第一章 ヤマでの出会い その1 猫女子姉妹と人族少年
【第一章 ヤマでの出会い】
〈その1 猫女子姉妹と人族少年〉
「尻尾の穴は……あともうチョイだ。」
さっき「お尻の……」と言い間違えた結果が、爪痕の残る右頬である。少年は慎重に作業を続ける。それを見守るルミアとミアルの姉妹だ。ここは猫人族集落一のあばら家である。
生なり(未漂白の麻布)の貫頭衣は、やや南方に住んでいる猫人族でも冬は寒くて着たくない。ゴワゴワしていて、肌に優しくない。それに腰をひもで縛ってもスキマが多い。猫女子の大敵である。しかも貧乏なルミアとミアルは姉妹で共有している。13歳になったミアルには適正なサイズでも、姉のルミアにとっては露出過多だ。成長した自分の、見せたくない部分がきわど過ぎて、集落の男たちにチラ見されていそうだ。これではいい加減、通りも歩けない。
だから、ついに大きめの貫頭衣を市場で入手した。ただ、もともと人族向けの古着のせいで、尻尾の穴がないのだ。季節ハズレで穴なし、それで安かったのだが。
「いいですか?穴の大きさは慎重にですよ。急いでも、求人の項を一気に書いてはいけません」
まるで就職難の学生へのアドバイスのようであるが、要は慎重に、と言いたいらしい。
「そうだよ。小さかったら尻尾がきつくて血行が悪くなるの。大きかったら風が入って寒いし、最悪、お尻も見えちゃうの」
これがフサフサでボサボサ尻尾の狼人族系なら問題はないのだ……穴の出し入れは大変らしい……が、なにしろ細長いこの尻尾では。猫人族ならではの悩みは意外に深刻である。尻尾の先っぽだけ妙にフサフサしてる獅子人族ならとっくに諦めもつくというものだが。
「まかせてよ。でも、そんなに言うんなら、自分たちでやってよ……」
まだ右頬が痛い少年は、人族。黒い髪に黒い瞳。全体に華奢で骨細、その顔立ちはもともとは優し気で穏やかなはずだったが、今は痛みをこらえてるせいか、多少恨みがましい。
ルミアは15歳になった。幾分大人びた顔は、少し吊り上がった目に、上品に通った鼻筋や小さな桜色の唇もあいまって、近寄りがたい気品すら漂うが、それを大きな猫耳が中和しているという奇跡的調和のため、得も言われぬほどかわいらしい。惜しむらくは、左腕のヤケド跡が痛々しく見えることだ。心ない同族にとっては悪口のネタになり、人のよい同族からはおしつけがましい同情のタネである。本人は努めて気にしないようにしているが。それよりも、両親の期待に応えられない自分が、余程悔しいのだ。その想いは隠している。
妹のミアルは13歳。ルミアからすれば自分が12、3歳の時とは比較できないほど素直で人懐っこい。思春期の悩みも自分への劣等感も、他人への屈託も何もない幸せな少女に思える。親しみやすい大きなたれ目に小さい鼻、丸顔。その境遇に反して、誰が見ても敵意を持ちえないほど、ひたすら愛らしい。耳毛とショートな髪が、よくある茶色なのもその一因だろう。
あの時拾った少年は、なんとルミアより年上を主張した。それによれば今は16歳になるらしい。そのくせ今もルミアより少し背が低い。古くて錆びた金属製の首飾り以外は何も……記憶すら持ってないという徹底した無一物ぶりで、ルミアは仕方なく少年に「ジョーダディル・エルグ・マルシアレウム・アス・リーデルレムバウス」というご立派な命名をした。彼女が恩義を受けた人族や尊敬する偉人の名前を組み合わせたものらしのだが、ご立派過ぎてルミア以外は、命名された本人すら未だに覚えてもいない。結局は自他ともに「ジョー」と呼ぶようになった。
ジョーは人族にしては常識的で、猫人のルミアにも助けられた礼をちゃんと言った。記憶も何もない自分が生きていくために、猫人族の親子の世話になることを受け入れ、
「この恩は必ず返します。何でもします」
と殊勝にも答えた。理想主義で博愛主義の両親は娘が他種族の行き倒れを拾ってきたことを褒めていたし、素直な妹も兄貴分……実際は家来扱い……ができて喜んでいた。拾ってきた当のルミアだけがさんざん悩んでいて、バカバカしくなるほどであった。
拾われた当初は「猫人族より猫舌」で、「役立たず」「世間知らず」の三重苦であった少年も、素直で前向き、何よりルミアすら舌を巻くほどの物覚えの良さから短い間にこの集落での生活に慣れていった。しかも、ルミアのあの言いつけを3年間守り通している愚直ぶりである。
今では姉妹の方が何かと頼りにして、自分でやってと言われた姉妹も
「自分ではできないから、ジョーにお願いしてるんです。人族の手も借りたいくらいなんです」
「そうだよ。あたしもねえちゃんもジョーほど器用じゃないんだから。だいたい男なのにジョーは器用すぎるんだよ……弱いくせに」
結局はそう言って、ジョーに任せるしかないのだ。
猫人族はもともと狩猟種族である。ぱっと見、人族と変わらない爪は、ネコのように出し入れこそはできないけれど、実は固くて鋭いのだ。しかも本能的にあまり爪を切りたがらない。そのせいか、或いは性格のせいか、細かい作業は人族に劣ってしまう。ただ、それを差し引いてもジョーと名付けられた少年は器用で、家族の針仕事はもう彼に一任されている。ご近所の猫ママたちはそのことに気づかず、ルミアに針仕事の副業を回し、それが結局ジョーの内職になっているというオマケつきだ。
「だいたいあなたは器用過ぎます。狩りをさせれば、罠でちゃんと獲物を捕らえますし」
「でも弓も槍もへたくそだけどね」
「山菜や薬草を探しに行けば、すぐに種類や取れる場所を覚えて、たくさん取って来ますし」
「鉈もろくに使えないくせにね」
「……わたしたちをいつも守ってくれますし」
「それだって、戦えば必ず負けるけどね」
要は「戦う」ということを除けば、かなり有能な家来、ということらしい。
「……それって褒められてるのか、けなされてるのか……僕はちゃんとルミアの言うことを守ってるんだけどな……受けた恩は必ず返せ、二人にHなことするな、誰かをいじめたりするな、優しくて勇敢になれ、女の子を守れ、家の仕事をちゃんとしろ、贅沢はするな、甘いものはルミアに譲れ、ルミアが嫌いなモノは代わりに食べろ、ルミアとミアルの命令は絶対だ……」
ジョーは、あの日、ルミアの背中で聞いたその願いを指折り数えだす。律儀にも全部覚えているらしい。内容的にダブっているものもけっこうあったりして、記憶力自慢のルミアが「そんなことまで言ったかしら?」と首をかしげるほどだ。ちなみに本当のネコは甘みがわからないらしいのだが、猫人族はネコ属ではなく人族の亜種である。猫女子たるもの、甘いものにはしっかり目がないので、ジョーには回ってこない……めったに食べられないが。
「姉ちゃんが、ちゃんと強くなれ、負けるなって言ってないから? 姉ちゃんが悪いの?」
猫人族のミアルから見て、この同居人は奇妙な男である。いくら命の恩人の言ったことだからと言って一言一句完璧に、しかも少しの迷いもなく実行するなんてありえないのだ。見知らぬ猫女子を助けるために10人ほどの猫男子に殺されかけたこともあった。手当てをしながら「なんでそんな危ないことすんのよ」と聞けば「女の子は守ってあげなさい、優しくて勇敢な男になりなさい、義を見てせざるは勇なきなり、なんだって」と笑って答えたものである。最後はなんだか難しい言葉だったが、姉は困った顔でうなずいていた。もしも3年前の姉が「お金持ちになりなさい」とか「闘うならば必ず勝ちなさい」とか「世界を征服しなさい」とか言いつけていたら、今ごろどうなっていたやら。ミアルはふくらむ妄想と多少の寒気に襲われた。
「ルミアは悪くない。戦うことが嫌いなだけさ。僕だって嫌いだ。だからキミたちや女の子を守る時以外に戦ったりしない」
「それにしたって……」
ミアルはまだ言い足りなそうだったが、ルミアは軽く妹をにらみ、たしなめる。確かにケンカは弱く、時折ケガして帰ってくる。それでも二人や村の猫女子を逃がすまではちゃんと戦っている少年だ。それで十分だとルミアは思うのだ。強いからって、数が多いからって女の子や年少の子をいじめてばかりの同族の少年たちよりはるかにマシである。心配ではあるから早く逃げて欲しいのだけれど。
結局、弱い者いじめは人族だけの習性ではなく、誇り高いはずの猫人族にもこの恥ずべき習性があるらしい。群れ意識が薄い猫人族の集落では、法や秩序よりも実力が露骨に重視される。自然、若い猫男子こと猫ヤングの腕力によるトラブルが横行し、弱い者はいじめられる。
かつては人族の街に留学に行った天才児も、「出戻りルミア」となってからは凋落の一途である。そんな娘を暖かく受け入れた両親も、留学の費用を返済した半年後、謎の病で突然死んでしまった。一応は名士だった父とその妻の死で、残された娘らへの扱いも一変した、
以来、集落の中央部から追われ、住居と言えないぼろ小屋に三人で暮らすようになった。そのころのジョーはいっぱしの罠師で薬草取りだったから、もう「役立たず」でも「世間知らず」でもなく、姉妹を支えるようになっていた。それでもこれから冬を迎える今の季節は大変だ。
「やれやれ……できたよ。よかったら試しに着てみて」
その場で腰ひもをほどき、堂々と服を脱ごうとしたミアルは、姉に後ろから頭をはたかれる。なかなかにいい音がした。
「まったく……いくらジョーでも、男子の眼の前で服を脱ぐ子がいますか、もう年頃なのに」
ぼろ小屋の中央にある衝立らしいモノ…‥木の枝とぼろ布でできた……の向こうでルミアが着替え始めた。その薄い布に影が映っただけで、背中を向ける律儀なジョーだ。
「だって、ジョーだよ?忠臣で忠犬だよ?姉ちゃんに言われてH禁止なんでしょ?」
「その忠犬ってなんだよ?ミアルちゃん」
それはジョーの、姉妹への献身ぶりを、猫人族ならではの皮肉を込めて揶揄したあだ名である。いくら恩人相手でもかいがいしく無報酬で姉妹に尽くすジョーは、猫人族からは人族にもあるまじき変人に過ぎず、「忠犬」、ひどい時は「猫女子趣味の変態」扱いである。
「それでも、年頃の男なんですから。男はみんな狼族類です……さすがにジョーです。穴の位置も大きさも、ちょうどいいですよ」
衝立の影の、お尻の上から伸びた長い尻尾が立ってユラユラ揺れている。上機嫌らしい。
「そりゃどうも……それじゃ、少し遅くなったけど今日もヤマへ行ってくるよ」
一瞬の間の後の、ルミアの返事。
「……ムリしないでくださいね」
春や夏、秋でももう少し前なら、山と言えば山のこと。ジョーは罠師で薬草とりなのだ。しかし、秋も深まった、今のヤマ…それは特別な意味を持つ。
「ジョー、早く帰って来てね。ケガとか病気とか、気をつけて。」
もともとは素直なミアルも心配げに付け加える。
二年前にこの集落の近くで見つかったヤマ。それは働き場でもあるが、危険な場所である。
ルミアとジョーが猫人族の集落で暮らして一年後。両親がなくなって半年後のことである。人族のヤマシがこの村にやってきたのだ。
ヤマシ。古代の遺物を掘り当てる遺跡発掘士のことである。そのミズランドと名乗るヤマシは、当初、王国南東部一帯の獣人族が敬う聖地「御山」を発掘しようとしていた。普段は鷹揚でのんきな獣人族たちもさすがにそれには猛反対で、あわや暴動に発展する勢いであった。制度上は仲介にはいるべき代官も、明らかにヤマシに肩入れしており、獣人族としても御山を守るべくついには結束し、「獣人連合」を結成するまでになった。獣人族が政治的な結束を見せたのは、王国史上初のことである。獣人連合は「御山」周辺の山地や森林地帯に兵を派遣し、進入する人族の排斥を始めた。ついにはヤマシも「御山」の開発を諦め、獣人たちと和解したのである。
もっとも獣人たちがそれで満足し、兵を解散するやいなや、ヤマシは「御山」以外の山地を探索し、ヤマ、つまり古代の遺跡を掘り当てたのだ。一部の獣人は大いに怒ったのだが、ほとんどの種族は「御山」は守られたという成果に満足し、ヤマシから個別に懐柔されていったため、もはや人族の進出を押しとどめることはできなかったのだ。
それから二年。「御山」の西にあたる飛竜岳では既に何体かの魔法鋼像が発見され、魔術具や財宝も出土した。それからゴールドラッシュというか、遺跡ラッシュが続いている。掘り当てたヤマシが権利を握っていて、大物を堀尽くした思われる今でも、遺跡を掘るには入山料を払わなければならない。それでも、出る時は出るもので、定期的に入山すれば充分に実入りがいい。ジョーのように入山料が払えない者でも、雇われて発掘に従事することができる。その場合は発見したモノは雇い主のモノ、という条件だがその代わり給金が出る。
体力がない癖に、勘のいいジョーは、実は数回、遺物を発見している。もちろん雇い主に渡しているけれど、ボーナスが出るわけでもない。ならば、そろそろ給金を貯めて、自分で入山料を支払って、一山当てたい、と考えている。給金だけでは、三人の冬支度には心もとないのだ。姉妹の両親が隠しておいた蓄えも、もうこの二年で使い果たしてしまった。
むろんヤマでの作業は必ずしも安全ではない。落石、落盤、ケンカに山賊の襲撃、一部の獣人過激派のテロまで、いろいろなリスクはある。ジョー自身、以前は獣人の鉱夫を暴行する人族を止めに入って殴られたこともある。年に何人も死人が出る危険な場所なのだ。だからこそ日給は悪くないとも言えるのだが。
ルミアとミアル姉妹が近所でアルバイト……季節外れの山菜とりの手伝い……に向かう前にジョーは小屋を出た。小屋は廃材がもとになっていて、うち捨てられていたものだが、隙間を粘土で埋め、土間に乾燥させた草を大量に敷き詰めたりして、なんとか寒がりの猫人でも暮らせるようになった。もちろん作業のほとんどはジョーが行った。
もっとも猫人族はあまり大きな家には住みたがらない。なので、村一番のあばら家と言ってもそれほど気にするわけでもない。彼らは狭くても日当たりがよくて暖かい家があれば十分なのである。その意味でも、姉妹の家は日当たりが悪く、残念なのだが。
ここ、猫人族集落のハズレから遺跡までは二時間ほど歩く。途中、ヤマで働く鉱山夫が集まって、その便宜をはかる町がある。あいにく今日は雇い主を選べる余裕がない。鉱山主の所有者しか募集していないのだ。そういう日は競争がないため特に鉱山夫の給金は安い。下手すれば日給はいい時の半分ほど。それでもないよりはマシ……そう思ったジョーは、募集の張り紙を見て首をひねる。
「銀貨1枚に銅貨2枚?いつもより高い?……これってやばいなぁ」
きっとなにか裏がある。他の雇い主が出ないのも、にもかかわらず鉱山主自ら高値で人を雇うのも。一通り周りからウワサを聞いて……それでも結局ジョーは募集に応じた。
「これって、毒を食ってもネズミはネズミってヤツ?」
つい猫人族のことわざに詳しくなってしまったジョーである。
猫人族の中で暮らすようになって、もうすぐまる3年になるのだ。
支配階級である人族が猫人族に献身的に尽くすことは異常であり、しかもその対象は美しいとはいえ同族からも疎まれる訳あり貧乏姉妹である。
傍から見れば異常でしかなく、不幸であろう。しかし、少年にとってここは天国なのである。彼には、ルミアに助けられる以前の記憶がなく、彼女に救われなければ死ぬはずであった。あの夜、小さな背中に背負われながら聞いた少女の願いを全てかなえることが、彼の必然になっている。それが人にとってどう思われようと、意に介しない。自分の生き甲斐が目の前にあって、その対象が時々褒めてくれれば充分なのである。
冬支度で困っているルミアたちに、毛布の一枚を買ってあげたいし、食料も買い足したい。何気に隠してる左腕のヤケドが見えなくなる長袖の服も買ってあげたい。だから、そのためにはこの程度のリスクは仕方ない。