自由ウクライナ軍の装甲車両
自由ウクライナ軍は当初、ソ連軍の装備を活用して自軍の戦力を蓄えていきます
ウクライナ独立派は、ドイツ軍と連携することになった。
実はウクライナにも親衛隊の特別行動隊らが入って来たが、武装親衛隊からの圧力で退去させられていたのだ。
その様子を見ていたウクライナ独立派は、自分たちが兵力や情報提供する代わりに、ソ連軍に対抗できる装備や訓練の提供を求めてきたのだ。
義勇SSの部隊を求めていた武装親衛隊のバックアップもあり、この話はすぐまとまって行く。
ウクライナ独立派が一番欲しがった戦車は捕獲されたTー34を充当した。
また戦車以外に必要になる自走砲なども、極力、Tー34の車体を活用して、作られたが多くは前線付近の補給処で応急的に作られたもので、「同じ型のものが1両もない」と揶揄されるくらいバラエティーにとんだもの になったのである。
例を挙げれば、Tー34の砲塔を外し、ドイツ製20ミリ機関砲4連装を搭載した自走対空砲、同じ車体だがこちらは、122ミリ榴弾砲を搭載したSUー122まがいの自走砲、なかには、ソ連軍に捕獲されていたドイツ軍の装甲車両まで入っていた。
さすがに、この寄せ集めのでっち上げ装甲車両の群れは、米軍からの供与車両と置き換えられていくが、創成期の自由ウクライナ軍には貴重な戦力を提供したのである。
他にもTー70軽戦車車体をベースにした装甲車両も存在したが車両の小さなことが、使い勝手の悪さにつながり、また多種の装甲車両の存在は補給をより困難にするため、あまり多数は使われないで終わった。




