私が兄さんを守りますから
「こ、こちらこそ、天宮城斬鵺と言います」
「……どうして敬語なんですか?」
「あ、ごめん緊張で……」
斬鵺は慣れない引き攣った笑顔を浮かべながら、そっと照れを誤魔化した。
兎雪の指摘通り、斬鵺は高校3年、兎雪は中学3年と3つ歳が離れている。
本来であれば、斬鵺は先輩らしくもっと堂々としているべきだが、今の彼は完全に場の空気に呑まれていた。
「ふふっ」
二人の間から会話が途切れた頃、突然兎雪は苦笑を浮かべた。
「あなたもそんな反応をするんですね」
「……あなたも、って?」
兎雪の言い方には少し癖があった。
まるで斬鵺を知っているような言い癖だった。
その違和感に斬鵺はさり気無く口を開く。
だが、彼の言葉を耳にした兎雪は先程の緩めた口元を殺し、彼から視線を外すと共に少し暗い表情を浮かべる。
「……そうですか、やっぱり記憶がないんですね……」
前髪から堕ちる暗い影が彼女の表情を殺す。
その時の彼女の心情を探ることはできなかった。
「何か言った?」
春空に消えるような小声で呟いた兎雪の言葉を斬鵺は聞き取ることができなかった。
「いえ、今の言葉は忘れて下さい」
話を掘り下げられないように兎雪は言葉で一線を引く。
そして、沈黙の時間が生まれた。
この時、兎雪は唇を僅かに震わせていたことに斬鵺は気が付かない。
そして、この間をどうにかして埋めようと試行錯誤する斬鵺の払いに兎雪は気が付いていない。
そんななか、話を先に切り出したのは兎雪の方だった。
「あの、一つだけ……あなたにとって、私は初対面かもしれませんが、一つだけお願いを聞き入れて貰えませんか?」
「お願い?」
「はい」
意味深な前置きに加え、話しの見えない斬鵺は、ただ彼女からの次の言葉を待つだけだった。
「……私の勝手な我儘ですが、あなたのことを“兄さん”と呼ばせて欲しいんです!」
────はあ!??
話の行き着いた先は、完全に盲目の世界だった。
全くもって斬鵺は話の意図も内容も理解するには至っていなかった。
「ちょっと待て、なんだよそれ!一体、何の話を……」
当然、斬鵺の口からは問い質しの言葉が飛び出す。
だが、彼は突然の不意打ちにより、その言葉の先を封じられた。
────ッ!?
彼は唖然とする。
地面を駆ける音は草履で掠れた音を放ち、帯に飾れた鈴は淡い音色を奏でる。
そして、彼が問い質しの言葉を口にする刹那、その胸元には兎雪の存在があった。
両手を斬鵺の腰に回し服を掴む。
彼女の額は斬鵺の体へと擦り付けられ、顔を埋めるようにして抱き着く。
突然の衝撃に斬鵺は一歩下がって踏み止まるも、女子に抱き着かれているという隠しようもない事実と、兎雪から香る甘い香りで彼の理性は崩壊寸前だった。
当然、頬は赤く染めているが、衝撃で訂正する言葉も問い質す言葉も喉を通らない。
そして、彼の体に顔を埋める兎雪はゆっくりと口を開く。
「今は何も聞かないで下さい。今のあなたは笑ったままでいて下さい」
────今度こそこの世界で、私が兄さんを守りますから
彼女が語る言葉はこれまで同様、皆目見当も付かないほどに盲目の内容だった。
だが、それを語る彼女の声色は僅かに震えていた。
内容が汲み取れずとも、彼女の意志を尊重し斬鵺は兎雪の言葉を静かに聞き入れた。
暫くして、兎雪は斬鵺の体から離れ少し俯きながら目元を擦る仕草を見せる。
それは、彼女が涙を拭う仕草だと斬鵺にも分かった。
事実上僅か5分という間も、斬鵺の体感は1時間のように感じていた。
「だいぶ冷え込んできましたね……では“兄さん”、寮までの道案内よろしくお願いしますね」
「あ、ああ」
まだ少し困惑気味の斬鵺は覚束無い返事を返す。
返事を返したものの斬鵺はその場で立ち尽くし、兎雪は置き去り状態のキャリーケースを取りに戻る。
そして、斬鵺がふと我に返った時、キャリーケースを転がした兎雪が真横を通り過ぎる。
「兎雪!!」
斬鵺は彼女を呼び止めるようにして名前を叫んだ。
「はい、何でしょうか?」
「あ、いや……」
そこで再度冷静になる。
斬鵺自身、初対面の少女の名前を呼び捨てで叫んだことに驚きを感じていた。
年下だからという問題ではなく、単純に女性慣れの問題であり、下の名前で呼ぶことに自然と抵抗を覚えていた。
だが今、斬鵺は兎雪のことを下の名前で自然と呼んだ。
そんな、不思議な事案に振り返りを覚えながらも、斬鵺は思考を切り替える。
────ようこそ、TERCES(仮)へ
決して紳士的な振舞ではないが、彼は精一杯彼女を持て成す努力をした。
◆兎雪ちゃんの性格◆
当初は無表情キャラで書いていましたが、修正後は少し砕けた感じで、感情も少し表に出すようなキャラにしました。
発言から物語のガキを握る存在であることを知っていただければと思います。