46.霊媒編 犬神
「うっっっま!!」
お昼のまかない飯、麻婆丼を豪快にかき込む。
鼻に抜ける香辛料、絶妙な旨味と辛味が大きめのひき肉と豆腐をひき立て、渾然一体となってほかほかご飯を彩っている。
しかも食べやすくボリューミーな丼にしてくれるあたり、俺の好みを知り尽くした店長の粋なはからいに脱帽だ。
ここ数日のまかないメニューはエビチリ、八宝菜、パイナップル入り酢豚……店長、どうやら中華料理にハマってらっしゃる。
そして中華料理の時には毎回ついてくる店長手作りの餃子や焼売もかなりポイントが高い。特に餃子はキャベツだけじゃなくニラもたっぷり入っていて抜群に風味が良い! 専門店でも出せるんじゃないかと思うくらいだ。
食べ盛りの男子大学生としては大歓迎のメニューばかり! がっつり胃袋をつかまれ、俺は毎日張り切って仕事に励んでいる。
厨房から店長の鼻唄が聞こえてくる。ご機嫌でなにより!
今日のランチタイム営業も大盛況で大忙しだったが、しっかり働いて腹いっぱい食べた俺は大満足で最後に残しておいた餃子をパクッと口に放り込んだ。
溢れ出る肉汁と共に幸せも噛み締める。
「ごちそう様でしたっ!」
飯粒一つ残さず綺麗に空になった皿に手を合わせた時、店のドアが開いた。
「失礼します」
「たちばなっ!?」
遠慮がちに入ってきたのは橘だった。カウンターの椅子から立ち上がり、橘へ駆け寄る。
「久しぶり! 元気そうだな!」
「はい! 近くでお仕事があったので寄らせていただきました! あの……これ、僕オススメの栗ようかんです。お口に合うといいのですが……」
橘が風流な和柄デザインの紙袋を差し出す。俺は笑顔で受け取った。
「ありがとう! 橘のオススメ、すっげぇ美味いんだろなぁ!」
今さっき腹いっぱい昼飯を食べたばかりなのに、「栗ようかん」に思いっきり心ときめいてしまう。しかも久しぶりに会えた橘のほんわか笑顔は癒し効果バツグンだ。
俺達の話し声が聞こえたのだろう、店長が厨房から顔を出す。
「橘くん、久しぶりだね」
「尾張さん、ご無沙汰しています」
橘は慌てて店長へ深々と頭を下げた。相変わらず礼儀正しい奴だ。
「今ちょうど都築くんのお昼休憩なんだけど、橘くんも麻婆丼食べる?」
「えっ? ありがとうございます! でも昼食は済ませてきたので……」
店長の誘いに驚き、恐縮しつつ断る橘だが、ちょっと嬉しそうだ。
まかない飯を勧めたということは、店長の中で橘もすっかり「身内」感覚なんだろう。
橘のことを「早死にするから深入りするな」なんて言ってた店長が、麻婆丼を勧めるまでになってくれて俺は嬉しい!
ニヤつく顔をなんとか引き締め、橘からもらった紙袋を店長に見せる。
「店長、橘が栗ようかん持ってきてくれたんですよ! いただきましょう!」
「栗ようかんか、美味しそうだね。橘くん、ありがとう」
店長の礼に、橘はそれはもう嬉しそうな笑顔を浮かべた。
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「えぇ~っ!? また正解!! 百発百中じゃないか!」
俺はソファセットで栗ようかんと玉露をいただきながら、橘の『書物占い』の手伝いをしていた。
まず、聖書の中で適当な箇所を俺が選ぶ。橘は閉じた状態の聖書を開き、一発でその箇所を引き当てるという……遊びのような一発芸のような凄い技だ。絵画事件の時に電車で移動中、店長が教えてくれたものだ。あの時には全く当てられなかった橘だが、今日は何回やっても一発でそのページを開いてしまう。
アレクでも出来るようになるのに一年かかったって言ってたのに、橘のことだから毎日コツコツ練習したんだろうな。
店長も驚き半分、感心半分といった様子だ。
「コツが掴めたので……」
照れくさそうに小さく笑う橘に、店長は首を振った。
「正直こんなに早く出来るようになると思わなかったよ、大したもんだ。勘が良いというのもあるだろうけど、ずいぶん頑張ったね」
「ありがとうございます……!」
師弟のような微笑ましいやり取りを眺めつつ、俺は栗ようかんを口に運ぶ。
ほくほくの大粒の栗がごろごろ入った豪華なようかんは上品な甘さで、いくらでも食べられそうだ。
さすが橘のオススメ! 京都銘菓最高!!
「瞑想の方はどう? 力を縮小させるイメージは出来てる?」
「はい! 教えていただいた通りに……!」
「やってみて」
「はい!」
俺は二人を見比べつつ湯呑を口に運び、邪魔にならないようそっと玉露をすすった。うっとり目を細める。
あぁ~……、栗ようかんと合う!!
店長は口元に手をあてて観察するようにしばらく橘を見つめ、小さく頷いた。
「うん、いいんじゃないかな……」
店長から認めるような言葉が飛び出し、橘は一瞬目を見開いてから、またしても嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
今までこういう事を指導してくれる人がいなかったというのもあるだろうけど……それにしたって、ちょっと店長に懐き過ぎじゃないか?
俺が思うに店長は聖人君子じゃない。けっこう黒いし狡いし、それなりに金にも汚い。人当たり良く誰にでも優しくできるけど、しっかり割り切って冷徹にもなれる。それが「大人」だと言われればそれまでだが。
性格的には見習って欲しくない部分もあるんだよなぁ……。
俺はちょっと複雑な気分で二切れ目の栗ようかんを頬張った。
「そろそろ本題に入ろうか」
店長の声で、茶をすすっていた俺は顔を上げた。
橘と店長が俺を見ている。
「……本題?」
「都築くん……わざわざ橘くんが仕事のついでに寄ってくれたのは、犬神のためだろう?」
「あ!」
そうだった!
パトラッシュを引き取ってもらうか、あの世へ送ってやるか……何とかしてやって欲しいって、俺が頼んでたんだった!
「今はどのような状態なのか、見せていただけますか?」
「分かった! 出ておいで、パトラッシュ」
「パ……???」
俺の声かけに橘はきょとんと目を丸くした。
頼むから笑わないでくれ……と言う間もなく、橘は一瞬で顔を強張らせた。
「これが――…?」
パトラッシュが姿を現したのだろう。
橘は俺の背後の空間を凝視したまま固まってしまった。
店長は会話に入らず、ソファの背もたれに体を預けて優雅に足を組み、俺達を眺めている。
「えぇっと……、……こんなにすごい犬神、初めて見ました」
「すごい、のか?」
「はい。何と言うか……すごく強い、です。それに、びっくりするくらい都築さんに懐いてますね。犬神に『懐く』という表現が適切か分かりませんが」
「…………」
言葉もない。
犬神は本来、持ち主の欲望を叶えるために常にあちこち奔走しているものらしい。しかしパトラッシュは百園さんを助けた以外はこれといった「仕事」もなく、俺と一緒に呑気に暮らしてるんだ。懐いちゃっても仕方ない。
「そ、そうだ! 引き取ってもらうんだから、お供え用のドッグフードも持って行ってくれよ。首輪も……それから、えっと……俺が描いた想像の……、……似顔絵、も……」
あれ? 頬が熱い。
ポタポタと滴る熱いものは、涙――…?
俺、泣いちゃって……る?
パトラッシュとお別れだからって、泣きべそかくなんて情けないぞ!
しっかりしろ、俺! 引き取る橘が困るじゃないか!
ゴシゴシと袖で涙を拭き、何とか笑顔を作ってみせる。
「ご、ごめん! ちょっと情が湧いちゃっただけで、橘に引き取ってもらうのが一番いいって……ちゃんと分かってるから!」
「引き取ることは可能ですが、本当にいいのでしょうか?」
橘は戸惑うように俺と俺の背後を交互に見てから、店長へ問いかける。
店長はゆっくりと足を組みかえ、チラリと俺の方を見た。
「犬神は家に憑くものだからね。今はいいかも知れないけど、後々面倒な事になっても困るだろうし……」
「そうですよね……――あ! それなら、こういうのはどうですか!?」
橘が何やら思いついたように声を上げた。
「都築さんがご結婚などで家族が出来た場合、または生涯お一人でもお亡くなりになったタイミングで、橘家が正式に引き取るということで!」
「…………」
前者はともかく、後者はかなりツラい……。
「橘家の備忘録につけておくので、僕が当主じゃなくなってもきちんとお約束を守れるようにしておきます」
「橘が当主じゃなくなる……?」
「僕が死んで代替わりしても……ということです」
「それならいいんじゃない?」
店長が頷く。
しかし俺としては、とてもじゃないが「じゃあそれで頼む」なんて言えるかっ!
おじさん陰陽師や店長の言葉が一気に頭の中を駆け巡る。『いつか取り返しのつかない事になってしまうのではないかと……』『早死にしちゃうから……』
「ちょっと待て! 橘がそんな早く死ぬ可能性なんか……っ、……」
「僕はいつ死んでもおかしくな――…」
「んなこと言うのは、この口かぁあああっ!」
俺は橘に襲いかかって両頬を掴み、むに~っ! と抓ってやった。
手加減なしだっ!!
「いっ! いひゃいれす! いひゃいれすっ!」
手を放すと橘の頬は見事に真っ赤になっている。
涙目の橘を鼻息荒く睨みつけた。
「ご、ごめんなさい……」
完全にしょぼくれて項垂れてしまった橘に、鼻の奥がツンと痛くなる。
俺達のやり取りを眺めながら優雅にお茶をすする店長はどこか楽しそうだ。
「橘くんだって望んで早死にしようなんて思ってないよ。ね? 橘くん」
「……はい」
どこか達観したように『死ぬ覚悟』が出来てしまっている橘に、俺は本気で怒っていた。
しかし、橘にはそういう覚悟が必要なのだと思い知らされる時が遠からずやってくることを、この時の俺はまだ知らなかったのだ。
【前出メモ】
◆都築から橘への犬神対応のお願い&栗ようかん
「41.高校編 音楽室の儀式」より
◆『書物占い』について
「27.深淵編 旅路」に前出
◆尾張から橘へ瞑想の指導
「25.深淵編 来訪」より




