。
「すみませんっ!!」
がばっと頭を下げる。
「申し訳ない!」
俺の隣でアレクも謝った。
「謝ってすむ話じゃねぇだろ、どうしてくれんだ!?」
ガラの悪い男たちが声を荒げて詰め寄って来る。運悪く怖い人たちの車だったようだが、悪いのはこっちだ。慌ててポケットからスマホを取り出す。
「すぐに警察呼んで事故の処理をしてもらいますね」
「やめろ、バカ!!」
怒声と共にスマホが叩き落される。俺は驚きで目を見開いた。
な、なんでっ!?
「警察なんか呼ばれてたまるかっ!」
「えぇっ!?」
グイッと強くアレクに腕を引っ張られた。アレクの視線の先へ目をやると信じられないものが視界に飛び込んで来る。
建物の間の細い隙間……路地の奥に人が倒れている。小さく苦し気な呻き声が聞こえた。大怪我をしている。
男の一人が舌打ちした。ずいぶんイラついているようだ。
「おい、さっさと回収しろ!」
「はい!」
指示された男が倒れている人へ走り寄り、地面に散らばっている何かを拾い集める。それは白い粉の入った小さな袋――…。
あぁ~っ!! これは目撃したらダメなやつだ!!
怖い人たちが怖い事をしている現場に遭遇してしまった!!
ようやく状況を理解した瞬間、後頭部にガンッ! と重い衝撃を受け、俺は意識を失った。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
「う゛……、っ……」
ゆっくりと意識が戻ってくる。
振動を感じる……車に乗せられているようだ。
体は全く動かせない。うっすら目を開くと、がっちり縛り上げられていた。
猿ぐつわが食い込んで痛い。
視線だけ動かして周りの様子を窺う。
アレクも同じように縛られているようだ。
一気に血の気が引く。
これはどう考えても口封じで始末される流れだ。
よく知っているはずの道でなぜか迷い、たまたま入った路地で、たまたま車の操作を誤り、たまたま怖い人たちの車にぶつかり、そしてたまたまマズい現場を目撃してしまった……。
これが店長の言っていた『偶然を操る力』?
「おう、気が付いたか。もうすぐだから大人しくしとけ……つっても、どんだけ大騒ぎしようがこんな山ん中じゃ誰にも気づいてもらえねぇけどな」
男の一人が俺の顔を覗き込み、ナイフの刃でぺたぺたと頬を叩く。
アブナイです、やめて下さい……。
窓の外は日が陰って暗い。流れる景色は木々ばかり……。
あぁ~、これ……殺して山に捨てるつもりだ。
「う~~~っ、……うぅ~~~……」
猿ぐつわのせいで唸り声を漏らすのが精一杯。パトラッシュに助けを求めたいが、まともな言葉を発することもできない。パトラッシュが俺の思考を読めれば何か出来たかもしれないのに……。
恐怖で涙目になりガクガク震える俺を見て、ナイフ男は楽しそうにニヤニヤ笑う。
車が停まった。
「着いたぞ、降りろ!」
アレクと俺は車から乱暴に引きずり降ろされた。
「もうちょい奥に行かねぇとな。ほら、歩け!」
ナイフを突きつけられ、恐怖で震える足を叱責して歩き出す。下手に抵抗したらこの場で刺されそうだ。
隣を歩くアレクの額から血が流れ落ちている。頭を殴られて怪我したんだろう。アレクの足がふらついている。俺は鼻の奥がツンと痛くなった。
このまま山奥へ連れて行かれて殺されてしまうのか……?
山道は足元も悪く、すぐ横は木々が生い茂る急斜面だ。
殺されたら、こういう場所に投げ捨てられるんだろうか……父さん、母さん、先に死んでゴメン! ばぁちゃん、ひ孫の顔見せてやれなくてゴメン!!
涙で視界が歪む――…その瞬間、隣のアレクが動いた。
「…――っ!?」
今まで抵抗もせず大人しく従っていたアレクに、男たちは油断していたようだ。
そしてそれは俺も同じだった。
なんの心の準備もないままアレクの体当たりをまともに受けた俺は見事にふっ飛び、さっき覗き込んだ急斜面をアレクと共に転がり落ちた。
「んん゛~~~~~~っ!!!!」
猿ぐつわがなければ『ぎゃ~~~っ!』と情けない悲鳴を上げていただろう。
俺たちは団子状態で斜面を転がり、木の幹にぶつかり、大小の石に体中打ちまくり、視界はぐるぐる回転する。
「逃げたぞっ!」
「探せっ!!」
男たちの声が遠ざかっていくが、「助かった」なんて思える余裕なんてない。
縛られているせいで頭を庇うことも出来ず、俺はまたしても頭をぶつけて意識を失ったのだった。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
生きてる……?
暗闇から浮上するように意識が戻ってくる。
あちこち傷だらけのはずなのに痛みを感じない。
ただ下半身がやけに冷たくて、ほとんど感覚がない。自分の体じゃないみたいだ。
朦朧としつつ何とか目を開くが、視界がぼやけてよく見えない。
微かに水音が聞こえる。
そうか……転がり落ちたとこに川があったんだな。
体の感覚がないのは濡れて体温が奪われているからだろうか。
ぼんやり考えていた俺の体が、急にズズッと動かされた。
「???」
アレクが俺の服の背中を咥えて引きずり、川から引き上げようとしているようだ。
落ちた時に猿ぐつわは外れたようだが体は縛られたまま、それでもアレクは俺を川岸に移動させてくれる。
自分で動きたいのに指一本動かすことができない。頭も体もどこかふんわりした感覚で、ちゃんと覚醒してないような変な感じだ。
俺の猿ぐつわもいつの間にか外れているのに声が出ない。というより、口が動かない。
川からようやく俺を引き上げ、アレクは苦し気な息を漏らした。
アレクだって酷い怪我をしてるのに……。
「そんなに怒るなって……」
アレクの掠れた声が聞こえる。
「お前の大事な飼い主をこんなめに遭わせて悪かった。本当に、すまない――…」
あぁ、パトラッシュと話してるのか……。
何か言いたいのに俺の唇はわずかに震えただけだった。
「俺は式神も使い魔も持っていない。お前しか頼れないんだ、パトラッシュ。尾張を呼んできてくれ……お前だってこのまま都築を死なせたくないだろう?」
アレクはいったん言葉を切り、苦しそうに大きく息を吐いた。
「犬神の契約がどんなものか……飼い主以外の頼みを聞いてもらうには、どうしたらいいのか……俺は知らない。もし俺の魂で事足りるなら、お前にやる……だから、頼む。尾張を――……、……」
言葉の最後は小さく掠れて消えた。
体の痛みよりずっと、胸の奥が痛い。熱い。苦しい。
歯を食いしばった。涙が溢れる。
橘もアレクも……皆、みんな……自分の命をなんだと思ってんだ!
アレクの魂を代償に助かって、俺が喜ぶと本気で思ってるのか!?
能力者なんてバカばっかりだ!!!!
なんとか首を動かしてアレクを見る。完全に意識を失ったのかピクリとも動かない。
頬が熱い。
涙がぼたぼたと地面に落ちた。
「アレクの……っ……、……ば、か…………」
ようやく絞り出した俺の声は小さく掠れ、呟きにもならなかった。




