作戦「ローレライの宴」の影響は?
ドイツ海軍の奮戦は1944年の戦況に大きな影響を与えることに
この作戦「ローレライの宴」の各種作戦の結果をかいつまんで、述べてきたが、この作戦の最大の成果はドイツ海軍の働きが世界的な戦況に影響を与えることが立派に証明できたことにある。
戦艦に通商破壊をさせるのは日本海軍などにはあり得ない発想であるが、これにより戦艦ははるか離れた陸上でな戦闘にも影響を与えうることが示されたのである。
いつ起こるかわからない艦隊決戦に高価な戦艦を待機させたままにするより偉大な戦果をあげれるのである。
「ローレライの宴」が直接的に関わることになった東部戦線の様子について述べる。
対ソ補給船団が北極海経由で送り込まれていたのは前述の通りだが、「ローレライの宴」ではあちらこちらでこのルートが攻撃された。
なかでも痛かったのは荷下ろししたムルマンスクへの攻撃である。
ムルマンスクからの鉄道の輸送能力の限界から港の倉庫に一旦、集積されていた物資がかなり焼き払われたのである。
一方で中東方面からの補給ルートは、インド洋の日本海軍潜水艦の跳梁、地中海方面の輸送リスクの増加(ジブラルタルの機能低下でイタリア海軍の活発化)からいくらも進まない。
かくして、東部戦線で一気に戦勢を挽回するソ連軍の大攻勢「バグラチオン」作戦は、補給物資が集積が進まないことから延期を重ね、ようやく1944年秋頃実施となったのである。
この作戦はドイツ軍の北部軍、中央軍、南部軍の各軍集団のうち、最大の中央軍集団を一気に叩き潰す作戦だけに、膨大な部隊、物資の準備を要したのである。
しかし大規模すぎる作戦準備はウクライナ独立軍の戦場諜報網に偵知されたのである。
残念な話だが、この情報は最高司令部には報告されたが内部にいるソ連のスパイに握り潰され、危うく東部戦線のドイツ軍がソ連の目論見通り壊滅する危機にあったのだ。
幸いこの情報は密かに各軍集団に知らされたため、空前絶後ながら最高司令部のあずかり知らぬところで各軍集団が独自に計画する反撃作戦が立案されたのだ。
作戦名は立案した連中の皮肉で「帝国の逆襲」であった。
これは、大規模な戦車部隊での反撃作戦ではない。ロシアに詳しいウクライナ独立軍との共同作戦による、後方支援組織への奇襲作戦である。
いくらソ連軍が物量でこようとも、「補給のない軍隊は崩壊する」のである。
幸い、ドイツ海軍がいまだにフランス大西洋岸 で頑張っているお蔭で、ドイツに対するヨーロッパでの第二戦線の構築は遅れに遅れている。
この小康状態を生かした、反撃作戦である。
最高司令部には黙って(騙して?)フランス駐留で十分戦力の再編の済んだ部隊をこっそり引き抜き、(移動の建前は本国での休暇である)空軍も、フランス方面で比較的緊急性の低い戦闘爆撃機や襲撃機を本国での機種更新の名目で飛行隊単位で移送していた。
本来はこのような異様な動きは国防軍とは仲良くない親衛隊が何らかのアクションを起こすのだが、後れ馳せながら、独自にソ連軍大攻勢をつかんだ親衛隊は身内の武装親衛隊も壊滅の危機にあることから、「協力」し、最高司令部が承知しないうちに反撃準備は整えられていく。
ソ連軍も兆候はつかむが、最高司令部のスパイからは否定的な情報しかないため、地道に攻勢準備をしつつある。
そうして、1944年10月、バグラチオン作戦が始動したのである。
ソ連軍への反撃「帝国の逆襲」はうまくいくでしょうか?




