03 夏に降る雪
第3話。
まどマギで言うと、マミったあたり。
ABで言うなら、岩沢さんが消えたあたり。
お話で3話って大切な役割でもあるのでしょうか?
初恋がわずかの数ヶ月で散り去ってからはや数日。けれどそう書いてはいるがそこまでの燃える恋でもなかったので特に気にもしていない。
なのでそこは以下省略。
さて、季節は夏。暑くてしめりけの多い季節の登場である。
ひとみは暑い屋内には出ず、室内でじっとしているのでおれが庭の世話や建物内の掃除をしている。元々それをするため雇われたのだから仕方がないと言えばないだろう。
あの室内は通気性抜群であり、春夏秋冬を問わずして心地のよい温度になるのだ。一体どんなミラクルが使われているのかいつか聞いてみたい。
それにしても暑い。太陽はじりじりと照りつけて痛いくらいの熱を放っている。
腕まくりをやめて手首まで袖を下ろす。
これで多少は対策はできるだろう。
あとはこの庭の花に水をやれば今日の仕事は終わりだ。庭にはスプリンクラーなどがないので、ホースでやるくらいしかさっさと終わらせる方法がない。取り敢えず一通りホーススプリンクラーのように水を巻いてみよう。
◆
「ふぅ…。」
働いた働いた、とそれなりに自分を褒めて庭を見つめる。結局ジョウロで水をかけた。
こんなものでいいだろう、と若干妥協しながらおれは庭全体を見回した。
相変わらず眩しいくらいに綺麗だった。
嫉妬も憧憬も湧かないくらい美しいのだから、この庭には誰も敵わない気がする。
そもそも、勝負の次元にすらいないのだろう。
もう午後の3時。今日はひとみと全く話をしていない。彼女はなにをしているのだろうか。
建物内のひとみといつもアフタヌーンティーを楽しむ部屋へと向かうとひとみは熱心に本を読んでいた。
そっと側に近寄ると、全て外国語の書物を読んでいる。ニホンゴ、という文字だ。日本という国には一度しか行ったことがないからなんて書いてあるのかタイトルすら分からなかった。
「あれ、いたの?」
咄嗟にひとみが顔を上げた。余程集中していたのか、おれの存在にも気がつかなかったらしい。
「さっきから。その本は?」
「これ? 核の冬の話。知ってる?」
「知識としてなら。」
核の冬、とは核戦争で人為的に冬が来る、というものだ。
「戦争って怖いな。人が人を殺すんだもの。」
ひとみはなんとも善人らしい言葉を口にする。
彼女らしい考えだ。戦争は怖い。
ひとみは本を閉じて、机の上に置いた。
おれは反対側のソファに座った。ひとみと真正面に向かい合う。
「世界は美しくて綺麗で、素晴らしいものでしょ。どうしてそれをわざわざ人は汚すの。」
ひとみは言う。これは彼女の強い固定概念。
本だけから吸収した知識がこれだった。
「どうして、人は人を殺すのかな。」
「そんな難しいことを言われても困る。」
「じゃあ、どうして人を殺してはいけないの」
「それも難しい。もっと簡単なことを聞いてくれ。」
人の生き死に関して言うなら、そんなものは始めから答えはない。
『人を殺してはいけない、けれど理由は我々には理解不能。とにかくだめなものはだめ。』と言ってしまうのはあまりにも情けないし、そもそも人は生まれた時からなんとなくそれを感じ取っている。今更議論したところで意味はないのだ。
「あなたは、人は好き?」
「どっちでもない。敢えて言えば嫌いだ。」
「私のことも?」
「人には好きな人も嫌いな人もいる。ひとみは嫌いじゃないよ。」
「そう言うと思った。あなた根は優しいからね。」
根は優しい、というのは心外だ。おれは人に優しくしているつもりはないのだから。
「じゃあ、自分のことは。自分は好き?」
自分だって人だ。好きな人も嫌いな人もいる。
おれは自分が一番嫌いだ。何も出来ないくせにいっちょ前に格好つけて阿呆くさい。
それを直せない自分に嫌気が差す。
ただひたすらに自己嫌悪に浸るだけで好きにもなりたくない。
「自分のことが好きだったらナルシストだぞ。」
「そうじゃないの。生きていて楽しい?」
どうだろう。考えたこともない。
生きていることが苦だ、ということを聞いたことがある。ならば死ぬことは楽なのか。
死ぬ時は痛いから苦しいだろう。後だってきっといいものではない。
「楽しくないな。」
「じゃあ、あなたがしている旅も?」
「ああ。楽しくない。好きでやっているものじゃないからな。」
きっとこの旅は報復なんだろう。おれたちが高望みしすぎた結果なのだろう。
「…ひとつ、気になることがあるの。」
「なに?」
ひとみは随分と真剣な顔で、ずい、と前のめりに顔を近づけた。テーブルが少し揺れる。
「あなたの旅の目的はなに?」
「特にない。」
「特に目的もなくて楽しくない旅を続けるものじゃないでしょう。本当の目的はなに?」
聞かれると思っていた。
けれど、話してしまえば彼女が壊れてしまうかもしれない。いつからおれはこんなふうになったのだろう。少しだけ目移りしすぎたのかもしれない。
「じゃあ、本当のことを言うよ。」
すぅ、と息を吸った。
これからどんなことを言っても取り乱さないようにひとみに忠告し、おれはひとみの言葉に傷つかないようにバリアーを張る。
こうでもしなければ、おれだって壊れてしまうから。
◆
「あれ、雪?」
外は夏なのに雪が降っている。
それは今となっては当たり前のことになってしまった。
「また雪。雪は冬に降るものだと本に書いてあったのに。」
「ひとみはこの雪に触ったことあるか。」
「いいえ。怖いもの。触りたくない。」
そりゃそうか、なら生きているはずがない。
「どこから話せばいいのかな。たくさんのことがありすぎてなんて言えばいいのか。」
本当に、たくさんのことがあった。
様々なことが流れていってしまっては取り返しのつかないことになっていた。
「ひとつひとつ、順番に話して。」
「ああ。」
深呼吸をする。やはり怖くなった。
けれどこうしなければ、おれの目的は果たされることはない。
「おれは人を探している。」
「人? 家族?」
「そうじゃない。人だ。ひとみみたいなやつだよ。」
「どういうこと?」
震える声、そのままおれはひとみにある話を語り始めた。
「五年前、世界中を巻き込む戦争が起こった。
初めは強国同士がいがみ合っていただけの戦いだったのにいつの間にか他の国も参加して、それで世界大戦にまで発展した。兵士や武器を総動員してそれでも足りないならまた作った。街を丸ごと投げた国もあったらしい。
大勢の人が死んだ。何人死んだか分からないくらい。けれど、それだけ死んでいるのにも関わらずあるひとつの国が他国を脅すためにとある細菌兵器を相手国に打ち込んだ。それが三年前のことだ。それは、ある小国の科学者が作ったものを改良したものだ。
案の定、その国の予想通り。相手国側の軍隊は全滅。けれどそこからが予想を遥かに超えてしまった。
その兵器は強力すぎて、人の手に負えなくなった。結果、細菌を降らせる機械が暴走してしまって全世界に向けて細菌が撒き散らされた。
その結末は、ほぼ全ての世界の人間が細菌で死んだ。ただ殺す以上の死者を出したんだ。」
ひとみはただただ黙って聞いていた。
時折、不思議そうにおれの顔を覗き込んだりもしている。
「おれは、ひとみのように細菌に感染していない人間を探している。生存者を探しているんだ。」
この旅をしてきて、ひとみが初めてだ。
生存者は彼女以外誰にもあったことがない。
「そう、不思議な話ね。」
「事実だ。全部。」
ひとみは少しだけ顔をしかめたり、それから気難しそうに考えるポーズをとったりした。
そして、ひとつ答えが出たのか。
笑顔で首を横に振った。
「そんなわけないよ。だって世界は素晴らしいものなんだもの。戦争をしていたのは昔の話でしょ? この本にだってそう書いてあった。」
ひとみはおれの話をまるっきり信じていないようだった。それはそうだろう。
ずっとこんな閉鎖空間にいた人間に、人類は戦争で死んだ。なんていう話をしたところで「そんなことはない」と返されるのがオチだとおれも少しは考えてはいた。反応を見るとおれの言っていることを単なる物語かなにかだと受け止めているのだろう。
「違うんだ。ひとみ。」
おれはひとみの顔をじっと見つめる。
「世界は、ひとみが思っているほど美しくもないし綺麗でも素晴らしくもないんだ。」
そうは言うものの彼女がそれに肯定することも否定することもなく、ただうん、と頷けば困った顔をするだけだ。
「でも…。」
信じられない、そもそも信じるつもりもないのか。彼女にとっては世界はどうしても夢の国と同じなのだから。
おれはその夢を粉砕しようとも思いもしない。
けれど、ずっと思い続けるのはあまりにも可哀想だ。
彼女はもう来ない友人をいつまでも待ち続けているのだから。
◆
「あなたの話が本当なら、私の友達は…。」
その通りなのに、おれにはその真実を彼女に告げられる勇気がなかった。けれど、人類がおれたち以外全員死亡したということは要約すればそういうことなのだ。
察してくれたのかと思案し、ひとみの顔をそっと覗き込む。
どういうことなのか、ひとみは特におれが予想していた感情を表すべくもなくじっとしていた。やはり信じられない、だろうな。
「ひとみ。」
そう声をかける。
一瞬びっくりしたのか体が跳ねた。
「大丈夫か?」
ひとみが思っているほど美しい世界じゃない、友はみんな死んでいる。彼女にとっておれはそんなことを伝えるために現れた悪魔のようなもので、友達でもなんにもなれないのかもしれない。
「私は、今はその話、信じられない。
あなたの話はなんとなくだけど筋が通っているような気がする。けど…。」
その話を信じたら自分は耐えられなくなってしまう、そういうところだろう。誰しも真実を知るのは恐ろしい。
「ごめんね。」
ひとみはおれに向けてそう一言口にした。
おれはこれ以上ここにいられる気がしなくなり、部屋の外へと出た。ひとみはそれを目で追っていたらしいが特になにも言わなかった。
彼女はこれからもずっと来ない友人を待ち続けるのだろうか。
彼女はこれからもずっと壊れた世界に夢を見続けるのか。
おれの話を信じられないのも当然で、信じてきたものの差というやつがある。
実物を見てもいないのに、世界人類は滅亡したなんて壮大な話をされてもそれは混乱を招くだけなのだ。分かっている。
そんなことは分かっているんだ。
いつの間にか、ひとみの庭へ来ていた。
雪は止んでいて跡形もなく積もらないでいた。
いつも通り、自分の好きなベンチに腰かける。
沈みそうな太陽をじっと見ていると、悲しくなる。明日は来ないのだと思ってしまう。
無論、そんなことはない。人類ほぼ全員がいなくなっても今日は明日になるだけで時間はただ進み続けるだけなのだ。
例えおれとひとみが死んでも、それはいつまでも変わらない真実だ。
分かっているから悲しいんだろう。
だからおれも、分かっているから悲しいんだ。
おれがひとみの夢もなにもかもを壊してしまったようなのだから。
それをずっと待っているのは、あまりにも可哀想すぎるじゃないか。
「ひとみ…。」




