51.温泉編 月夜の密談
しばらく部屋で休憩した俺たちは、旅館内の探索を再開した。
お座敷様が逃げたり隠れたりなさってるなら見つけるのは難しいだろうという店長の予想通り、夕食の時間になって大広間に戻るまで、俺たちはお座敷様とニアミスすることも出来なかった。
「うわ、……美味そうっ!」
仲居さん達が運んできてくれた料理は、驚くほど豪華だった。
俺たち尾張班三人と、橘、十和子さんが知り合いという事で、一緒に食事できるようにと大きなテーブルに料理をセッティングしてくれる。
上品に美しく盛り付けられた色とりどりの小鉢、艶やかで美味しそうなお刺身は一切れずつが大きい! 天ぷらは見るからにサクサクだ。
一人用の小さな鍋セットもついていて、すき焼きまでできる!
旅行のパンフレットにでも出てきそうな豪華な料理を前に、俺はふと大事なことを思い出した。
橘は今、断食中だ!!
ガバッと橘の方を向くと、橘は困ったように小さく苦笑した。
「僕は断食中なので、今日のご報告だけして失礼します」
「せ、せめて汁物だけでも……ダメなのか?」
あぁぁぁあ、俺の方が辛い……胃がキリキリしそうだ。
「断食は慣れているので、気になさらないで下さい」
いや、気になるだろ!!
笑顔の橘……その鋼の意思を、俺は深く尊敬する。
一方、店長はお刺身のブリを口に運び、優雅に冷酒をこくりと飲んでから橘と十和子さんを見比べた。
「それで、橘くんと十和子さんはお座敷様の気配や痕跡を見つけられた?」
店長の問いに、二人は軽く首を振る。
「残念ながら何も見つけることは出来ませんでした」
「ふむ、外側の……敷地の結界は確認した?」
「はい、そちらは問題ありませんでした。お座敷様は敷地の外へ出てらっしゃらないと思います」
橘の説明に店長は軽く目を細め、繊細なガラス細工のぐい呑みを、ゆっくりと口に運んだ。
「で、その結界……壊せそう?」
「え……?」
橘は一瞬不思議そうに目を瞬かせてから苦笑した。
「尾張さんは何でもお見通しですね。参ったな……」
「僕はちゃんと捕まえるよ。『仕事』だからね」
店長の言葉に橘は何も返すことなく、礼儀正しくぺこりと頭を下げて広間を出て行った。
「たちばなっ! ちょ、待っ――……、……」
俺は急いでテーブルの汁椀を掴み、ご飯にぶっかけて猫まんまを作った。猛烈な勢いでご飯をかき込む。
箸をバン! とテーブルに置き、手を合わせた。
「ごちそう様でしたっ!!」
橘を追って広間を飛び出す。
背中で「都築くん行儀わるーい!」という茶化すような店長の声が聞こえたが無視だ!
昼間、旅館内を探索した時に見た『橘様』という紙が貼られた客室を思い出し、そちらへ走る。すぐに橘に追いつくことができた。
「たちばなっ!」
「えっ!? 都築さん、どうしたんですか?」
驚いて目をパチクリする橘に、追いかけてきたものの何て声をかければいいのか分からない。
俺は一瞬言葉につまり、ぱっと閃くままに提案した。
「露天風呂入ろう! すっごく広くて気持ち良さそうだったぞ!」
「え? は、はい……」
俺の勢いに押されるように橘が頷く。
「着替え持ったら、露天風呂に集合な!」
それだけ言って橘から離れ、小走りで自分の部屋へと戻る。
橘はお座敷様を逃がすつもりに違いない。
そして店長は捕まえる気まんまんだ……。
グッと拳を握る。
迷う余地なんかない、俺は橘の味方だっ!!
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三日間客はとっていないと女将は言っていた。
残っているのは店長、アレク、橘、十和子さん、そして俺の五人だけ、完全な貸切状態だ。
まだ橘は来ていない。
待っててもしょうがない、先に入っとくか。
服を脱いでカゴに放り込み、露天風呂へのガラス戸をカラカラ開いた。
「おぉ~っ! すごいっ!」
昼間に見て回った時にも思ったが、とにかく広い!
そして景色がいい!
山の向こうに海まで見える。立ち昇る湯気と月明りが幻想的だ。
絶景を眺めつつの風呂なんて、最高!
俺は解放感で大きく伸びをして、さっそく洗い場へと向かった。
髪も体も洗い終わり、桶でざぱ――――っ! とお湯をかぶったところでガラス戸が開く音がした。
「橘? 遅いぞ~!」
「すみません、……すごく素敵な露天風呂ですね」
橘も景色に目を奪われているようだ。
洗い場へ来た橘は俺の隣に腰を下ろした。
「俺はもう洗い終わったから、先に入っとくぞ」
「はい」
俺はいそいそと風呂へ移動した。
軽くかけ湯してから、とぷん……と浸かる。
気持ちいぃ~……。
大きく息を吐いて、ゆったり手足を伸ばす。
温かい湯が体全体にしみわたってゆくような感覚。
見上げれば大きく丸い月とたくさんの星……くぅ~っ、最高に気持ちいい!
思いっきりリラックスモードになってしまった。
風呂の縁になっている石を枕代わりに頭をのっけると、うとうとしてしまいそうだ。
しばらくして、少し離れた所で水音がする。
視線を向けると橘も湯に入ったとこだった。
どこまでも遠慮がちな奴だなぁ……もっと近くに来ればいいのに。
「月が……星も、すごく綺麗ですね」
「あぁ、こういうのいいよなぁ……しかも貸切状態だし」
小さく吐息をもらした橘の声からもリラックスしてるのが分かる。
二人してしばらく無言になってしまうが、気心が知れてるから気まずくはない。
「橘は、お座敷様を解放しようと思ってるんだよな?」
俺の問いに橘の体が小さく揺れた。
「ちゃんと戻っていただかないといけないって、分かってるんです。橘家として正式に受けた『お仕事』なのに、……でも、…………」
本当にお座敷様を解放してしまっていいのか、橘は迷っているようだ。
「店長が言ってた。奥の間の結界はそもそも有効期限が百年くらいに設定してあったらしい」
「そうなんですか?」
湯けむりで表情まで見えないが、橘の声には驚きが混じっている。
「橘のご先祖様も、お座敷様をずっと閉じ込めておきたくなかったんじゃないかな……」
「……そうかも、知れませんね」
どこかホッとしたような橘の声に促されるように、俺はずっと考えていたことを言葉にしてみる。
「俺、きっとまだガキだから……世の中の事も、祓いの世界の事も、何にも分かってないって笑われるかも知れないけど。でも、それでも……『仕事』だからって自分の気持ちに蓋して、自分に嘘ついて、我慢する必要……ないと思う」
「…………」
「お座敷様を解放したいって橘の気持ち、俺は全面的に賛成だ。もしかしたら、橘家の陰陽師オジサン達に叱られるかも知れない。店長には『お子ちゃまだ』って笑われるかも知れない。でも、それでも――……」
「お座敷様をまた百年も閉じ込めるより、ずっといい……です」
俺の言葉の最後を、橘が拾って続けた。
四つん這いで湯の中をザブザブ進み、俺は橘へ近づく。
「都築さん?」
橘の肩をガシッと掴み、真正面からちゃんと橘の顔を見る。
「叱られるのも笑われるのも一緒だ。橘は自分の思う通りにすればいい! 俺も一緒に謝るから!」
目を見開いた橘は、すぐに破顔一笑した。
「……はい!」
「外側の結界、何とかなりそうか?」
「何とかします……!」
橘の声に、もう迷いの色はない。
「よし。俺に手伝えること、何かあるか?」
橘は軽く首を傾げて少し考え、ちょっと言いにくそうに口を開いた。
「僕がお座敷様を解放するより先に、尾張さんが見つけてしまいそうで……それが心配です」
あぁ~、あの人やる気まんまんだからなぁ……。
「分かった! 俺は店長に張り付いて邪魔をする! 何としても、店長からお座敷様を守ろう!」
俺はアシスタントにあるまじき事を高らかに宣言し、橘とがっちり手を握り合った。




