57.クリスマス編 男の子
「悪霊とか、そういうのがいるってことですか?」
「何か、まではまだ分からない」
店長は探るようにぐるりと周囲を見回した。
アレクも何かの気配を探るようにパーティルーム内をゆっくりと歩きまわる。
「何かいるなら祓わないと!」
俺は何も感じられないが、それでも何かの正体を探る手伝いができないか?
俺にもできることは――…。
考えていると小さなため息が聞こえ、振り返る。店長が呆れ顔で俺を見ていた。
「祓わないよ」
「…――は?」
頭の上に「?」をいっぱい浮かべた俺に、店長は一つ深呼吸してから口を開いた。
「何度も言ってるけど『祓い』は仕事だ、ボランティアじゃない。依頼もなしに祓ったりしないよ。ただ、パーティの間とばっちりで被害に合わないように気をつける……それだけ」
相変わらずビジネスライクな店長の言葉に、俺は思わずアレクへ問いかける。
「アレクはそれでいいのか? 日曜礼拝に通ってきてくれるご夫婦なんだろ?」
「それは、そう……なんだが…………」
歯切れが悪い。
あぁ~、そうだった。
前にも教会に通っている七瀬さんという女性の祓いをしたことがあった。
あの時は七瀬さんからの依頼がなかったため、俺の提案でアレクからムーンサイドへの依頼という形になったんだ。そして俺達は膨大な額の祓い料を請求されてしまった。
世知辛い世の中だ……。
「せめて何かの正体だけでも!」
食い下がろうとした時、視界の端でパーティルームの大きなドアが開き、俺は言葉を切った。
ドアの向こうは玄関ホールのようだ。
小さな男の子が、ひょこっと顔を覗かせた。
「だれ? 何してるの?」
この屋敷の子かな、幼稚園くらい……小学校には上がっていないだろう。
見るからに『いいとこの坊ちゃん』といった感じだ。
顔立ちはハーフっぽい。金色の髪はサラサラで癖もなく、くりくりの大きな瞳は綺麗なアイスブルー。そして白い襟付きのシャツに紺のベストとズボン。
その姿はお人形……いや、天使のように愛らしい。
思わず見惚れてしまった俺の横をすり抜け、店長がその子に近づく。
膝をついて視線の高さを合わせた店長は優しく微笑んだ。
「パーティの料理係です。今日は美味しいデザートもたくさんご用意してありますよ、楽しみにしていて下さいね」
「ふぅ~ん……?」
男の子は説明を聞きながら、店長の肩越しに俺とアレクを交互に見た。
目が合ったのでニッと笑って小さく手を振ってみる。
男の子は不思議そうに何度か目を瞬かせると、くるりと背を向けてパーティルームを出て行ってしまった。
店長はさっきまでの柔らかい笑顔が嘘のように厳しい表情で立ち上がる。
「店長?」
「奥様の味見用に取り分けをしてくる」
店長は振り返ることなく厨房へ戻ってしまう。
どう見ても様子がおかしい。
「アレク、どう思――…っ!? アレク? どうした?」
男の子が出ていったドアを凝視したまま、アレクは青ざめ呆然と立ち尽くしている。
「アレク! 真っ青だぞ。気分でも悪いのか?」
慌てて駆け寄り服の袖を強く引くと、アレクはハッと我に返ったように俺を見た。
「都築……大丈夫だ、……すまない」
いや、待て!!
ぜんっぜん大丈夫じゃないだろ!!!!
店長といいアレクといい、一体なんだっていうんだ!?
「さっきの子、この屋敷の子だよな? 日曜礼拝に来てるっていう……」
「あぁ、いや……礼拝に来ているのはご夫婦だけだ。あの子は来たことがない」
「そうなのか」
家政婦さんもいるから一人で留守番ってわけでもないだろう。けれど、あんな小さい子……両親と一緒に出かけたがるもんじゃないだろうか。
「さっき話してた何かが、あの子に憑いてるのか?」
「そういうわけじゃ……、……いやしかし、……そうだな、あの子は――…」
ずばり質問してみたが、アレクはどこか上の空で曖昧にしか答えない。
その時、突然ピピッピピッピピッと電子音が響いた。
アレクは慌ててポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。
「すまない都築、俺はそろそろ教会に戻らないと……。パーティが終わる頃、片付けを手伝いに来る」
アレクは苦々しい表情でスマホをしまい、厨房へのドアへと向かった。
俺も慌てて追いかける。
厨房では、店長が料理を一口サイズに取り分けて皿に並べていた。
店長はアレクをチラリと一瞬だけ見て、作業を続ける。
「尾張、くれぐれも気をつけるんだぞ」
「分かってる、アレクこそ下手に動くなよ」
「あぁ……」
今まで感じたことのないピリピリした空気に、俺は全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
またしても俺だけ仲間外れだが、突っ込んで問いただせるような空気じゃない。
勝手口から出ていくアレクの後ろ姿にモーレツな不安に駆られ、思わず後を追う。
車に乗り込もうとしたアレクは急に動きをとめ、何やら少し考えてから俺の目の前まで歩み寄って来た。
「アレク?」
「都築は大丈夫だと思う、が……何があるか分からない。今日はパトラッシュにハウスさせるな。ずっと自由にさせておくんだ、いいな?」
俺の顔を覗き込み言い聞かせるアレクの眼差しは、見たことないくらい真剣だ。
俺はただ頷くことしかできなかった。
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アレクの車を見送り、厨房へ戻ると綺麗な女性が店長と話していた。
華やかな赤いワンピースに金髪とアイスブルーの瞳。
さっきの男の子の母親だと一目で分かる。奥様なのだろう。
店長が取り分けていた味見用の皿から料理を口に運び、満足そうに微笑んでいる。
明らかに日本人ではないが、流暢な日本語から長期滞在なのが分かった。
「このローストビーフに使われているソース、とても美味しいわ。ソースの販売はしてらっしゃらないの?」
「ありがとうございます。あいにくソースのみの販売は承っていません」
「そう……残念。あら、このオードブル見た目も可愛いし味もなかなか……」
店長の料理はどれも好評のようだ。
「パーティは十二時から始まるので、五分前には料理のセッティングを終えて下さる?」
「かしこまりました」
「あぁ、それから……玄関ホールを挟んで向かいの部屋がサンルームになっています。もう何人かのお客様がいらしててシャンパンだけお出ししているの。そちらのデザートを運んでいただけるかしら?」
奥様は大皿に並ぶ色とりどりのミニデザートを指さした。
「はい」
「それでは、よろしくお願いしますね」
奥様は満足げに微笑んで厨房を後にする。
店長は数種類のミニデザートを選んで皿に並べなおし、厨房の端に置いてあったワゴンにセッティングした。
「都築くん、サンルームの方を頼める? 僕はパーティルームに料理を並べ始めるから」
「分かりました!」
お客様に失礼があってはならない。
店長とアレクが話していた何かはまだ気になっているが、なんとか気持ちを切り替える。「よし!」と気合いを入れ、ワゴンを押して厨房から出た。
サンルームはすぐに分かった。
両開きのドアの片方が開かれていて、中から楽しそうな声が聞こえている。
「失礼します」
明るい声でしっかりと挨拶し、俺はサンルームにワゴンを運び込んだ。
「あら、美味しそう!」
「とっても綺麗! 食べるのがもったいないわ」
そこに居たのは着飾った男女と子供達……合わせて十人くらいだろうか。
ケーキスタンドに並ぶデザートに歓声が上がる。
一口サイズのそれらは、ムーンサイドでランチにつけているミニデザートの豪華版といったところだ。
子供達や女性陣がワゴンを取り囲む。
「どれも美味しそうで迷っちゃう……」
「それなら、フランボワーズソースのレアチーズケーキがおすすめです、うちの一番人気なんですよ!」
「じゃあ、それをお願い。その隣のミルクレープも欲しいわ」
「かしこまりました! ……どうぞ!」
俺は愛想よく笑顔で次々と取り分けていたが、ふと気づいた。
子供達の中に、さっきの男の子がいない。
何人も友達が来てたら、普通は一緒に遊びたくなるんじゃないか?
不思議に思いながらもデザートを配り終えてサンルームを出たところで、男の子が廊下に立っているのが目にとまる。
「……あ、さっきの」
男の子は俺と目が合うと愛らしく首を傾げ、ちょいちょいっと手招きした。
「ん? なに?」




