地上の星に照らされた、微かな闇色の夜空に願いを込める
都会の空はフィルターがかかっている。青空も、夜空もその本質の色を隠してる。誰も見上げる事の無い月が、ぼんやりと浮かんでいる。
満天の星とは、地上の事なのだろう。ネオン、行き交うヘッドライト、人間が生活している個々の場所の灯り。それらは天へと向かい空を照らす。
天から光が届く日中とは違い、地上から空を明るく染める街の夜。それは植物の生育に悪影響を催すとか、生態系に異常をきたすとか言われ『光害』と称されている。
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紫煙が空に流れる。無人のオフィスビルの屋上。その行方を読む人物がひとり。黒い髪を後ろで束ね、闇に溶け込む黒の上下。しん、足元のコンクリートが冷え込む中、煙の行方を追う。
ビル風の影響なのか、複雑に流れ行くそれ、視界を離れた下へとおろす。道路を隔てた向こう側を見る。此方側も、彼方側も街路樹と、街灯が均等に並んでいる歩道には、雑多な人が行き交う。
都会の夜は明るい、彼はそう思うと薄く笑い、用を終えたそれを携帯灰皿に押し込む。そして、傍らに置いているデイパックから、気付け薬にしている、ブランデーの小瓶を取り出すと、一口喉に流し込む。
ゴクリと喉か鳴る。ビリとした感覚。流れるアルコールの実感。モードが切り替わる、ふう、と息を一つ、つく、ほわと湿度を持った濃いミルク色が広がる。
空を見上げる。月は出ている。遠慮がちに、夜空の主がぼんやりとそこにいた。ふと、男にデジャウが訪れた。
………懐かしい声が聞こえる。行方不明の両親、母の声が………『願いを込めて、夜空の主達を眺めれば、いつか叶うのよ』儚い声。
かつて両親と眺めた、しっとりと黒い深い夜の空、月は触れれば切れそうな青白い銀光を放った夜を、
新月の夜、月が姿を見せぬ時には、またたきがわかる星の共演、ミルキーウェイがその名を体現している夜を思いだす。
それに対して、地上から立ち上る、人類が作った光に犯されている、微かな色に褪せてる夜空に願いを込めても、叶う事はないのではないか………
ふっと、思い切り現実へと戻って行く。哀れな白い月の位置を確認する。そこには、光溢れる街の月。
輝きが薄れているそれは、生真面目に、こここ空にも、何も変わらず顔をし、春夏秋冬、二十四時間、きっちりと時を進み、その時々の位置を変えることなく、太古から昇っては、沈むを繰り返している、地球の衛星として存在している。
やがて、確認が終わると、コンクリートに置かれている荷物を入れたデイパックから、タンブラーを取り出しす彼、煽るように口に運ぶ。中身は飲み物ではなかったらしい、ガリガリと噛み砕き飲み込む音が響く、ただ一人いる屋上。
ふっと一息、白さが薄れるのを確認すると、彼はスナイパーライフルを手に取り、スコープを通して対岸を見る。
直線の先、何処の国の料理か、看板等無粋な物はない、どっしりとした、高級感溢れる店の扉。世俗的な者達を、寄せ付けぬ雰囲気が漂っている。
少し左右に動かす。両に置かれている、樽に植えられている植物、その周辺に、それとなく近づいている、使い捨ての任務遂行が使命の者達。
神の名のもとに、彼等の父親から与えられたアクセサリーを着用しているのを確認する。店先の歩道、ぽっかりと口を開けている空間。
高貴なる身分のお方が、すっと、黒塗りの車に乗り込めるように、スペースを計算し、開けられている街路樹。今は冬の眠りについている枝には、ペカペカと、青白いイルミネーションが美しく瞬いている。
「都会はいいな、明るい、チッ!冬場は嫌だな、息が白い、氷が要るんだよな」
呟くと、足元に置いたタンブラーから数個口に放り込む。冬場の仕事時の、湿気った白い息が彼は嫌いだった。なので、温度を下げる為に氷を含む、
ふう、口から流れる、それがクリアになる。目を向ける、時が近づいていた。
………スッと、黒塗りの車が流れから外れて停車、幅広い歩道、行き交う雑多な人間。車から降りる男。通行人に一時の静止を求める。
この界隈ではよく有ることなのか、人々はそれに従う、ざわめく空気がふわと膨れ、声が車の走行音に混ざる。
携帯を構える物見高い人々、それにまぎれるある組織の者達、そしてその異様な姿には、誰も気がついていない。
ガリガリと音立て砕いて飲み込む。息を吸い込み、ゆるりと吐き出す。
屋上地上共に、阿吽の呼吸で数を数え始める。経験に基づいた、地上の彼等のリズムに合わせる屋上の男。
規則正しいカウントダウン、扉が店のオーナーにより開かれた。わっとしたものが溢れる。息を止める、視線に力を入れる。
ターゲットの高貴なる身分が、車体の視角に入る迄の僅かなチャンス、取り巻く数人のボディーガード、鋭く辺りを見渡したその瞬間、
それが動いた。左右から死出の花火を巻き付けた年若な者が躍り出た、それに対応するボディーガード、咄嗟に庇う様に車へ誘う、その内ひとり。
蜘蛛の子を散らす様に逃げる路上の人々、行き交う車はそのままに、動画を撮る者もそのままに、時が満ちた。
バン!重く響く低音を含む幾つか銃声、それに併せ、紛れる様に動く屋上サイレンサー、パンっ!低音が抜けた音。
スコープより倒れるターゲットが、狙撃者の目に焼き付く、そして即座に銃を引くと身を伏せる彼。
轟く爆発音、どちらかが上手く起動させたらしい、阿鼻叫喚の音が、声が、微かな匂いが、熱が、地上から沸き上がってくる。
素早くタンブラーを手に取る。体勢を低くしながら流れてくる喧騒を、聞き流す。仕事が終わった彼は、例の二人の、最期を確認する事もなく、地上の無駄な命が散らされた事に対して、何も思うことなく、荷物をまとめると素早くその場を後にした。
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―――目が、耳が、良い、そして何より冷静沈着、思考を、取り巻く状況を即座に分析、論理的にまとめあげる能力、感謝しろ、流石はご両親の血を引いている。
コツコツと歩く暗いガード下。彼の耳に残る、自分を育て上げた、父親と呼んでいる男の声。
上着のポケットに、薄い革手袋を装着している利き手をさりげなく入れる。薄暗い通路を歩いている。響く足音。背後からきちんと重なるそれ、パアッと空間が、白く照される。ゴオンと通りすぎる乗用車。
振り返る、刹那、小さなナイフを投げる、切っ先には薄く毒を塗り込めてある。彼が最も得意としている得物。
倒れた者に、二、三歩近づく、うつぶせに倒れ、ビクビクと痙攣を起こしている。傍らに落ちている拳銃、手を何かに触ろうと喘いでいる男。
どおして、わかった、と掠れる途切れとぎれの息の声。答えない彼。経験で得た距離、事切れる時の確認の為に留まる。はた、と臨終、目の端に留めて駆け出す。
再びポケットに手を突っ込むと、四角いプラスチックの物をガード下から出る寸前に、背後を振り返り力任せにそれを投げ、三秒数えた後、そのまま走り去った、灼熱の風と朱色と黒の風が、男の背を強く煽るように押す。
―――証拠は残さない様に、後始末はしくじりがないと判断したら此方で手を回してやる。『国』の『正義』に従えば、別れた親の手がかりが掴める。
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なおん、ジー、冷蔵庫の音がしている。コォーと静かなエアコンの音。ベッド、スーツケースが一つ。無駄な家具は置かれていない、ワンルームの一室、なおん、再び猫の声が、とろける様に上がっている。
「また入り込んできて……もうここを離れるから、お別れだね」
Webのニュースを眺めつつ、ベッドに座っている。冷えたグラスに氷を幾つか、ウイスキーを少し入れて、カラリ揺らし、クリアな氷と、青い空色を写した様な切り子硝子に、当たり触れる音を楽しむ。
カチリ、赤い火が灯る、照明をつけていない部屋で浮かび上がる、ふわりとフレーバーの紫煙が漂う。ブルーライトの中では、とある組織によるテロリスト爆発事件の云々が、流れている。
………来国中の、とある国の高官の死を伝えている。彼のターゲットの男は、彼の手により死んだのだが、狙い通りに上手く事がすすんだ様子。
爆弾を巻き付けたテロリストが発砲、それにより死亡と、そしてテロリスト二人も、自身が起動させた爆発物により、数多な人を道連れに死亡………
「上手く事が運んだ。一つ組織をこのまま潰せるか……テロリストに金を出す国、そして何処かの組織。でも……次がいるだろうな、そうだろ?変わらない、何も……」
なおん、すり寄る野良猫に優しく目をやり、撫でる男。子供の頃の僅かな思い出が甦る。
「別れたんだよ、小さいときにね、そう、空港で………技術者だった父さん、母さんとね。沢山の人が巻き込まれて………僕は、その時『父親』に拾われた、教えてもらった、色々な事を………」
灰皿に押し付け火を消す、煽るように一息で飲み干す。優秀な科学者だった両親、拐われる様子の映像を何回も見せられた。
立ち上がる、賑やかに青い光が声を放っている。天井に光が広がっている。
――何処かの国の………世界を、平和を乱す『組織』に連れて行かれた、会いたいのなら、強くなれ、共に探そう………
「共に、ね。」
ぽつりと呟く、見上げる天井に、ぼう、と青く広がる淡い光、見上げたそれを、今宵の時を……思い出す。
ボフっとベッドに飛び上がった音がする。サイレントの携帯の通知。ポケットから出す、ページを開く、光と文字が眼にはいる。
「はい、入金ね、確認、と………」
しばらく何処かに旅行してみようか、とそれを眺める。そしてふと、何時ものように疑問が浮かぶ、捨て去る様に首を振り、それを押し込めて行く。
………取り敢えず………国とやらを信じとくとするか、今さら引き返しは出来ない。
クスリと自虐的な笑いを浮かべると、今日も無事に終わった事だし、取り敢えずビールを飲もうかな、と呟き、彼は冷蔵庫の扉を開き、それを取り出した。
『完』
ぶにゃあ様のハードボイルド応援企画作品。カタユデタマゴです。