43.霊媒編 見る力
百園さんは考え込んでしまった。
店長は再び湯呑を手にし、喉を潤してから続ける。
「御守りやお札を定期購入するなら、百園さんと相性が良いものをうちが調達してあげる。修行をしたいなら、いい先生を紹介することもできるよ」
「……少し、考えさせてください」
百園さんはすぐに答えを出すことが出来なかった。
そりゃそうだよな……。
帰る百園さんを見送り、俺はグラスや湯呑を片付けた。
厨房で洗い物を済ませて店内へ戻ると、店長はソファに座ったままだった。
ぼんやりと物思いに耽っている。
珍しいな……。
「お疲れですか?」
「ん? あぁ、いや……大丈夫」
バータイム営業はもうとっくに開店時間を過ぎているのに、店長は動こうとしない。
俺は店長に近づいた。ソファの背もたれに頭を預けて天井を見上げている店長の視界に割り込む。
「店長……?」
遠慮がちに声をかけると、店長は薄く開いた唇を動かした。
「皮肉なもんだよね。百園さんには全く不要な能力だけど、六波羅さんにとっては、きっと……喉から手が出るくらい欲しい能力だ」
あぁ、そういうことか……。
「店長は、この『仕事』……嫌いですか?」
店長は軽く目を瞬かせてから緩く首を振って微笑んだ。
「好きだよ、毎日たくさんのお客様に僕の料理を喜んでもらえる。食いしん坊のバイト君のために、まかないだって作り甲斐があるしね……」
俺の質問、カフェバーの仕事のことじゃないって分かってるくせに……。
わざわざ店長が話を逸らしたんだ、これ以上踏み込まない方がいいんだろう。
「店長」
「なに?」
「今夜のまかないはカレーが食べたいです! ジャガイモがごろごろ入ってるやつで!」
一瞬ポカンと俺の顔を見上げた店長は、嬉しそうに笑った。
「うん、分かった……!」
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翌日のバータイム前にも百園さんはやってきた。
その表情から、気持ちが決まったのが分かる。
「お仕事に出来るかどうかはともかく、せめて……見えて困るものを退けるくらいの力は欲しいです。昨日、仰ってた『先生』を紹介して下さい」
ソファに座るなり、百園さんは店長に頭を下げた。
「分かった。あちらの都合を聞いて来るから、ちょっと待ってて」
軽く頷いてソファから立ち上がり、店長は事務所へと入って行く。
俺はオレンジジュースを入れたグラスを百園さんの前に置いた。
「ありがとうございます」
百園さんは丁寧に頭を下げたが、やっぱりまだ不安そうだ。
そりゃそうだよなぁ……。
何か気の利いたことを言って励ましたいところだが、上手い言葉が見つからない。
見ることも感じることも出来ない俺には、百園さんの恐怖も葛藤も分からない。
俺がこの子に何を言える?
でも、何か……何かないだろうか……。
考えたあげく、俺の口から飛び出した言葉は――…、
「もし店長にボラれそうになったら相談して! 俺、唯一の従業員としてビシッと言ったげるから!」
百園さんは驚いたように目をパチクリさせた後、小さくふき出した。
「はい……!」
しばらくして戻ってきた店長は、まず俺に声をかけた。
「都築くん、今夜のバータイムは休業にするよ」
「はい!」
俺はしっかりと返事をして、店の前の看板を片づけに向かう。
背中で店長が百園さんに話しかけるのが聞こえた。
「会いに行ってもらおうと思ったけど、仕事でこの近くまで来ているらしい。仕事の後に寄ってくれるそうだから、ここで待ってて」
「分かりました」
俺は店の外へ出て、看板と鉢植えを片づける。
紹介する『先生』って、どんな人なんだろう……。
店長はやたらと顔が広いし、俺の知らない人という可能性も高い。
百園さんに親身になってくれる人だったらいいな……。
店内へ戻ると、百園さんはオレンジジュースを飲みながら店長と話していた。
少し表情が和らいだような気がする。
二人に近づこうとした俺に気づいた百園さんは、こっちを見た瞬間青ざめてソファから立ち上がった。
怯えた表情で後退る。
「百園さん?」
「あぁ、スイッチが入っちゃったね。犬神が見えてるんじゃない?」
店長が苦笑する。
俺は思わず自分の周りをキョロキョロ見回した。
百園さんは壁にへばりつくように背中をくっつけ、ホラー映画のヒロインのように恐怖で瞳を見開き、俺の背後を凝視している。
「な、何なんですか? いぬ、がみ……?」
俺は慌てて胸の前で両手をぶんぶん振った。
「こいつは俺が今ちょっと預かってて、見た目は怖いかも知れないけど悪いやつじゃないんだ!」
あぁもう! 百園さんがこんなに怯えるなんて、一体どんな見た目なんだ!?
ただの犬じゃないのか!?
ソファから立ち上がった店長は、百園さんを庇うように俺の前に立ちふさがった。
「気にはなってたんだよね。都築くんの後ろで、ずーっと周りを威嚇しまくってるから」
「えぇっ!? そうなんですか?」
「普通は持ち主の欲望を叶えるために、あちこち奔走してるものだけど……都築くんの欲望を読み取れないから仕方なくくっついてるんだろうね。でもそのおかげで低級霊とか面倒なのが寄って来ないから放っておいたんだけど……。都築くんに犬神をしまえって言っても難しいだろうし、どうしたものかな」
「しまう?」
「いったんアストラル界に引っ込んでもらう感じ」
「あすと……らる???」
さらっと飛び出した専門用語。 これまた、まったく初めて聞く単語だ。
思わず聞き返すと、店長はどう説明したものかと天井を見上げて「うーん」と考えている。
「と、とにかく! ちょっと帰ってもらう感じですよね?」
こうなったら、イチかバチかだ!
俺は大げさに咳ばらいをした。
「パトラッシュ! ハウスだ、ハウス!!」
お供え物にドッグフードを用意して思いっきり笑われてしまったため、流石に名前をつけたと言いだせなかったのだが、今は恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。
百園さんが驚きの声をあげた。
「えっ!? ……きえ、た? 消えました!!」
よし、成功だ!!
ホッとした俺の目の前で、店長はポカーンと目と口を大きく開けている。
今まで見た中で一番のマヌケ顔だ……。誰もが認める美人店長にこんな表情をさせてしまった事を申し訳なく思った瞬間、店長は盛大に笑いだした。
「くくくっ……あははははっ……な、名前っ! しかも、『ハウス』って……っ、……」
涙目の店長は文字通り「腹を抱えて」笑っている。
俺は真っ赤になって言い返した。
「犬を飼うならオサレなカタカナ名で呼ぶのが夢だったんです! いけませんかっ!?」
「いやいや大丈夫! お洒落かどうかはともかく、ちゃんと従ったんだ。自分を『パトラッシュ』だと認識してる。本当にすごいよ! 問題ない――…けど、……くくくくっ……」
俺はちょっぴり拗ねて口を尖らした。
百園さんまでそんなに笑わなくても……。
その時、店のドアが開いた。
俺は慌てて振り返ったが、入ってきたのは驚きの人物だった。
「いらっしゃいま――…って、十和子さん!?」
「ご無沙汰しています。この近くで心霊番組の再現映像の撮影があって、アドバイザーとして呼ばれてたんです」
十和子さんは有名な霊媒師で、店長の仕事仲間だ。
艶やかな黒髪をきちんとまとめて藤色の着物を綺麗に着こなし、いつも通り楚々とした雰囲気を纏っている。
穏やかで優しい微笑みはいつだって癒しを与えてくれる素敵な女性だ。俺は密かに憧れている。
「撮影はもう終わったんですか?」
「はい。撮影後にこちらへ寄ろうと思っていたところに、ちょうど尾張さんからご連絡をいただいたので、急いで参りました」
「え? ってことは、もしかして百園さんに紹介する『先生』って……十和子さん!?」




