前編
顔が醜いあまり、墓守の仕事を押し付けられた若き少女――アドミラ。
生まれつき細い目に、ものもらいで腫れた両目。鼻は大きく、そばかすだらけ。唯一、美しいのはその長い――黒髪だけ。
今日もその手は、土にまみれ、豆の痛みに耐えながら、スコップを握り、土を掘り返していた。
新しい墓を作るために――。
青春を墓守に捧げる少女を支えているのは、代々の墓守から継承した墓守の住み処――墓守の塔、開かずの間に眠る、天上人だった。
天上人の美しい寝顔を思い出すだけで、疲労が吹き飛ぶようだった。
革手袋で汗をぬぐい、顔に土がつく。
ふわ、と香る土の臭いに頭がくらくらした。
「あの王子様には、悪いけど……一生、目覚めないでほしいかも……。いえ、そんなのは駄目。心まで醜くなっては駄目よ。しっかりして、アドミラ」
この墓場には、参拝者の一人も来ない。
孤独な少女の独り言を、不気味だと咎める者もいない。
「春が来たのに、どうして誰も会いに来ないの。もう寒くないから、いつでも来れるはずなのに。墓を管理してる私がブスだから……。いや、それは、考えすぎ……」
少女は虚しさを募らせていた。
「遺体は臭いし、醜いし……。いつ人が死ぬかも分からないし……。前もって用意しておかないと、また……石を投げられちゃう」
とうに、少女の涙は枯れている。
「どうして……。どうして……。私は、墓守なの……。どうして、私は醜いの……。これからも、墓を作り続ける意味はあるの……」
ふと、作業を止めて腰を上げた少女。卑屈な目が映すのは――木の棒が地面に突き刺さっただけの貧相な墓の数々。
それを囲む針葉樹、鬱蒼とした木々。
「はっ! 駄目駄目……! もっと前向きなこと考えないと! えーと、えーと……。あの王子様はいつ目覚めるのかな。早く起きてくれるといいなー!」
頭を振りかぶり、暗い思考から抜け出した。空元気で声を明るく張り上げる。
「でも、こんな墓場で……」
華やかさの欠片もない場所に、醜い少女が一人。
「せめて、花でも咲けば、いいのに……」
俯く少女の耳に、小鳥の鳴き声が届いた。鳴き声がした方へ振り向くと、珍しい桃色の小鳥が、針葉樹の枝にとまっていた。
「こんな色の小鳥、見たことない……! 可愛い……。いつもは、カラスがカァカァ、鳴いてるのに……。花が咲く木の実の種とか、持ってたりしないかな。私じゃ……買いに行けないし……怖いよ」
期待の眼差しで見つめ続けていると、小鳥は首を何度もかしげ、やがて――羽ばたいた。
小鳥の姿を目で追いかけると、吸い込まれるように墓守の塔の開いた窓目がけて、飛んでいく。
「ああっ! 掃除のために窓を開けてたんだった! 忘れてた……!」
いつか目覚める天上人のためにと、大掃除をしていた途中で、墓守の仕事を思い出し――新しい墓の穴を掘っていた。
間に合わないと立ちつくした少女は、小鳥が塔の中に入っていったことを確認すると、塔に向かって駆け出した。
「駄目……! 最上階にはあの人がいるんだから……! 王子様が……!」
最上階がふさわしいと、地下の棺桶の中で眠っていた天上人を毛布で包んで、連れ出していた。
地下で眠らせておくのは偲びなく、毛布越しであれば肩に乗せて、運ぶことができた。
現在は、すでに最上階の掃除を済ませており、毛布の塊の上に寝かせている。さすがに少女一人の力では、ベッドを運ぶことはできなかった。
最上階の掃除を終えたら、他の部屋も隅々まで掃除をするつもりだったのだが――。
「間に合えぇーーっ!!」
少女は、生まれて初めて大声を出した自分自身に密かに驚いていた。
☆
息苦しさを無視して、少女は最上階へ続く階段を勢いよく駆け上がった。最上階より下は、やはりホコリが舞う。
「――ケホッ、グッ、ゲホゲホッ!! ここも早く掃除しないと!!」
天上人の安否を確認するまで、はしたない大きな足音など、気にしてはいられなかった。
天上人が眠っている部屋の前へと辿り着く。急いでいると、ここまでの道のりが非常に長く思えた。
緊急事態だからと、ノックをせずノブを回した。
この部屋の扉だけ、アンティークのように立派で造形が整っているのが印象的であった。
「大丈夫ですか!?」
天上人は眠り続けていると分かった上で、少女は部屋に足を踏み入れてすぐ、叫んだ。
当然、窓は開いていた。小鳥の姿を探すと、天上人の胴体の上に、それはいた。
「ああ……。なんてこと、王子様の上に……! 小鳥さん、お願いだから、その方の上に乗るのはやめてほしいの……」
少女は、小鳥を刺激しないように天上人の体へ、じりじりと寄っていく。
「あっ……!」
少女の嘆願など気にせず、小鳥は天上人の顔へと近づいてく。
その寝顔は安らかで、美しい。
絹糸のように柔らかそうな短い髪は白く、妖しく青白く光っていた。
その閉ざされた瞳も同じく、銀のように白いのだろうか。見ているだけで、想像力がかき立てられた。
「あっ……! やめて……!」
小鳥は天上人の首へと辿り着いた。手段を選んでられないと、少女は一気に距離を詰めた。
「なにをする気……? 王子様の顔をつつくなら、容赦しないから……」
少女は拳を握りしめ、戦いの姿勢をとる。小鳥の様子を観察していると、天上人の薄い唇をつつき、また窓から飛び立っていった。
「ええっ……!? 今の痛かったかな……? 王子様……。大丈夫ですか……?」
もしかしたら、苦痛のあまり呻くかもしれない。起きるかもしれない。期待を胸に少女は眠れる天上人へ尋ねた。
「んんっ……」
「嘘でしょ! 王子様!? 想像してたよりも素敵な声……」
天上人は顔をしかめ、唇を固く結ぶ。すこし身動きをした気がした。
今か今かと少女は、緊張した面持ちで天上人の目覚めを見守っていた。
「ふぁ〜あ。よく寝た〜!」
上半身を起こした天上人はまぶたを閉じたまま、大きなあくびをした。その様も愛らしい。
その姿を見て、焦ったのは少女だった。世界で一番美しい天上人に、世界一醜い顔が見られてしまうと。
急いで顔を隠そうとするが、天上人が目を開く方が先だった。指の隙間から、赤い瞳と綺麗な鼻筋、薄い唇。完璧な美が漏れ出ていた。
天上人がにっこりと笑みを浮かべた。似ても似つかないのに、それは少女を虐げる残酷な予兆に見えて――。
「……やめて。私の顔を見ないで……!」
醜い顔を不完全に隠したまま、後ずさりする。
「どうしてだい? 美しい人!」
天上人の声で足が止まるが、少女は「美しい人」を探して、辺りを見回した。
「君のことだよ! 君は美しい! 世界で一番の美人だ!」
「まさか……わ、私じゃ……ありませんよね?」
天上人は身軽な動きで立ち上がり、少女の方へと歩いていく。
美しい顔が近づいてくることに戸惑い、顔を赤くしたまま身動きがとれなかった。
近づいてきた天上人は、少女の手を優しく包み込んだ。その熱に、心臓がうるさい程に高鳴る。
「ところで、今は何年だい?」
少女が答えられる話題が出たことで、落ち着いて話すことができた。少女の返事に天上人は呆けた。
「なんてことだ! 僕が眠ってから、何百年も経ってしまっている!」
「ええっ!!」
その時、少女の頭に中途半端な知識がよぎった。時代によっては、美醜の基準が変わると聞く。天上人の時代では、少女の顔は美人の範疇内に入るのではと人知れず納得した。
自分は美人ですか、と改めて聞くこともできず、なにか、迷える天上人の力になることはできないかと少女は考え始める。
「あの……」
笑顔で、醜い少女に耳を傾けてくれたのは目の前の天上人だけだった。嗚咽が漏れそうになりながらも、少女ができることを述べた。
「私にできることがあれば、なんでもやります。この塔の部屋と物は全て貴方にあげます。気になることがあれば私の知る限り、全てのことを嘘偽りなく、教えます」
天上人の顔は変わらず、まるで心には響いていないようだった。
少女は、落胆されたと自身の情けなさで天上人から目をそむけた。
「じゃあ、教えてくれる? 君のこと。君の名前が知りたいな。ここでなにをしているのか。君がどんな人なのか。とかね」
「えっ……?」
天上人からの思わぬ言葉に耳を疑った。嘘偽りがないか探るために赤い瞳を覗き込む。
見つめ続ければ、続けるほど、負の感情を忘れていく、宝石のように綺麗な瞳だった。
天上人を疑う、自分の醜さを恥じた。
「私の……名前はアドミラです。ここで墓守をしています。私は……つまらないブ、いえ、なんでもないです。こんなことを聞いてどうするんですか?」
「仲良くするんだよ。教えてくれてありがとう。アドミラ。僕の名前はルーエンスだよ。これから、よろしくね」
悪口や陰口以外で呼ばれなかった少女の名前は、天上人が呼ぶと、美しい街の名前のようだった。
天上人の名前を聞いて、少女はうっとりとした――。
それを咎めることもなく、天上人は微笑んだ。
「アドミラ。僕はとてもとても醜いけれど、君の塔に住んでもいいかい?」
「えっ……? ええと、もちろん」
笑顔で自身の醜さを告白する人を見たのは初めてで、少女は戸惑いながらもうなずく。
醜い人の境遇を少女は知っている。その上で、笑顔に振る舞える彼の強さはまさに、少女の憧れであった。
自分より美しい人を妬んでも更に、醜くなるだけ。少女は自身にそう言い聞かせて仕事の合間に勉学に励んでいた。
まだ、実は結んでいないが、生きてさえいれば、諦めなければ、いつか報われるのだと――。
正しい美醜の価値観を教えてあげるべきだと思っていたが、身も心も美しい人ならば、心配は不要に違いないと口を閉ざした。
「美しい君の服が土で汚れているけど、墓守っていう仕事のせいなの?」
「まあ、そうですね……」
美しいという言葉を流して、天上人の質問に肯定する。
「そうなんだね。君は、本当に美しい人だ!」
「あ、ありがとうございます……」
聞き慣れていないその言葉を、真に受けることはできなかった。一体、少女のどこが美しいというのか。
「私のどこが……」
「君の全てさ!」
少女の全てを肯定する天上人と、噂にのぼる詐欺師と胡散臭さで並んだ。ただ、少女を美しいと賞賛する天上人は無垢だと思える。
目覚めたばかりで子供のような天上人を塔に置き去りにして、墓守の仕事に戻っていいものか、少女は悩んでいた。
「あの、仕事に戻ってしまっても大丈夫ですか?」
「もちろん。大丈夫さ! 僕は醜さのあまり、ここに閉じ込められた末、封印されていたんだ。ここは僕の城のようなものだよ。大分、変わってるだろうけど」
天上人がすらりと述べた過去に、少女は絶句する。
「そんな……ひどい」
「僕は醜い化け物だからね。仕方がないよ。気にしないで。探検のついでに、食材と台所を見つけたら料理を作って、君を待ってるから!」
初めて天上人は悲しげな顔を見せる。化け物、という言葉に少女の胸がちくりと痛んだ。
「貴方は醜い化け物なんかじゃない……! 私は……、ルーエンスを悪く言う人たちを許さない!」
「アドミラ……。ありがとう。僕の名前を呼んでくれたのも嬉しいよ。さあ。仕事に行っておいで……」
顔も知らない悪辣な人々へ、啖呵を切る。
少女にとって、天上人が「ルーエンス」になった瞬間だった。
彼も少女と同じように傷ついて、生きている一人の人間だと気付かされた――。
ルーエンスの儚い笑顔に、杭のように微動だにしなかった感情が、今。揺さぶられている。
いつか自身の醜さと向き合う時がくるのだろうかとうつむく。完成された美から逃げるように、アドミラは塔を飛び出した――――。