49.温泉編 座敷童子
女将はゆっくりと広間を見渡した。霊能力者たちの視線を集めていることを確認してから言葉を続ける。
「すでに依頼料はお支払いさせていただいておりますが、捕獲して下さった方には成功報酬として依頼料の倍額をご用意してございます」
女将の『倍額』という単語に、ざわめきが拡がった。
「まずは皆様、お食事をしながら詳しい説明をお聞き下さい」
女将の言葉が合図のように広間の扉が開き、仲居さん達がたくさんの料理を運んできた。いくつもの大皿が壁際のテーブルへ並べられていく。どうやらブッフェスタイルのようだ。
皆が一斉に料理の方へ動き出すと、女将は小さく咳ばらいをしてから説明を始めた。
「当館は本日から三日間、一般のお客様のご宿泊はありません。よって館内全てが出入り自由となります。座敷童子は別館の奥の間でお祀りしていましたが一週間前に逃げ出され、その後お姿が見えません」
俺は話を聞きながら取り皿を手にローストビーフの列に並んだ。後ろに来たアレクにこそっと声をかける。
「何て言うか、『お祀り』と『逃げ出す』って単語の組み合わせがしっくり来ないんだけど……」
「……俺もだ」
アレクもちょっと複雑そうな表情を浮かべている。
俺達の違和感をよそに女将の説明は続く。
「奥の間だけでなく敷地全体にも結界が張ってあるので、外へは出てらっしゃらないはず。ですが、もし何かのきっかけで敷地側の結界も壊れたら、旅館を離れてしまうでしょう。どうか座敷童子を連れ戻して下さい」
別館奥の間と敷地、二重の結界で囲ってたってことか……厳重だな。
話を聞いているうちにローストビーフの順番が来た。俺は遠慮なく三枚皿に取り、たっぷり専用ソースをかける。ついでに横の皿のフライドポテトと唐揚げもしっかり貰って、料理のテーブルから離れた。
「何かご入用の物があれば、フロント奥の事務所へお声かけ下さい。私も番頭もそちらに居ります」
女将は話し終わると優雅に頭を下げ、広間から出て行った。
なんだろう、言葉の使い方というのか……俺は直感的に女将を苦手なタイプに分類した。
「都築くん」
柔らかく涼し気な声に振り向くと十和子さんが近づいてきた。手にしている皿には小さなサンドイッチが二つだけ……小食だ。
「パトラッシュとは仲良くできていますか?」
「仲良くかどうかは分からないけど『ハウス』って言えばちゃんと引っ込んでくれるみたいだし、なんとか上手くやれてると思います」
「そうですか、いい子にしてるようで安心しました」
十和子さんが柔らかく微笑む。相変わらず着物が似合う艶やか美人さんだ。
ここの女将も美人だが全くタイプが違う。
俺は十和子さんの方がずっといい。
「そういえば、百園さんは元気にしてますか?」
「えぇ、努力家だしとても筋がいいんですよ。今回も一緒に来たがっていたのですが、高校生の女の子をお泊りで連れ出すわけに行かなくて……」
「なるほど」
百園さん、十和子さんのところで元気に頑張ってるんだな……良かった!
「あの……えっと、十和子さんはこの依頼どう思いますか?」
俺は違和感を上手く言葉にできず、十和子さんの意見を聞いてみる。
十和子さんは困ったように眉を寄せた。
「私では見つける事は出来ても、強引に連れ戻すのは無理です。それに、ここに居たくなくてお逃げになったのなら、そっとしておいて差し上げた方がいいのでは……と思います」
十和子さん……俺のモヤモヤをずばり言葉にしてくれた。
「そうですよね……」
店長はどう思っているんだろう……。
目をやると、優雅にシャンパンと生ハムをお楽しみ中だ。あの表情、ご機嫌だな……何も聞くまい。
少し離れた場所で一人ぽつんと何やら考え込んでいる橘が目にとまる。
俺は十和子さんに会釈して離れ、橘の元へと向かった。
「橘、食べないのか?」
「あ、都築さん。僕は今、断食中なので……」
「断食? それも『修練』の一種なのか?」
「はい。二、三ヶ月に一度、一週間ほど断食します」
橘は笑顔でさらりと答えたが、俺はあまりの衝撃に言葉を失った。
「……――っ、……お、お前……」
千代ちゃんの神社で神降ろしの依り代になった時、三日間お白湯生活だった俺は世を儚み、店長を恨み、朝から晩まで一日中食べ物のことを考えてイライラしていた。
あの時の辛さは今でも忘れられない!
そんな事を二、三ヶ月に一度、だと!?
溢れそうになる涙を堪え、何とか笑顔を作る。
「そ、そうだ! この間、橘にそっくりな奴に会ったんだ。すっごく似てたから橘のドッペルゲンガーかと思った」
「僕の? あ、もしかして双子の弟の万里かな。そちらの方に住んでいるので……」
「うん、一緒にいる子から『万里』って呼ばれてた」
「万里、元気にしてるかな……」
橘は懐かしむように目線を上げ、少し寂しそうに微笑んだ。
「あんまり会えないのか?」
「最後に会ったのは父の告別式だから、二年前です」
「……そっか」
店長からある程度の事情は聞いてるが、それにしても……二年前ということは橘はまだ十四歳。中学二年で父親を亡くして、弟ともめったに会えないなんて……。
「じゃあ、万里はお母さんと一緒に暮らしてるのか?」
「いえ、母は体が弱くてずっと入院していて、万里は遠縁の親戚でお世話になっています」
「…………」
俺は再び溢れそうになる涙をぐっと堪えた。
生意気そうに見えたが、万里だって寂しい思いをしてるのかも知れない。
話題を変えよう!
「今回の依頼、橘はどう思う?」
橘は表情を曇らせた。
「実は『お座敷様』を別館奥の間に閉じ込めたのは、橘家の三代前の当主なんです」
「えっ?」
「そういう事もあって、今回もご依頼をいただいたのですが……」
十和子さん同様、橘もかなり複雑そうだ。
「座敷童子のこと『お座敷様』って呼ぶんだな」
「どちらかというと、妖よりも神様に近い存在なので……」
神様みたいな存在を閉じ込めた!?
さすがは橘のご先祖様……。
「都築くん、橘くん」
呼ばれて振り返ると、店長とアレクが十和子さんと一緒に近づいてくる。
シャンパンと生ハムを楽しんでいた店長は、とーってもご機嫌そうだ。俺達の中で店長一人、今回の依頼に全く疑問を感じていない様子……。
「これから別館の奥の間を見に行こうと思うんだけど、十和子さんも一緒に来るらしい。橘くんもどう?」
「ご一緒させて下さい……!」
橘は礼儀正しくペコリと頭を下げた。
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俺たち五人は大広間を出て別館へ向かう。
他の霊能力者たちも食事を終えてぼちぼち動き出すようだ。
庭園の方へ行く者、本館の中を探す者、露天風呂へと向かう者、それぞればらばらに散らばってゆく。
さっき番頭さんが一通り案内してくれたおかげで、俺たちは迷う事なく別館へ到着した。日本庭園の中に違和感なく溶け込む純日本家屋だ。趣ある佇まいで、きちんと手入れされているのだろう、古ぼけた様子はない。
アレクは玄関で靴を脱ぎながらキョロキョロしている。絵に描いたような和風建築に興味津々といった様子だ。俺も靴を脱いで揃え、この別館について説明してくれた番頭さんの言葉を思い出す。
「この建物、宿泊客は立ち入り禁止だって言ってたな……」
橘が奥へ続く廊下へと案内するように、先頭を歩きながら説明してくれる。
「この別館はお座敷様をお祀りするために建てられたものだと聞いています。この奥の部屋に、お座敷様を祀るための祭壇があるはず……」
橘の話を聞きながら廊下を進む。ピカピカに磨きあげられた床には埃一つ落ちていない。建物内はまるで何十年も時が止まっているかのようだ。時代劇の世界に入り込んだような感覚に陥ってしまう。
橘が廊下の一番奥の木戸を開いた。二十帖はありそうな畳の間だ。
窓はなく、外の光がほとんど入って来ないからだろう、とにかく暗い。
大きな祭壇のようなものが部屋のど真ん中に設けられていた。
祭壇の前に何かある。暗さに目が慣れてくるとそれが何か分かった。
四本の支柱を縄で結び、小さな空間が作られている。その真ん中に座布団が一つ置かれていた。
「え……っと、まさかと思うけど……あの座布団がお座敷様の居場所?」
戸惑いを隠せず問いかけると、橘は神妙な表情で頷いた。
「はい」
「うそ……だろ? だって、こんな――…っ、……」
こんな暗くて陰気くさい部屋、外の景色も見えない……季節すら感じられないじゃないか。
こんな小さな囲いの中に一体どれだけ閉じ込めてたっていうんだ!?
「捕まえて連れ戻すって……ここ、に?」
橘は申し訳なさそうに俯いてしまった。
とてもじゃないが信じられない。
こんなの『お祀り』なんかじゃない!
まるで座敷牢じゃないか!!
「ぜっっったい、反対!!」
「そう言うと思った……」
呆れ半分苦笑半分な店長の声が、暗い部屋に変に響いた。




