……寝顔は変わりませんね
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歓迎会がお開きを迎えると、各々自室へと足を運ぶ。
斬鵺も自室104号室へと戻り、その手には当然アルミホールはない。
ベッドと机が部屋の面積を圧迫し、壁には何も飾られていない素朴な風景。
斬鵺は、今日の5・6校時に熟睡していた授業の復習をしようと机に向かう。
だが、彼の集中力は10分と持たず、それは火の灯った蝋燭が溶け切るまでを眺めているのと大差変わりないほどだった。
「ダメだ、集中できねぇ」
額に手を当て部屋で一人小言を呟く。
できる範囲から手をつけようと斬鵺は教科書のページをめくるも、朦朧とする思考はページをめくるだけのワンパターンと化し、ペンが一向に走らない。
結局、斬鵺は勉強を諦め、大人しくベッドの上で横になる。
敷かれた柔らかい毛布の上に飛び乗ると、今日一日の疲労が一気に斬鵺の身体へと押し寄せる。
一度うつ伏せの状態になって倒れた体を、今度は呼吸のしやすい仰向けの状態に変える。
部屋の天井から差し込む円盤型のライト────
光を遮るように斬鵺は両目を腕で隠す。
視界は暗くなり、それに順応するように自然と瞼も塞がる。
暗闇に満ちる盲目の世界で斬鵺の脳裏に過ったのは、学校で見た夢の話だった────
その夢は、斬鵺のなかで初めて見る光景だったにも関わらず、その風景は鮮明に脳へと焼き付いていた。
その鮮明さはまるで、斬鵺の記憶を投影しているかのようだった。
街を焼く炎の熱さも、傷口に染み渡る雨の音も、脳を震わせる人の悲鳴も全て、彼の体は覚えていた。
それは自分の有する異能に由来するものではないと斬鵺には分かっていた。
だからこそ、彼には自分の脳裏に焼き付いた、その夢の鮮明さを肯定する理由が欲しかった。
だが、幾ら考えても真っ当な答えなど出るはずもなかった。
湯に浸かることもなく、斬鵺はそのまま眠りに就こうとした時、不意にスマホから通知音が鳴り響く。
斬鵺はその場から動こうとはせず、手探りだけで毛布に埋もれるスマホを探し出す。
手に取って画面を開くと、TERCES(仮)のグループメールに未読のマークが付いていた。
直ぐ様画面をタップすると、寮長である涼風からの書き込みがあった。
『明後日、日曜日に依頼が入ったことを伝えるのを忘れてました。依頼内容は簡単な猫探し。明日の朝と夜にもまた連絡するけど、後で参加状況を私に報告してちょうだい』
涼風の言う依頼とは、その名の通り仕事を指す。
TERCES(仮)の第一段階の目的は、異能力者たちの保護活動。
だが、その他に彼らは、一般人から仕事を請け負い、自分たちの有する異能を駆使して人助けを行っている。
勿論、自分たちが異能力者であるという身の上は伏せてだ。
家計簿的にも厳しいところがあるため、ボランティアと言い切れるほど綺麗ごとではないが、この活動の主たる意図は一般人との交流にあった。
非常に些細なことだが、一般人との交流を介し、異能力者に対する固定観念を紐解いていく狙い────
周囲への貢献及び異能力者への固定観念の払拭、と良いことのように聞こえるが、彼らの胸の内に秘める心理を突けば、それは自分が傷付かないためのエゴ心理から来る保険だった。
自分たちが異能力者だと知られた時、最も自分たちが傷付かずに済む最善解────
そのための保険として、周囲の人間に入れ知恵を吹き込み、胡麻を摺っている行為に他ならない。
そんな甘さを匂わせながらも、彼らの仕事ぶりは周囲の人々からも喜ばれていた。
暗殺や脅迫及び法に触れるものを除いた多岐に渡る依頼内容を請け負うなか、過去の実績では依頼された仕事とは言い切れないものの、窃盗犯を現行犯逮捕にまで追い詰めたこともある。
普段は、今回のようにペット探しや人手の足りない店での補助等が主流な毎日を送っている。
「『俺は参加できますよ』っと」
斬鵺は軽快にキーボードをフリップさせ送信ボタンを押すと、ふとした溜め息を溢し再び毛布の上で脱力感に浸った。
明日は休日ということもあり、いつもは耳元で鳴り響くアラームを切って、斬鵺は深い眠りの海へと身を投げ出す。
睡眠の欲求に抗うことはできず、斬鵺は毛布も掛けずにそっと寝息を立てる。
斬鵺が眠りについて暫くすると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「にぃ……じゃなくて……斬鵺さんいますか?」
ドア越しに立っていたのは、湯舟から上がった兎雪だった。
ノックを繰り返しては中からの返事を彼女は待っていた。
「……空いてる……入りますよ……」
鍵が掛かっていないことを確認すると、兎雪は恐る恐るドアを部屋の内側へと押して行く。
「さっき寮長さんから届いたメールで聞きたいことが……って……」
TERCES(仮)が請け負う依頼について話を聞かされていない兎雪は、突然届いたメール内容に疑問を抱き、監督役である斬鵺を訪れた次第だった。
だが、彼は見ての通り学校の制服姿のまま、毛布を掛けずベッドの上で寒そうに縮こまりながら眠っていた。
「兄さん、それじゃ風引きますよ!」
気に掛けた兎雪は、斬鵺の下にある毛布を起こさないようそっと引き抜き、縮こまる斬鵺にそっと掛ける。
「……寝顔は変わりませんね」
落ち着いたところで、兎雪は柔らかな微笑を浮かべ、斬鵺には聞こえているはずもない虚言を口にする。
「依頼についてはまた明日聞くことにします。お休みなさい、兄さん」
ベッドに眠る斬鵺に一礼を告げ、兎雪は速やかに彼の部屋から退散した。




