イギリス海軍の疫病神、ドイツ戦艦ビスマルクです。
どうなりますやら
ドイツ海軍ビスマルク級戦艦の主砲については、従来は38センチ砲であると公表されていたが、実は大戦中の早い時期に、密かに40センチ砲に交換されていたことが、近年の研究で明らかになった。
戦艦大和が46センチ砲を40センチ
と偽装していたように、徹底的な偽装工作が行われていたのである。
この砲はもともとは、未成に終わったH40型に開発された主砲であるが、先行試作型と初期量産型が、当初は、実用化テストのためにビスマルクに搭載されたのである。
背景には、第1次大戦で、イギリス海軍に対して主砲の口径が小さく苦労した戦訓があったのだ。
「こんな苦労は二度としたくない!」のであった。
しかし、H級は戦力化に時間を要することから、(現実には未成に終わる)ビスマルクだけに搭載されたのである。
ただし、同型艦のティルピッツまでには数が回らず、こちらは38センチ新型砲弾で威力の向上を図ることになった
なお取りおろした38センチ砲は6門がシャルンホルストに転用され、残り2門はフランスのノルマンディ方面に陸上砲台として配置された。
主砲が交換されたビスマルクの戦いぶりは、その後、ドイツ海軍の作戦を大きく変えていくのである。
ネルソン級、コロラド級、さらには長門級に匹敵する火力を得たことから、少なくとも単艦レベルでは、イギリス海軍の戦艦と、堂々とやりあえる「自信」をドイツ海軍に与えたのである。
第1次大戦でも、数的劣勢、情報漏洩、などがある中でも、ドイツの戦艦、巡洋戦艦は、イギリス艦隊に手厳しい損失を与えているのである。
その「栄光ある歴史」に更なる戦果を期待できるとなると、士気も高まり、より積極的な作戦を行うことになっていったのである。
そうして「ライン演習」でプリンツオイゲンとビスマルクの艦隊は、イギリスのフッドを撃沈、プリンスオブウェールズを中破した上で、フランスのブレストに入港に成功したのである。
これは、イギリス艦隊にしたら大失態であるが、ビスマルクを38センチ砲搭載艦と誤認していた、イギリスの巡洋艦サフォークが、ビスマルク追跡中に想定外の遠距離からの射撃を受け、捜索レーダーが故障したこと、足止めするはずのアークロイアルのソードフィッシュ雷撃機隊が、悪天候から組織的な攻撃ができなくて、有効打が与えれなかったなど重なってしまったのが原因である。
フッドの復讐を果たすべく追撃したイギリス艦隊は長蛇を逸したのである。
こうしてブレスト港に入港したビスマルク、プリンツオイゲン、さらに火力アップしたシャルンホルスト、なんとか修理できた、グナイゼナウ、は「ブレスト艦隊」として、ドイツ空軍の傘のもと、同じように進出してきたUボートなどと共に、大西洋で暴れることになったのである。
これは空軍を抑えていたゲーリングが事故死して従来より空軍と海軍の連携がよくなったのも影響している。
興味深いことに、イギリス海軍にとって災難はそれで終わった訳ではなかった。
ビスマルクの姉妹艦ティルピッツがなんと、空軍の援護、巧みな掃海、なんと言ってもイギリス海軍の油断をついて、大胆にも白昼、英仏海峡を突破、ブレストに入港したのである。
これにより、イギリス海軍は、大西洋における対潜作戦の他、強力な戦艦戦隊ともやりあわなければならなくなった。
そこへ持って太平洋での日本海軍との対抗のため、巡洋戦艦レパルスと一緒に、プリンスオブウェールズを派遣した時に、更なる災難が知らないうちに起きていたのである。
ビスマルクとの戦闘の際に、艦尾付近への至近弾で、微細な亀裂が生じていたらしい。
これはその後特に問題もなくすぎていたが有名なマレー沖海戦で一気に問題が露呈したのである。
よりによってそんな辺りに、日本海軍の陸攻隊が放った航空魚雷が命中、一気に損傷拡大して、軸路から浸水を引き起こしたのである。
幸い、折からの悪天候でそれ以上の損害を免れたプリンスオブウェールズはシンガポールの港を目指すが、後わずかで港付近で着底してしまう。
日本陸軍のシンガポール侵攻作戦が進行して、さらに激しい空襲などから、着底した戦艦なぞ直すことも能わず、結局、日本海軍に捕獲されるはめに至るのである。
知られている通り日本の戦艦の源流はイギリス海軍から来ていることから、機密部分は破損していても十分解明しうるものであったから、進出した海軍部隊により、サルベージされ、整備の上で日本戦艦「昭南」と命名、就役するのである。
かくして、太平洋ではアメリカ戦艦不在のため空母中心の艦隊戦が繰り返され、一方の大西洋では、敵味方とも艦隊航空隊が貧弱なため、水上艦艇と潜水艦が暴れる、対照的な戦いがずるずる続くのであった。
そして大西洋では、終戦までビスマルクの勇姿が見られることになる。
さあ、舞台は整えつつありますが、どうなりますやら(^-^)