04 自分勝手
4話です。
もともと、書いていただけのこの小説。
友達にしか見せていないものなので、世に出すのはここが初めてです。
◆
今日も明日も、雪が降っていた。
それが冷たくて、身震いをした。
寒くて冷たくて、寂しくて寂しくて寂しい。
顔を上げようとしても、怖くて上げられない。
つかれて、床に倒れた。
雪はまだ降り続く。
みんな、この雪で倒れていた。
苦しそうな顔をして、みんな倒れて死んでいた。
苦しくなった。悲しかった。
もうこんな思いはしたくないと思った。
寂しかった。辛かった。
もうこんな思いはしたくないと思った。
誰かに殺してほしかった。
このまま、死んでもいいと思った。
◆
嫌な夢を見た。ずっとずっと昔に体験したような終わり。
それが現実だと知ったとき、なにもかも消えてしまった方が寧ろ楽なくらいの恐怖感に襲われる。どんなに楽しいことがあってもこれだけは絶対に消えることがないから、いつかおれは誰かに殺されるんだと自覚した。
おれは、自分の部屋のベッドの中にいた。
庭にいた気がしたのにどうして?
顔を右に向けると、カーネーションが植えられている鉢植えを大切そうに抱えたひとみが座っていた。眠っているのか、体がゆっくりと前後に揺れている。
ひとみの顔を見ると辛くなる。
純粋な心を持っているひとみに、汚濁に塗れた世界の話をしなければならないのか。
だんだん自分に苛立ちを感じ始める。
おれはベッドからそっと出ると、部屋の隅にあるクローゼットに向かう。軋むような音がなる扉を開くと、おれの荷物一式がある。
大して大切にもしなかったリュックサックだ。
それすらも丁寧に置かれていた。
全部ひとみがやってくれたのだろう。
それを、音を立てないように持ち上げる。
肩にリュックサックの紐をかけると、おれは静かに自分の部屋を出た。
廊下を進んで行く、壺が置かれた廊下を抜けて、庭へと続く吹き抜けを通り、ひとみの部屋まで立ち寄った。
ふと、大切なことを気がついてひとみの部屋のドアを開けっ放しにして、自分の部屋まで戻る。ひとみはまだそこですやすやとうたた寝をしていた。
ひとみが抱えているカーネーションの鉢植えを、自分のベッドの小脇のテーブルに置く。
ひとみを抱え上げて、彼女の部屋へと向かった。
部屋につくと、ベッドにひとみを下ろした。
どこか幸せそうなひとみの寝顔を見る。
夢の中で、友達と遊んでいるんだろう。
それで満足だ。
ひとみの部屋を出る。ドアを閉めて、おれもこの場所を出ていこうと思った。
あまりにも、自分勝手な話だった。
自分から置いてほしいと言って、自分から出て行くのだから。
でも、役目はこれで終わり。
信じなくても嫌われても、おれはそのためにここに来たのだから。
ひとみと生活を共にした建物を出て行く。
見ると外はもう夜で、月が空高く輝いていた。
つまりは真夜中であった。
それももうおれには関係ない。
また宛もなくどこかふらふら旅をして、それで生存者を探す。これが罪滅ぼしなんて本当に下らなかった。
◆
「どこに行くの?」
不意に背後から声をかけられた。
「あなたは私に雇われたんだから、ここにいてくれるのが筋でしょう?」
「解雇してくれ。」
「いやだ。」
ひとみは首を横に振って、それからおれを睨みつけた。
「どこに行くの。言ったでしょ、出かける時は書き置きを残しておいてって。」
そういえばそんな約束をした。
前にもこんなふうに怒られたんだ。
やはり書き置きくらいしておけばよかったかもな。
「これからまた旅に出ようと思う。」
正直に答えると、ひとみは驚いた顔をしてからおれを怒鳴りつけた。
「あまりにも自分勝手じゃない!」
おれから仕事を頼み込んだこと、人類がほぼ滅亡したこと、色々なことを勝手にしてそれでいなくなるのはおれだってあまりにも自分勝手だと思う。けれど、おれはもうここにいる理由はない。
「好きなだけ言ってくれ。」
「じゃあ言う。あなたは私に雇われてるの、今だってそう。ならあなたは雇い主の私が辞めさせるまでここにいてくれるのが筋でしょう?」
「言っただろう。おれは生存者を探している。
だからひとみを見つけてあの話をした時点でもうおれの役目は終わりなんだ。」
「だからあなたはまた行くの?」
「ああ。そうだよ。」おれはゆっくりと答えた。ひとみはおれの顔をじっと見つめる。
初めてあった時みたいに観察していた。
「本当に自分勝手…。」
ひとみの顔は怒りに満ちている。
人なんてそんなものだ。みんな自分勝手で自分のことしか考えていないやつばかりだ。
「分かっただろ、だからもうおれを解雇してくれ。」
「いやだ。」
どれだけ強情なんだ。いや、そうさせたのはおれか。
ひとみの勢いに巻き込まれるように強い風が吹いた。夏の夜は涼しいが、これは冷たい。
お互いの間に沈黙が流れる。
ほんの数十秒のことなのだろうが、おれには数時間くらいに感じる。
どれほど経ったか、ひとみは沈黙を破り強い口調で言った。
「あなたがどうしても旅に出るなら、私も旅をする。」
え、と腹の底から情けない声が飛び出すとひとみはおれにこっちに来いと言いたげな顔をした。
渋々着いていくと、ひとみはおれを部屋の前で待たせた。その間に出て行くことも可能だったが今度こそなにを言われるかわからない。
おれがさっきまで持っていた決心はすぐに揺らぎ、ぼろぼろと崩れ落ちてしまった。
少しだけ待つと、ひとみはかなり重装備で部屋から出てきた。ひとみがお気に入りのピンクのカーネーションを入れた透明なカプセルも持っている。背中の大きなリュックサックには何を入れたのだろうか。
「行こう。」
「どこへだよ。」
「あなたが行く場所に。」
それってつまりおれの旅について行くってことか。ひとみは本気らしい。
本気じゃなければこんなことはしないだろう。
「やめとけ、きっと後悔する。」
おれは、ひとみを制止しようとわざとぶっきらぼうに言う。けれどひとみも後には引かなかった。
「私、いい加減ここにいるのも飽きちゃったから。」
そう悪戯な笑みを見せると、廊下を外へと歩き出す。はっとしてひとみを追いかける。
「遊びじゃない。命に関わることだってきっとある。危ないんだぞ。」
おれがそう言っているにも関わらず、ひとみは「そうね」としか答えない。分かっているみたいなことを言いやがる。
「私が危ない目にあっても、あなたが守ってくれるからいいの。」
いたずらっ子のようにおれに笑いかけた。
くそっ。ここで散ったはずの恋心が若干戻りかけたがそれはそれとして、話をそらす。
「そもそも、ひとみはここから出られないんじゃなかったのか。」
ひとみは自分で、この建物から外に出られないと言っていたはず。それはどうするのか。
「それは言いつけ。それに、あなたの話が本当なのか確かめる必要があるの。」
「言いつけなら守らなきゃダメだろ。」
「そう言って、なんにも守らないくせに。」
それを突かれると弱い。
言いつけも約束もおれは守ったことなんて一度もなかった。
「とにかく私は行くの。あなたと一緒に旅をする。」
「無茶言うな。」
無茶じゃない、とひとみは言う。
おれにはあまりにも無茶だし無理だって気がする。
それでも、内心は微妙な嬉しさがないと言われたら嘘になる。
◆
建物の周囲五百メートル圏外は全てが木。
元々森の中にあった建物なのか、それとも木を切り倒してそこに建てたものなのか。
はっきりとはしないが、今おれの後ろにはさっき別れたはずのひとみがくっついて来ている。
「楽しみね、街に出たらどんなことをしようかな。」
やはりおれの話は微塵も信じていない。
いつか無理矢理でも信じることになると考えると更に可哀想でつい、森の中を一生ひとみとともにぐるぐる回り続けたいと思ってしまう。
「ひとみ、本当におれの話を信じてないんだな。」
おれはついそんなことを口走った。
背後を歩いていたひとみは、急に話さなくなってしまう。足音が止まった。
「だって、怖いもの。」
おれは振り返り、ひとみの姿を見た。
「怖いから。だから私は自分の目で確かめるまで信じないって決めたの。」
ひとみは驚くくらいポジティブなのか、それともネガティブを隠しているのか。どちらにせよ信じないということに代わりはないのだ。
森を抜けると、柔らかい大地がおれたちの足元にあった。ひとみは地面に触れようとしたけれど、おれはその手を退かした。
一瞬不機嫌そうな顔をしたが、おれが首を横に振ると大人しく手を引っ込めた。
「見渡す限り広大な大地しかないのね。」
「街は西の方だ。行こうぜ。」
ここは観念して、ひとみを街まで連れて行くことにした。そうすればひとみも少しは納得してくれるだろう。
夏にも関わらずここは凍えるくらいに涼しい。
今は連れがいるので少しだけ歩く速度を緩める。けれど、おれの気遣いも無用なのかひとみは懸命なフットワークでおれと並んだ。
なのでおれも歩く速度を普通に戻した。
「ねぇ、あなたの話が嘘ならどうする?
街に行っても、誰も死んでなんかいないの。」
「どうするもなにも、それならそれでいいじゃないか。誰も死んでないなら本望だ。」
その方が辛いのかもしれないけれど。
「そうだよね、私もそっちの方がいい。」
その通りだ。死ぬより生きていた方が絶対にいいに決まっている。
それでも、こんなに怯えているのはやっぱりおれがどうしようもないやつだから、なのか。
歩みを止めることなどできないので、ただひたすら進み続ける。夜に出発して、今は日の出前らしい。
そういえば、ひとみと出会う前はいつも昼夜逆転生活をしていた。昼に寝て、夕方に起きて、夜だけ活動する。
あまり効率のいいものではなかったから、すぐにやめようと思っても習慣づいたものはやめられるわけもなく、また情けなく旅に戻ったあともやはり夜型になったままであった。
◆
「『私は神様がいると信じていました。』」
おれの口から飛び出したのは、昔自分で考えた下らない詩だった。
洞窟で仮眠をとっていたときに、なんでこんなことを急に思い出すんだよ。ひとみは疲労しているはずの体で起き上がって、おれの顔を見た後にそれを聞き始めた。
「『神様はここにいてずっと私たちを見ているのです。
助けるわけでも殺すわけでもなく私たちを見ているだけ。
せめて嘲笑ったりしてくれればまだ救いようはあったのです。
私たちは醜い、身勝手、そう仰ってくれればまだよかったのです。
これが喜劇ならどれだけよかったのでしょう。
最期の時には皆笑いながら起き上がる。
そんなものならどれだけ幸せだったでしょう。
けれど笑いは起きないただの悲劇でした。
私は神様を信じていました。
でも、私はもう信じることはできません。
私たちを救わない神様は、それは人間が創り出したまぼろしでしかないのですから。』」
詩を暗唱し終えると、ひとみはゆっくりと拍手をした。その後、気難しい顔をしてから。
「いい話だけど自分勝手ね。」
と批評をした。
「急にどうしたの。」
「思い出したんだ。これ、おれが作ったものでさ。」
学校に通っていたとき、授業で作らされた子供の単純なお遊びだったはずなんだ。実際みんな馬鹿みたいに子供らしいものを作っていた。
なのに、おれだけが真面目にやっていてあとでみんなに笑われた。
「神様はいない、馬鹿じゃないか。おれは散々言われて。でも、褒めてくれる人はいた。」
それも今までたった一人きり。あのときは驚いて、なんて言っていたのか聞きはぐってしまったけれど。
「そう。私もいい話だとは思う。
詩としては三流だけどね。」
おれは三流、か。それはそうだろうな。
「もう寝ましょう。さっきから眠くて。」
「…なんだよ、やっぱりおもしろくなかったんじゃないか。」
◆
柔らかい大地を踏みしめ、途中で仮眠を取りながらも歩みを進ませる。
その時々で、ひとみから様々なことを聞いた。
本で覚えたこと、親から聞いたこと、友達から教えてもらったこと。おれにはないものをひとみはたくさん持っている。
それが羨ましくなって、でも結局おれにはなにもないから相槌を打つだけで面白い話のひとつもできやしなった。
それでもした話は暗い話ばかり。
「どうしておれは、なにもないんだろうな。」
気がついたら、吐き出すようにそう言っていた。
「そんなことないでしょ。」
ひとみはそう励ましてくれたけれど、おれには本当になにもないのだ。歩きながら考える。
結果的にそうなっただけなのかもしれない。
でも結果を齎したのはおれだ。
おれが自分を壊したのは当たり前で、その報いが訪れるのも当たり前なのだと。
ふと、隣を見るとひとみが足を止めて一点を見つめていた。前を見る余裕がなかったおれは、ゆっくりとだけれど前を見る。
◆
それを見た時、どう思っただろう。
虚無感、恐怖感、それとも悪寒だろうか。
どれを取ったっていい感情なんてものは浮かばない。何度だって経験してるくせに慣れない。
背筋に伝わる嫌な汗に体が凍りそうになる。
目の前に人間の骨があったら、そりゃあ誰だっておれたちと同じ反応をするだろう。
おれはそう思ってもなお、それから目を離すことができなかった。




