第五話
日が傾き、空が朱に染まり出した頃。
優花を連れ去った怪物を、ジンリュウの感知を頼りに追いかけた俺達は、針葉樹の茂る森林まで辿り着いた。
「ここなのか?」
「間違いない、かなり大きな波動を感じる。メタルドラス本体がいる」
ジンリュウの言葉には確信が籠っていた。
俺はそれを信じて、森林の中へと入ろうとする。
その時だった。
「蒼汰!」
頭上から聞き覚えのある女の子の声。
近くに並ぶ木の上を探してみると、そこに枝にしがみつく優花の姿があった。
怯えた顔で、こっちを見つめている。
助けを求められている。そう思って、何か無いかと考えたが、方法は一つしかない。
「優花、俺のところに飛び降りてこい。大丈夫、ジンリュウの力もあるから! 絶対受け止める!」
両手を広げ声をかけると、震えながらも頷いて、こちらへ飛び移るように体勢を変える。
大丈夫な筈だ。多分。
「何かおかしい、妙な感じだ。何故連れ去ったメタルドラスが居ない」
「何言ってんだよ、今はそんな事より優花が……」
「ユウカ? ……いや待て、ソウタ! 今すぐそこから離れろ!」
何を言ってるんだ、そんな事したら優花が降りれない……
「そいつはユウカではない!」
「えっ?」
そんな馬鹿な。そう思って改めて優花に向き直ると、丁度こちらへ飛び込もうと木の幹を蹴っていた。
するとこちらまでの僅かな間に、右腕を振り上げ、体を捻る。明らかに受け身の体勢には見えなかった。
そこでようやく分かった。これはマズいって。
すかさず俺は左腕を前に突き出す。
「ジンリュウ!」
大声で叫ぶ。
腕輪は俺の声に反応して輝きを放ち、大きく姿を変え、盾へと変化する。
空を裂く音。
盾を伝わり、重く全身に響く振動。俺は足に力を込め、その場に踏みとどまる。
そして、そのまま右腕を添え、盾をフルスイング。
今のだけで大分体力を持っていかれた……息が、乱れる。
対して向こうは華麗に着地だ。
息を整えながら顔を上げ、奴を見据える。
見た目は優花……だった。だけど、今その右腕は異形の物へと変わっていた。
「どういうことだよ、なんで優花が……」
「本体が近いせいで、小さな反応に気づけなかった。あれは分身体だ」
「ってことは、擬態か?」
優花の顔をしたソレはニヤリと口の両端を上げ、もう片方の腕も、長く、鋭利な刃物の様に姿を変える。
そして、両手で顔を覆うと、全身が、異形の化け物へと姿を変えた。
「まったく、悪趣味な奴」
その姿はどこかコウモリを思わせる。
あんな奴に姿を真似られる優花の身にもなってほしい。そして今後会うときこいつの姿が嫌でもチラつくであろうこっちの気持ちも考えてくれ。
ま、それが出来るようなら、そもそも倒すような相手じゃないわけだけど。
「頭に来た。まずアイツをぶっ飛ばす」
「冷静な判断をしてもらえる方が助かるが、やる気になったのなら、それはそれで結構だ」
「ああ、行くぞジンリュウ!」
盾に挿されている剣に手をかけ、力強く握る……そして、一気に引き抜く!
「変身!」
高らかに声を上げ、俺は全身が光に包まれるのを感じたのも束の間、ジンリュウの鎧を纏った姿へと変身した。
『鎧の力は私が制御する。ソウタ、君は思うままに戦うといい』
「分かった!」
そう、それがジンリュウの提案。
体と意識は、当然といえば当然だけど、やっぱり同じ人の方が本来の力を発揮できるらしい。
そして、鎧のなんか細かい制御はジンリュウが受け持つ。俺は動くだけ。簡単な話だ。
……と、思ったけど全然簡単じゃない!
アイツ動きも速いし、何より飛ぶ! 飛ぶってなんだよ! 何あれズルい。
攻撃が全然届かない!
『落ち着けソウタ。向こうだって、攻撃するにはこちらに近づかなければいけないんだ。その瞬間に……』
「そう言われたって、目が追い付かない。せめてもう少し勢いを削げれば」
そう、この鎧のお陰か、身体能力も視力も上がっているのは分かる。
だけどそれに俺が追い付けてないんだ。
見えたとして、奴の速度に俺の動きが間に合わない。
だから、そう、もう少し。もう少しだけ……
……待てよ。そうか、奴は俺を狙ってきてるんだ。ならやりようはあるかも。
「サンキュージンリュウ。ようやく分かった!」
『何、どうするつもりだ?』
「この鎧で随分強くなってる気がする。てことは、足も速いよな?」
『まあ、その筈だが』
「なら……」
俺は身を翻し、スタンディングスタートのポーズを取る。
目の前は森林。俺はそこを目掛けて……
「逃げるぞジンリュウ!」
『はぁ?! どういうつもりだソウタ!』
全力でダッシュだ! 追いつけるもんなら着いてこい!
木と木の間をくぐり抜け、とにかく奥へ。
後ろからはバキバキと木の折れる音がする。追いかけてきているみたいだ。
『おいソウタ。奴は追いかけてきている! 逃げたって勝ち目はないぞ』
「確かに、ただ逃げるだけならな! だけど!」
走り続けて、少し広いスペースに出る。ここなら……!
俺は急ブレーキで足を止め、惰性で少し滑りながらも体を反転させる。
すると目の前には木々を薙ぎ倒してこちらへ低く飛んでくるコウモリ怪人が……見えた!
剣を高く掲げ、接触も目前のその時、俺は思いっきり振り下ろす!
その剣は奴の脳天に直撃し、地に叩き落とした。
『そうか、森へ逃げたのは奴の飛行速度を下げる為か!』
「そういうこと! 障害物があったら上手く飛べないだろ」
そんな事を話していたらフラフラと立ち上がるコウモリ怪人。まだ動けるらしいが、少なくとも調子はよろしくないらしい。
「これで終わりだ」
もう一度、今度は渾身の力を込めて、頭から縦に斬りつける。
真っ二つに割れ、石のように固まったかと思えば直後、どろどろに溶けていく。
「倒し……た?」
『波動はもう感じない。奴は倒せたとみて、間違いない』
ジンリュウの言葉で、緊張が解けたのか、体から一気に力が抜けてその場に崩れた。
「やった……」
胸がばくばくと鳴って、体が震える。
『初めての戦いだ無理もない。だが、まだメタルドラスが居る。気持ちを切り替えるんだ』
そうは言われても、自分の意思とはまるで関係なくて……どうしたらいいのか分からない。
『ソウタ、ユウカだ。まだユウカを見つけていない。恐らくはこの森の何処かに居る。早く助けよう』
「優花……うん、そうだな。もう暗くなる。出来ればその前に、探しださないと」
別の事を考え始めたら、体の震えが止まった。
ジンリュウ、こういうの、慣れてるんだな。
さて、優花を探そう。とはいえ、この広い森をどう探すか。
そうだ。もしかしたら。
思い付きで、自分のスマホを取り出して、画面を確認する。うん、まだぎりぎり通信は繋がってる。
『何をするんだ?』
「優花に電話、掛けてみる。マナーモードにしてないといいけど」
電話を掛け、耳をすませてみる。
この鎧の力もあれば、多分聞くことが出来るはず。
風に揺れる木々の音、セミや鳥の声……色んな音が、耳に入ってくる。今までこんなに聞こえたことはない程に。
感じろ。何か違う音が、ある筈だ……
……聞こえた!
音のする方向へ急ぐ。無事でいてくれ!
向かった先、そこで、木に蔦で括りつけられた優花の姿を見つける。
動かずじっとしていて、どうやら、気を失っているらしい。
「ジンリュウ、どうだ?」
『……うむ、何も感じない。本物のユウカで間違いない』
さっきの事もあり、念のため確認し、確信を得た所で近づいて、蔦を切る。
倒れてきた優花をそっと抱える。
息はあるし、目立って怪我や傷は見当たらない。ただ気を失っているだけみたいだ。
「優花、ゆーうーか」
軽く呼び掛けてみたけど、これでは目覚めそうにない。
このまま抱えていてもいいけど、もし道中でメタルドラスと遭遇したらと考えると……
少し強引にでも起こした方が良さそうだ。
ちょっと強めに揺さぶってみる。
「うぇっ? 何……何?」
戸惑い混じりに驚きながら、目を覚ましてくれた。
「あなたは、誰……?」
安心したのも束の間、俺の顔を見るなりまた驚いて、少し震えていた。
そういえば変身しっぱなしで、仮面で顔が隠れちゃってるのか。そりゃ分かるはずもないか。
「安心して。俺だよ、蒼汰」
「蒼汰……? あ、それ、昨日の夜の……」
「そう、ジンリュウの姿だ。助けに来たんだよ」
「そっか、あたし、あの怪物に連れていかれて……あの怪物は、何処に行ったの?」
おぼろげだった記憶もはっきりしだしたらしい。
怪物の事を思い出して、怯えだしている。
「あのコウモリの怪人だったら俺が倒したよ」
「蒼汰が? 戦った、の?」
「まあな」
そう答えると、喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ただ、心配そうに、
「大丈夫?」
なんて言ってくる。
何言ってるんだ、それはこっちのセリフ。助けに来た方を心配なんかして。
「全然怪我とかしてないし、まあ、ちょっと痛い事もあったけど平気、平気」
「そうじゃ、なくて……」
こちらへ手を伸ばし、そっと頬の辺りを撫でてくる優花。
「怖く、なかった?」
何も、言葉を出せなかった。
ほんと、自分の方が怖い思いしただろうに。なんで人の心配するんだろうな。
『変身は、解かない方がいいかな』
「ああ、まだ気は抜けないからな」
仮面をしてて良かった。こんな顔は、かっこ悪くて見せられないよな。抑えてたものが、一気に溢れてしまいそうだったから。
意外と、気の利く奴。
「帰ろう。歩けそうか?」
聞きながら、当てられた手を優しく下ろす。
優花は静かにうなずいて、俺の腕から降りる。
「じゃあ、行こうか」
気が付けばほとんど日も落ちて、空には星も浮かび始めている。
森の中は暗い。早めに戻らないと……
そう思って、立ち上がった時だ。
感じた。背筋に、嫌な寒気を。
「優花下がって!」
それだけ叫んで、振り返る頃には、もう遅かった。
「なんだ……これ……!」
目の前には無数に漂う金属の塊。一つ一つは石ころの様に小さいが、それが一斉に、俺の体に飛び付いてくる。
『メタルドラス、まさか分身を作り、私の感知を鈍らせていたのか!』
足の先から頭まで、体を覆い尽くす勢いで次々と、金属の塊がくっついてくる。
『そうか、何故取り込めもしない人間を狙うのかと思ったが、最初から狙いは私か! 私を、この星を飲み込む、エネルギー源にするつもりかっ!』
もがいて、剥がそうとしても余計に体に広がるだけだった。
自由が利かない! 苦しい……奪われる……体も、意識も……!
ただその恐怖だけが、唯一意識を保つ。
嫌だ、死にたくない……!
そう思った時、俺は弾かれるように背後に飛んでいた。
飛びながら、金属に覆われていくジンリュウの姿が目に映った。
「逃げろ! せめて、君達だけでも!」
地面に叩き落とされた痛みの中で、最後に聞こえた言葉がそれだった。
痛みが引く間もなく、俺は優花の手を取り走り出す。
ただ一度……一瞬だけ、横目で背後に目をやる。
見えたのは、完全に呑まれていくジンリュウの姿。そして、彼を覆った金属が形を変えようとする瞬間だった。
あとは見なかった。見れなかった。
何も出来なかった。結局、何も返せないまま、俺は……
自分の弱さが悔しくて、でも、何処にもぶつける余裕は無くて。
俺はただ、拳を握りしめることしか、出来なかった……
*
どこまで来たんだろう。
あれから必死に走って、走って……アレからは、きっと離れた事だろう。
だけど、状況が状況。冷静じゃなかった。
今、どこに居るのか……分からない。
日はすっかり落ちて、辺りは真っ暗だった。
元々、何の土地勘も持たずに入り込んだ森の中、当然帰り道など分からない。
それでも、いつまでも走れるはずもない。
途中で優花が、崩れるようにへたりこむ。
ぜぇ、ぜぇと咳が混じったように息切れをしていて、これ以上、走るわけにはいかなかった。
木にもたれかからせ、俺もその横に座り込む。
そうしたら、走っていたお陰で掻き消せていた記憶が、ドッと頭の中に押し寄せ、巡り出す。
昼間の巨大蜘蛛、優花を連れ去ったコウモリ怪人……
そして、無数に漂う金属の塊、それに呑み込まれるジンリュウの姿……
思い出すだけで、心臓の鼓動が早くなって、どんどん息が上がっていく。
体の震えが止まらない……
俺は、あんな怖い相手と戦っていたのか……
「そうた、そうた、だい、じょうぶ?」
うずくまって震えていた俺の耳に聞こえてきた、少し掠れた優花の声。
喉の調子を整えようとしているのか、咳払いしているのが聞こえる。
「どこか、痛むの?」
俺は膝に顔を埋めたまま、首を横に振った。
「どうしたの?」
「今の俺、かっこ悪いから」
こんな顔、見せられるわけない。情けなくて、ダメな今の俺を。
そんな、ぐずぐずとしていた俺の、すぐ側に、優花が腰かけるのが分かった。
「やっぱり、怖いよね」
俺の隣で、優しく語りかけられる言葉。
「あたしだって、そうだったんだもん。それを、目の前にして、戦って……きっと、凄い大変、だったよね」
思わず、顔をあげる。すると、
「やっと顔が見れた」
と、はにかんでくる。
「かっこ悪いなんて、気にしなくていいよ。全部知ってるし、何より……かっこいいところだって、沢山知ってる」
優花は、俺の頭の上に手を置いて、優しく撫でる。
「頑張ったよ。蒼汰は、充分。だから、もう、いいんだよ」
頬を雫が流れ落ちていくのが分かる。
一つ二つ……気づけば止めどないほどに……
泣いた。みっともないほど。
それを優花は、なにも言わず、ただ隣に、居てくれた。
心の中で淀んでいたものが、一気に流れていったからか、気持ちがスッキリとして、軽くなった。と、思う。
「……もう大丈夫。落ち着いた。なんか、ありがとな」
「どういたしまして」
精一杯の笑みで答える優花。
ふと、空を見上げた。
綺麗な星空だ。これから、地球が終わってしまうなんて、思えない。
長い、長い時を経て地球に辿り着く、星の光。
今見えてるこの星の中に、ジンリュウが救えなかった星も、あるのだろうか……
『逃げろ! せめて、君達だけでも!』
また、助けられたんだな。
二度も命を救われて、結局何も返せていない。
俺は、何が出来たんだ……
……ん、あれ?
そういえば俺、どうして生きてるんだ。
ジンリュウが離れたら、俺死んじゃうはずじゃ……
そういえば、優花でさえヘトヘトになるくらいに走ったのに、俺は息一つ上がってない。
ふと思い立って立ち上がる。
優花が不思議そうに見上げてくる視線を受けながら、俺は木の上をめがけて高く……飛び上がった。
高い位置の枝を掴み、少ししたら地に降りる。
あり得ないものを見た、というように、目を見開く優花。
本当なら驚くべきことの筈なのに、何故か俺は、これが出来て当然のものという感覚があった。
思わず笑いが込み上げてくる。アイツ、やってくれるじゃないか。
「優花!」
「えっ、はい」
「多分、まだ終わりじゃない。……力を貸して欲しい。俺だけじゃ出来ないことなんだ」
戸惑いを隠せない様子の優花。
「あたしに、出来ることなんてあるの?」
「居て欲しいんだ。……勿論、危険だし、ただのわがままかもしれない。でも、優花が居てくれれば、俺はきっと、負けないと思う」
差し伸べられた手を見つめ、そして俺の目を見ると、恐る恐る、頷いた。
「やる。あたしに、出来ることなら」
そう言って俺の手を握り返して来たのを、引っ張りあげる。
立ち上がった優花と、改めて目を見つめあう。
「行こう」
言葉を交わさなくても気持ちは一つだと分かった。互いに頷いて、走り出す。
待っていてくれ、ジンリュウ!