第二話
見渡す限りの黒、黒、黒……
落ちている。他には何も分からないけど、ただ、その感覚だけは分かった。
体が重い……頭がだるい……考えるのも、正直めんどうだ。
ああ……このまま、身を委ねてしまおう。どこへ行くのか分からないけど。それが一番楽なんだ……
眩しい……光が、目の前に射し込んできた……眩しい。
……えっ、なんだここ!? 俺、どうなってんの?!
急に頭が冴えだした。あの、光のせい?
たしか、俺はあの時優花を庇って……あ、もしかして俺死んでる?!
嫌だ、死にたくない!
必死に俺はもがいて、上にあがろうとするけど、体が浮かぶことはなかった。
あの光、あの光だ! そんな気がする! あそこにさえ、辿り着ければ!
そんな時、射し込んでいた光は少しずつ形を変えた。
大きく、こちらへ伸ばされている手。
俺はその手にとにかく、すがり付こうと伸ばす。
届け、届け────
*
「届けっ! ……あれ?」
気がついたら、そこは見知った風景……というか、俺の部屋だ。
天井に向けて伸ばしていた左腕が妙に重い。なんだかやけに体は疲れてるし、重力に任せて腕を下ろす。
「いたっ」
なんだ今の。うちの人かな。
ていうか、今何時だ……
スマホを探して枕の上辺りを探るけどそれらしき感触はなし。仕方ない、と体の向きを変えて顔を上げる……と、人の下半身らしきものがまず視界に入る。
小麦色に焼けて、引き締まった健康的なふとももですね。
……じゃなくて誰?!
驚いた勢いで起き上がって、視界を上げる。
そこには、壁に力なくもたれて眠る優花が……
「えっ、なんで?! 優花?」
とにかく驚いていて、思わず声が裏返ってしまった。
そして、声を上げてしまったからか、優花のまぶたがおもむろに持ち上がる。
まだ意識がはっきりしていないのか、半開きの目を擦りながら、重たそうに垂れた頭が上がり、俺と目を合わせる。
「そうた……?」
若干回っていない呂律で俺の名前を呟くと、突然頭の中が動きだしたように、大きくまぶたを開く。
「蒼汰、気がついたの? 私の事、分かる?」
体をグイッと前のめりに目の前に近づけて、自身を指差し問いかけてくる優花。
「分かるよ。優花だろ」
「体、痛まない? 息が苦しいとか、ない?」
「いや全然、いつもの通りだけど……」
「ホント? 無理とかしてない? ホントのホント?」
なんでここまで心配されるんだろう。体は本当に何もないんだけど。
不安げに、上目遣いでこっちを見てくる優花に、軽く体を動かして見せる。
「ほら、大丈夫だろ?」
と、付け足して答えてやった。ここまで見せれば流石に大丈夫だろ……う?
次の瞬間にはガバッと飛び付かれ、なんの構えもしてなかった俺は、大きく仰け反りながら後ろに倒れた。
布団の上だから大したダメージは無いが……その、ちょっと恥ずかしいというか……ありがたいけど。急にどうしたんだ……
なんて事を考えていると、耳元から、涙をすする音が聞こえてくる。
「優花……?」
「よかった……生きてて……死んじゃうかもってずっと、不安で……不安で……でも、ホントに、よかった……」
死ぬ? 俺が……?
何の話か、イマイチピンと来ていなかった。
けどよく見たら、優花の上着、俺のだ。しかも、妙に汚れてる。なんで?
待てよ、そう……貸した記憶がある……昨日の夜、星を観に行って……そうだ、襲われて……! そうだ、はっきり思いだした。アレは、夢じゃない。確かに、あったことだ。
……なら、ずっと、居てくれたのか?
「なんか、ありがとうな」
「心配で、でも、他に何もできなかったから……」
宥めてみようと、背中を軽く叩いてみる。
幸い、優花は大分落ち着いてた。俺から離れて、顔を背けて髪を弄っている。しかもやけに……顔を、真っ赤に……してて……
冷静になると割ととんでもない状態だった。そう、色々と。
なんというか、そうとんでもない事が起きた。ただ、何より驚いてるのは、にも関わらず俺は落ち着きすぎている。気がする。
あんな事があった割に。
というか、そもそもどうやって俺はここまで? 優花が運んできた……って訳じゃないよな。
いや、それ以前に……
「俺って、撃たれたよな?」
その表現が正しいかはともかく、近い事はされたはず。なんで生きてるのか、そこだけは全く分からない。
胸を抑えて大きく深呼吸した後に、優花は俺に向き直る。
「あの、それはね。あの時……」
「そろそろ会話に挟まって良さそうだな」
うん?
聞き覚えのない声が聞こえてきたような。
優花……なわけないよな。男の声だったし。訳も知らなそうに首振ってる。
いったい何処で、誰が?
「ああ、分かりづらかったかな? ここだここ。君の左腕」
左腕? そういえば、なんか違和感があるような……
と、言われた通りに見てみると、これまた見覚えのない、金色のブレスレット。
「やあ、私の名はジンリュウ。君達に分かりやすいように言うなら、『宇宙人』という奴だ」
「腕輪が喋った!?」
「ああ、こんな姿をしてはいるがこれは一時的なもので……って何をするんだ! ちょ、やめるんだ!」
昨日の今日で喋りだす腕輪なんて洒落にならない。外そうにも外れないし、腕を振り回してみるか!
「待つんだ、まずは話を……あ、そこの君! 黒い髪の女の子! 彼を止めてくれないか!」
「ええっ、あたし!?」
腕輪に話を振られた優花は、自分に飛び火したことに驚いたのか、目を大きく見開き、困って目を泳がせている。
「いや、昨夜会っているだろう、ほら! ……あんまり恩着せがましい事は言いたくないが、君達を助けたんだよ私は!」
「えっ? あ、もしかしてあの、鎧の人?」
「そうだ、その鎧の人だ!」
「鎧の人?」
半信半疑、という様子ではあったが、優花の方は何か分かったらしい。
「蒼汰、とりあえず話、聞いてみない? 多分、悪い、人? じゃないと思うの」
「まあ、優花がそういうなら」
俺も焦りすぎた。少し落ち着いて、このジンリュウと名乗る腕輪の話を聞いてみることにする。
「落ち着いてくれたようでよかった。では、改めて私の名はジンリュウ。君達は、ソウタとユウカ、でいいのかな?」
俺達のやり取りをどうやら聞いていたらしい。とりあえず、質問には頷いてみせる。
「うむ。ではまあ二人とも、色々聞きたい事はあると思うが、順を追って話そう。まずは、昨日の出来事についてだな」
これにも頷いて返し、ジンリュウは話を続ける。
「昨日、君達を襲ったあの怪物は、メタルドラス。これまでに、二つの惑星を滅ぼした、悪魔の様な存在だ。そして私は奴を追ってこの星に来た」
「そんなに? 確かに、いきなり撃たれたりでいい印象はないけどさ」
惑星を滅ぼす、と言われてもイマイチ実感が湧かない。
「君達を襲った段階では、この惑星に降り立ったばかりで、まだ完全な状態ではないからだ。そうだな、言ってしまえば空腹状態なんだよ奴は」
「じゃあ、食事をすれば本調子になるってことか?」
「そもそも、何を食べるの? もしかして、人間……とか?」
怖いことを言い出す優花。自分で言っていてビビりだしているらしい。
「いいや、その程度では済まない。惑星を滅ぼすと言っただろう? 奴は星そのものを吸収してしまうんだ」
「「ええっ?!」」
星なんて……それこそ信じられない。あんな大きさで?
「二人とも、信じられないという顔だな。無理もない、実際に見なければ分からないことだまあ、それについて話し出すと長くなる。一度置いておこう」
うん、完全にキャパを超えている話だ。そうしてもらえるとありがたい。
「君達に……特にソウタ、君にとって大事な事はこれからだ」
「俺?」
「ああ、君はメタルドラスに襲われ、重症を負っただろう。今の調子はどうだ?」
そうだった。あまりに想像もつかない話の連続で自分の事に気が回ってなかった。
優花も、この話題は気になるようで俺の方をジッと見つめてくる。
「さっきは、大丈夫って言ってたけど、どうなの?」
「変わんないよ、さっき言った通り全然平気」
そもそも体に全く痛みがない。むしろ、調子が良すぎるぐらいだ。
「そうか、峠は越えたようで何よりだ」
「もしかして、ジンリュウが俺の体を?」
「誤解のないように言うと、治した、という訳ではない。まだ修復中だ」
修復中? こんなに体はピンピンしてるんだけど。
「今私が居る状態では、君の体は健康体という話だ。私が居なくなれば、途端に君は昏睡状態に戻るだろう」
「そう、なのか……」
「ああ。そうだな、君の体は、足りないところを補っているというのが正しい。それでも、私の力で通常の倍以上の速度で回復はしているがな。完治までは、丸三日といった所か」
「え、そんなもん? てことは、その間ずっとジンリュウが俺にくっついてるってわけ?」
正直思い出したくはないけど、あれは多分胸に大穴が空いてたと思う。
生きていただけで奇跡だ。
四六時中こいつが付いていると思うとプライバシーが気になる。けど、元々の俺の状態を考えれば、たった三日で完治だ。大した話じゃない。
……あれ?
「じゃあ、その三日の間、その、メタルドラスってのはどうなるんだ? 倒した、って訳じゃないんだよな?」
「まあ、そうだな。放っておける筈もない。奴にあまり時間を与えてはならない」
じゃあどうするっていうんだ。俺から離れられても困るし……
「そこで提案なんだが」
「提案?」
なんだかあまり良い予感はしない。十中八九、断れないだけに。
「君の体が完治するまで、その間でいい。私と共に調査をしてくれないだろうか」
うん、なんとなくそういう流れだとは思った。
「正直、この星で活動するには私は目立ちすぎる。それに、現地の住人の協力を得られると心強い。お互い、損はないと思うが」
「と、言われましても」
まあこっちとしては断りようがないんだが、それはそれとして懸念が一つ。
「やっぱり戦ったりすんの?」
そうなった時、まず俺の命はないと思うんだが。その辺りどうなんだろう。
「それについては問題ない。私に任せたまえ」
どういう意味なのかは分からないが、やたら自信ありげなのは伝わってくる。
まあ俺もそろそろ観念するしか無さそうだ。
「うーんまあ、いいよ」
「ええっ! 蒼汰、本気?」
「うわっ」
こっちがビックリするくらいの声を上げた優花。
「なんだよ急に大声出して!」
「いやあ、だって蒼汰さあ、正直運動とか得意じゃないでしょ? ダイジョブかなーってさ」
む、痛いところを突かれる。
そんな事を言われましても、という感じだが、「しょうがないじゃないか」と弱音を見せたくもない。
「まあ、ジンリュウには命を救って貰ったしな。その恩ぐらいは、返したいし」
俺がそんな殊勝な心掛けをしたキャラじゃないのは重々承知してる。
けど、せめて建前ぐらいは、カッコつけたい。
それは、多分優花だって分かってるんだと思う。
それでも、観念した様子で、息を洩らす。
「分かった。そこまで言うなら、止めない……でも、一つだけ」
そう言って、人差し指を立てて眼前に突き出してくる。
「死んじゃダメだからね、それだけは、絶対。いい?」
表情も声も、いつになく真剣で、思わず背筋が伸びる。
それでいて、その目はとても不安げで、今にも決壊しそうな程に潤んでいる。
「分かってる。大丈夫だ、ジンリュウも居るし。ヤバい時は、助けてくれるんだろ?」
「勿論だ」
この目に嘘はつけない。だから、こればかりは飾らない。
「うん、それなら、いいかな。じゃあ、はい」
と、今度は小指を立ててくる。
ええ、今時……やるか? こんな……
「いいじゃん、恥ずかしいくらいの方が約束守ってくれるかなって」
見て分かるほど微妙な顔になっていたらしい。まあ、それで納得してくれるなら、いいか。
そう思って、俺は優花に応える。
「それで良し」
優花はそれで満足そうにして、立ち上がり、戸に手をかける。
「じゃあ、着替えてまた来るね。昨日の夜からずっとこのままだったし。蒼汰もお風呂入った方いいんじゃない?」
「ああ、そうするよ……ん?」
今なんて言った? 『また』来る?
いたずらっぽく笑みを浮かべながら部屋を後にする。
待って欲しい、付いてくるつもりなのか? と、問いかけるまもなく帰ってしまった。
家が隣なせいでフットワークが軽い。
俺が唖然としていると、不意に鳴るスマホ。
見てみるとメッセージが一通。優花から。
『一人で行かせるわけないじゃん』
ああ、やっぱりそういう事でしたか。
と、頭を抱えているともう一通。
『危ない時は守ってよね』
別に俺が戦う訳じゃないと思うんだけど。
「まあ、途中まで付いてくるぐらいなら大丈夫じゃないか。本当に危ない所にはついてこさせなければいい」
「ああ、そう?」
「それとも、来る前に出発するか?」
「いやあ、ちょっとそれはそれで怖いかなあ。それに……」
よく見ると自分の姿は大分汚れている。考えてみれば出血ぐらいはしていた訳だしなあ。落ち着いてみると、背中がスースーしているのが気になる。
まあ丸っと穴が空いてるんだろう。
うん、俺が今やるべき事、それは一つだ。
風呂に入っておこう。