途轍もなく怖いんです
ラピスに語り掛ける中で徐々に彼女も口を開くようになる。
そして、弥鶴はそのまま椅子に腰を掛け、彼女に朝食を食すように促した。
そっと頷いた彼女はテーブルの近くに椅子を運びゆっくりと腰を下ろす。
弥鶴が皿の中身を包み隠す布を剥ぎ取ると、メイドのマリン特製のサンドイッチが顕わになる。
だが、ラピスは椅子に腰を掛けるもそれに手を伸ばすことはなく、ただ虚ろな瞳とその目元にくっきりと浮かび上がったクマを晒すばかりだった。
「食べないの?」
「……そんな気分じゃないんです…」
「…………」
ラピスは食欲が進まない様子だった。
そんな無気力な彼女に刺激を与えようと、弥鶴は虚を衝くような発言をする。
「そう言えば昨日マリンさんから聞いたんだけど、ラピスちゃん、ピアノのコンクールに出るんでしょ?しかも、気難しい金持ちの前で、はは」
「…………はい」
この期に及んで弥鶴は失笑する。
それとは対極にラピスは冷徹な吐息混じりの受け答えをした。
「……。まあ、頑張ってね。応援はしてるからさ、俺も」
あからさまな他人表記だ────
口から出任せ。
弥鶴の笑い顔からは期待の兆しが読み取れない。
虚ろな眼差しでラピスは弥鶴の顔を覗き込む。
すると、自然と彼女の口元は歪んだ。
そして、御し難い感情が徐々に彼女の心を蹂躙する。
「……くっ……そんな……そんな気安く言わないで下さい!!もう私には後がないんですから!!…………はあ、はあ、はあ」
遂に吐き捨ててしまった────
逆鱗に触れられたラピスは、その口から渇望を濁した言動に走る。
「…………」
そして、弥鶴は何も言わずに席を立ち、部屋を出て行こうとする素振りを見せる。
「っ!?何処に行くんですか?」
腹の居所の悪さが治まらないラピスは、そのまま矛先を弥鶴へと向け続ける。
「そう言えば飲み物がないなって、すぐ戻るよ」
そう言って弥鶴は受け身を取るようにして一度ラピスとの距離を置いた。
◆◆◆ NEXT ◆◆◆
暫くすると、再び戸の向こう側から弥鶴が姿を見せる。
「お待たせ」
弥鶴は手にティータイム用の一式を持って姿を見せた。
高級感溢れるカップにハチミツの如く金色に輝くカモミールのハーブティーが注がれる。
弥鶴が戻って来るまでの間にラピスは弾けた髪をシュシュで一つにまとめ右肩から流す形に整えて待っていたが、ピンクの寝巻姿である部分は変わらなかった。
そして、少しばかり時間が経った今、彼女の目にもハイライトが差し込む。
「それで、“もう後がない”ってどういう意味?」
「────」
カモミールを口にしながら弥鶴は先程の話の続きを掘り返す。
それに対しラピスは、勢いで口走ってしまった節もあり、黙秘を貫いていた。
ラピスはそのまま朝食のサンドイッチにもハーブティーにも口を付けず、ただ近くにあったクッションを抱いて沈黙────
レトロな室内に響き渡るのは、古時計の秒針を刻む音。
一刻を刻む音が現代の物に比べはっきりと響き、それを嗜む年寄りの風流に付き合わされているような感覚に見舞われる。
弥鶴には端から沈黙を破る気はなく、主導権はラピスに授けたままだった。
時間がゆっくりと流れる。
だが、その悠々と流れる時間に比例して半永久的に続く静寂の息苦しさにラピスは終ぞ耐えることができなかった。
「……………っ」
この沈黙を破るための最適解をラピスは模索する。
そして、解が決まったところでラピスは腕に抱くクッションに力を込める。
「……澤留先輩は御兄弟とかは?」
口にした質問は、些か的外れなものだと感じた。
だが、その問いの解に緒があるものと思い、弥鶴はその質問に答えようとする。
その前に一つ、彼は手に持つカップを受け皿の上へ置いた。
「上に一人姉貴がいる。今は都内にある大学の医学部に通ってるよ。ほら、あの時一回だけ会わなかったか?」
「あ、そう言えばそうですね…」
そこで一度話が途切れるかと思いきや、続けてラピスは語り始めた。
「私はその逆で、下に妹がいます。妹は私にないものを全て持って生まれて来ました。才能もセンスも私にはないものを持っています」
「ふ~ん、胸も?」
弥鶴は軽くあしらって話の腰を折るような質問をする。
その問いに対しラピスは、ここに来て初めて口元に運ぼうと掴んだサンドイッチの手を止め、視線を自分の胸元へと追いやる。
彼女の視界には、この17年間でほんの僅かしか成長を遂げていない、ほんのり膨らんだ悲しい世界が映って見えた。
「カチ────ン!!シャア────」
ラピスの眼光は鋭さを増し、猫のような唸り声を上げ弥鶴を威嚇する。
「ごめん、ごめん、冗談だって」
「むう────!!」
弥鶴の緩んだ頬を見れば、自分が遊ばれていることくらいラピスには理解できた。
彼女は頬を軽く膨らませ、悔し涙を浮かべながら自棄になってサンドイッチにかぶりつく。
そして、たった二口で一つを平らげる。
口の中に詰め込むことで余計に頬が膨らむ。
願わくば、消化した栄養分を全て足りない胸元へ送りたい一心だった。
「はあ……真面目な話、私は妹がどうしようもなく怖いんです。あの子の視界から私が消えてしまうのが……いえ、もう消えてしまっているのかと思うと途轍もなく怖いんです」
ラピスは椅子の上で体育座りの体勢になって身を縮める。
そして、彼女の唇を噛む仕草は彼女が必死に恐怖に耐えようとしている心情の現れだった。
「すみません、急に変なこと言い出してしまって……ごめんなさい」
そう言ってラピスは作り笑いを浮かべ、今度は淹れてから時間の経過したハーブティーを口にしようと手を伸ばした。
「いや、その気持ちはよく分かるよ────」
「えっ?」
ラピスはカップを口に付ける前に不意を衝かれた声を漏らす。
ネタバレ大好き勢なのをお許し下さい
二人の会話の中で登場した「あの時…」の話はだいぶ先(章題で30話ほど先)で回収することになると思いますwww




