異能を使っちまえばテストも楽勝だもんな
「……りや……おい、斬鵺起きろ」
その声は夢の中で叫ぶ声か────
それとも現実から呼び覚ます声か────
この声に応じる理由は、ただ聞き覚えのある声というだけだった。
とても楽観的で駆け引きもない単純な思考ではあるが、それでも、そんな不確かな虚ろの声に自分の名を呼ばれた気がした天宮城斬鵺は、そっと重たい瞼を持ち上げた。
瞳を閉ざしていた彼は、瞼を開いたことで視界に入る木漏れ日に瞳孔がすぐに馴染むことはなく、反射的に手で庇を作り、自分の瞳孔がよく馴染む明度に合わせる。
そして、瞳孔が馴染む頃合いを見計らい、斬鵺は状況確認のため周囲に視線を配った。
まず、彼は机と椅子に座っており、周囲には自分と同じ制服を着た学生が見受けられることを確認した。
斬鵺は眠気で鈍る思考を必死に回転させると、至極当然の結論に行き着く。
ここは、桜浜高等学校3年1組の教室。
斬鵺にとっては、この学校に転校して3か月余りが経過し、前年度同様のクラスメイト達の顔が並ぶ風景だった。
そして、この高校で最高学年である3年生に彼はなったわけだが、同時に受験生或いは、次年度から社会人という現実には全くと言っていいほど無頓着だった。
クラスを見渡しても受験勉強に必死になって取り組んでいる者もいれば、彼のように進路も決まらず、“時間はある”、“まだ先の話”と嘯き怠惰で退屈そうな日々を送っている者もいる。
こんな光景は、どこの高校を見渡しても見受けられる事例だった。
身長は170センチ半ばと高校男子の平均レベル────
特に異才を放つわけでもないごく普通の男子高校生の日常を彼は送っていた。
斬鵺は一通りクラス内を見渡し一周回って視線を正面へと向けた。
「よっ、よく眠れたか?5・6校時とも爆睡しやがって、もう帰りのホームルームだぞ」
椅子の背凭れに向かって跨る体制で斬鵺の目の前に座る少年、二階堂優はそう言って気前よく斬鵺を起こしてくれた。
整った顔立ちに知的な眼鏡がお似合いの彼とは、斬鵺がこの学校に転校して初めてできた親友とも呼べる間柄であり、前年度までは生徒会長を務めていた。
そんな目の前に座る優等生に比べ、斬鵺は素朴な表情に長時間の睡眠学習を指し示す寝癖が付いた無造作な黒髪を晒していた。
「にしても、お前全然起きなかったが、そんなに疲れているのか?それとも、そんなに覚めたくないような夢だったのか?」
「ん……あんま覚えてないなぁ…」
そう言って斬鵺は視線を横に逸らしながら返事を濁した。
寝癖の尖った黒髪を整えながら、彼は気怠そうに帰りの準備に取り掛かった。
「あ~あ、良いよなお前は……授業をまともに受けなくたって、異能を使っちまえばテストも楽勝だもんな」
優からの皮肉交じりの一言に斬鵺は一瞬体を強張らせた。
そして、無意識のうちに視線を再度周囲に配る。
周りの視線が特別彼の元に集まっている様子はなく、優が呟いた一言は、一日の学校終わりに現を抜かす生徒達の会話に掻き消された様子だった。
そのことに斬鵺はふと安堵を覚える。
ホームルームを終え生徒達が一斉に席を立ち、3年生最後の部活時間に向け廊下を掛ける者、集団でゲームセンターに向かおうとしている者様々だった。
「じゃあな斬鵺、また来週。今日は早く寝ろよ」
「ああ」
そう言って優が先に教室を後にし、斬鵺と別れた。
生徒会に務めていたことから人望も厚く、将来性もある優に斬鵺の瞳は、憧れの情を宿すに加え、何の柵もない彼の日常を何処か羨ましいと思っていた。
暫くして斬鵺も、誰もいなくなった教室を後にする。
◆◆◆ NEXT ◆◆◆
少し俯くようにして斬鵺は歩を進める帰路の道中、彼は優の言葉を掘り返していた。
────異能を使っちまえばテストも楽勝だもんな
この街、この世界には極稀に“異能”と呼ばれる特殊な能力を有する者達が存在する。
その異能は千差万別、十人十色だが、能力者全員に一致する共通点も存在する。
それは、能力を発動させる際に虹彩、簡略化させるのであれば瞳が赤く変色することである。
そして、その異能力者の多くが、斬鵺のように普段の日常において突出することなく日々の生活に馴染んでいる。
だからこそ、彼ら異能力者はその不可解な存在位置から軽蔑的な眼差しを向けられることが多い。
そんな異能力者としての一面を持つ天宮城斬鵺の異能だが、彼の持つ異能は“記憶”────
異能が発動している間、五感で感じたことを記憶し続けることができ、他人の瞬間的な感情や思考であれば、触れることなく干渉することもできる。
ただし、他人の記憶に干渉する場合においては対象者に触れる必要があり、加えてこれは人間にのみ限定される。
記憶に干渉するとは、他人の記憶を覗くことができる他、一部の記憶を忘却・改竄することも可能ではあるが、彼自身滅多にそれをすることはない。
彼のこの事実をクラス内で知るのは、親友の優のみであり、担任の霜鳥先生ですらこの事実を知り得ていない。
先程の優の皮肉が何よりもの証拠である。
「はあ、目の色が変わるんだからテスト中なんかに使えるわけねぇーだろ……」
そう言って斬鵺は溜め息と共に肩を落とす。
異能の使用はテストにおけるカンニング項目には明確に記されていないが、使用しているところを目撃された後の対応は言うまでもない。
それだけでなく、異能力者は一般人の知識上、”人の理を外れた者”として酷く恐れられているため、この問題は個々の社会面にも影響してくる。
そうなれば、斬鵺が今のような平穏な生活を送ることも困難となる。
本来であれば異能力者は差別される一つの人種として成り立ちつつあるが、そのなかで優は、斬鵺が異能力者であることを秘密のままにしている。
親友としての計らいなのか、それとも何かしらの駆け引きの道具としての使い道のためかは斬鵺にも探り切れていないが、この事実を知っても尚、普段と変わらず会話をしてくれる優に斬鵺は心の底から感謝をしていた。
「今日帰ったら寝過ごしたところ勉強しないとな」
帰り道を照らす夕日が織成す茜色の空に、彼の独り言は静かに消えて行った。
主人公のクラスの担任についての記述があったかと思いますが、一度削除しまして紹介はまたの機会に持ち越そうと思います。