54.温泉編 大人の仕事
アレクが車から運んできたのは大きな風呂敷包みだった。宴会場の真ん中で店長がしゅるりと風呂敷を解き、全員が覗き込む。
「あれ? これって……」
この桐の箱、どっかで見たような気が……。
俺の隣で橘が不思議そうに呟いた。
「これは、お爺様……いえ、先代から尾張さんへお贈りした物だったはず」
そうだ! これは橘家の先代から「ムーンサイド」へ贈られたものだ。
京都で俺が橘を手伝ったお礼にと、くれたやつじゃないか!
橘がわざわざ京都から持ってきて店長に渡していた。
京都銘菓じゃなくてガッカリしたのを覚えている。
店長が桐箱の蓋を開く。
やっぱりそうだ、不思議な装飾の施された鏡が入っている。
「店長、この鏡がお座敷様の代わりになるんですか?」
「うん。これは結界の有効期限が切れるのを見越して、五年前からご隠居……先代が力を込めて用意していたものだ」
「えっ!? 五年も前からっ!?」
俺、橘、十和子さん、そしてアレクまでが驚きの声を上げた。
店長はゆっくりと頷き、指先でそっと鏡の縁をなぞる。
「橘くんは、『橘家備忘録』でお座敷様のことを知ったんだよね? 三代前の当主がお座敷様を閉じ込めたという記録を見て、どう思った?」
「……お座敷様に申し訳ない、と思いました。でも、お仕事として仕方なかったのかも……とも」
「そう、君はただ『申し訳ない』と思っただけだ。『橘家備忘録』にはお座敷様を閉じ込めた術式も記してあったはず。それをきちんと読み解いていれば、結界の有効期限が今年切れるのもあらかじめ知ることができたと思わない? ご隠居は有効期限が切れるタイミングでお座敷様を解放し、ここの依頼主も納得する方法を考えて、五年前から準備してらしたってこと」
鏡の縁の複雑な装飾にゆっくりと指を滑らせつつ、店長は淡々と説明する。
橘は驚きの表情で店長の説明を聞き、鏡へと視線を落とした。拳をぎゅっと握った横顔は、明らかにショックを受けている。
こいつの事だ、また自分の至らなさだの何だのを痛感して落ち込んでしまうだろう。
「ちょ、ちょっとストップ! 店長、それならそうと最初から言ってくれれば良かったじゃないですか! 何で黙ってたんですか? 橘がこれを持ってきたのも『お礼』としてだったし……先代と一緒になって秘密にしてたって事ですか?」
問い詰めるような俺の言葉に店長は軽く首を傾け、悪戯っぽく笑った。
「先代のご意向でね。色んな意味で橘くんの当主としての成長を確認したいって……。だから、今回は僕が鏡をお預かりして来たってわけ」
「そんな――…っ、……」
「備忘録を預かるというのがどういう事なのか、そしてその情報を活かすも殺すも橘くん次第だってこと、よく分かったんじゃないかな」
「はい、肝に銘じます」
申し訳なさそうに俯いてしまった橘に、店長は軽く目を細めた。
「今回は僕に背いてお座敷様を解放するかどうかが合格ラインだったから、まぁギリギリ合格かな」
意地の悪いテストだな……。
お座敷様の代わりになる鏡を準備しておきながら、店長は頑なにお座敷様を捕まえようとしてたってことだろ。橘が悩んで迷って、どうするか見るために……。
いや、この人のことだ……面白がってノリノリでやってたような気がする。
不満気な俺の表情に気づいているだろうに、店長は素知らぬふりで橘へと言葉を続ける。
「ところで、さっき都築くんが止めなかったら……本気で僕とやってた?」
どこか楽しんでいるような、それなのに酷く冷たく聞こえる店長の声に、橘は俯いたまま緩く首を振った。
「僕の手足何本か……いえ、僕の命を差し上げてもいいと思いました。その間に十和子さんがお座敷様を連れて逃げて下されば、それでいいと……」
は!? 無抵抗でやられる気だったのか!?
それはそれで違うだろ、橘!!
橘の返答に、店長はため息を吐いた。
「さっき、ギリギリ合格って言ったけど前言撤回! 減点、マイナス、不合格!」
「えぇっ!?」
真っ青になって困惑の声を上げた橘に、店長は呆れたような視線を投げる。
「都築くんに叱ってもらいなさい」
店長に言われるまでもなく俺は橘に襲いかかり、その頬っぺたを掴んでムニ~ッ! と抓ってやった。
「いっ、いひゃいれすっ! いひゃいれすっ!!」
「おーまーえーなーっ! この前も言っただろ! そんなあっさり自分の命を使うな! 手足だって二本ずつしかないんだぞ! もっと大事にしろっ!!」
「すっ、すみませんっ!」
俺の手が離れても、橘の頬っぺたは真っ赤に腫れあがったままだ。
前に叱られたのを今思い出したとばかりに、橘は慌てて謝った。
アレクと十和子さんは苦笑しつつ俺たちを見ていたが、店長は桐箱に蓋をし、それを抱えて歩き出す。
「店長?」
「ん、女将にこれを渡してくる。それで仕事は完了だ。今日はもう遅いから、今夜もう一泊させてもらって明日の朝に帰ろう。せっかくの三連休だし、フルに温泉を楽しまないとね」
扉の前で立ち止まり、振り返って綺麗に微笑む店長は、完全に『旅行気分』の顔をしていた。
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夕食のための広間には女将も姿を現した。そりゃもうニコニコと見るからに上機嫌だ。
お座敷様の『代わり』が、お気に召したようで良かった。
女将は橘の姿を見つけると笑顔で近づき、丁寧に頭を下げる。
「ご隠居様からの鏡、尾張様から確かに受け取りました。ご隠居様にどうぞよろしくお伝え下さい」
「はい」
ちょっと複雑そうな橘だが……まぁ、仕方ない。
「あの鏡をフロントに飾っておくだけで、お祀りもお供えも不要なんて本当にありがたいです。別館も改装して客室として使えるように致します」
なるほど……そりゃ上機嫌にもなるわな。
橘はめちゃくちゃ葛藤して悩んでいた。お座敷様を解放したい、『仕事』だけど、それでも自由になってもらいたい! って。
あの素直で優しい橘が店長に歯向かうなんて、ものすごーく勇気がいったと思う。
そうやって俺と橘が青春の荒波でもがいてる時に、店長やご隠居――…大人たちはちゃんと抜かりなく『仕事』を遂行してたってわけだ。
俺や橘もいつか、そんな風に『仕事』ができる大人になれるんだろうか……俺はちょっぴり複雑な気分で、女将と話している橘の横顔を見つめていた。
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店長はもう一泊ゆっくりすると言ってたが、十和子さんと橘は今日中に帰るらしい。
俺は店長とアレクと共に、旅館の外まで見送りに出た。
「それでは、私はこれで。またお仕事でご一緒できるのを楽しみにしています」
柔らかく微笑んだ十和子さんは、店長、アレク、橘、俺のそれぞれに丁寧にお辞儀をして迎えの車に乗り込んだ。
十和子さんの車が見えなくなると、橘は改めて店長に頭を下げた。
「この度は大変勉強になりました。ありがとうございました」
「うん、ご隠居によろしく」
「はい」
電車で帰るという橘は、最寄り駅まで番頭さんが車で送ってくれるらしく、旅館の車に乗り込んだ。
俺はちょっと名残惜しくて、車が見えなくなるまで手を振っていた。
今回、俺は自分の正義感と価値観を正しいと思い込んでいた。依頼主の意向なんて気にせず、何がなんでもお座敷様を解放するべきだと思ったし、橘のこともけしかけてしまった。
でも店長は、俺の知識や価値観の全く外側から『答え』を持って来た。俺も橘と同様、反省しなきゃいけない部分がたくさんある。……ような気がする。
「都築くん、今からアレクと外湯めぐりに行くけど、都築くんも一緒に来る?」
「えっ!?」
店長の声に振り返ると、二人は着替えを入れた外湯めぐりセットをすでに手にしている!
いつの間にっ!?
「うわっ! 俺も行きますっ! ちょ、ちょっと待って下さいっ!」
俺は慌てて着替えを取りに走り出した。
【前出メモ】
◆鏡について(ご隠居からムーンサイドへ)
「25.深淵編 来訪」より
◆『橘家備忘録』について
「46.霊媒編 犬神」に前出




