10 送りものに花束を
最終話です。お付き合いありがとうございました。
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私は神様がいると信じていました。
神様はここにいてずっと私たちを見ているのです。
助けるわけでも殺すわけでもなく私たちを見ているだけ。
せめて嘲笑ったりしてくれればまだ救いようはあったのです。
私たちは醜い、身勝手、そう仰ってくれればまだよかったのです。
これが喜劇ならどれだけよかったのでしょう。
最期の時には皆笑いながら起き上がる。
そんなものならどれだけ幸せだったでしょう。
けれど笑いは起きないただの悲劇でした。
私は神様を信じていました。
でも、私はもう信じることはできません。
私たちを救わない神様は、それは人間が創り出したまぼろしでしかないのですから。
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あれきり、雪は一度も降らなくなった。
どうしてかは知らない。積もっていた雪も消えて、まるで今までのことが全部嘘のようだった。
雪の下はただ荒れた大地だと思っていたが、そうではなかった。緑が芽吹いていたのだ。
しかも、花や緑は全て生きていた。
雪の下で。ずっと生きていたのだった。
旅を続けて、かなりの年月が流れたようで。
けれど、おれは年をとって死ぬわけでもなく、花も枯れることなくずっと生きていた。
緑が世界中にもう一度行き渡ったとき、どこかの街ががらがらと崩れていた。
人間の作ったものは壊れてしまったけれど、昔からここに生きていたものはずっとそのままだった。
それから、たくさんの世界を見た。
遠くまで真っ青な海や、雲を越える高い山。
時に、人間の人工物と自然が合体した不思議なものもあった。
おれはそれを見る度に、一緒に来れなかった彼女の笑顔を思い出す。
一緒にいたら、どんなことを言ったのだろう。
どんなふうに笑ったのだろう。その全てを思い出して、おれはふぅと息を吐いた。
今更不思議に思うことがある。
彼女は本当に存在していたのか。
おれの妄想だったのか。それとも、彼女は悲劇のヒロインだったのか。
何度も考えても結局は分からないまま。
でも、確かに、彼女について確かなことがひとつだけある。
彼女はこの世界が大好きだった。
滅びていても、人間の諍いが起きていた場所だとしても、彼女は瞳にこの世界を映していた。
世界は残酷なものだと知りながらも、美しいと綺麗だと素晴らしいものだと信じ続けていた。
だから、大好きな世界に生きる人々はみんな友達なのだと胸を張って言えたのだろう。
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緑色の草原にごろんと転がる。
花の入ったカプセルは隣において、空を仰いだ。
高すぎる空と太陽。青い空、白い雲。
前まで見なかった光景、そして当たり前すぎていた世界。
当たり前だったはずのものも当たり前じゃなくて、そこにあるから大丈夫だと思っていたらいつか消えてしまう。
隣にいた人は当たり前にいる存在じゃなかった。当たり前とは奇跡と同等なんだ、と。
それを、身を以て教えてくれた人がいた。
その人は証明するようにおれの前からいなくなり、おれはそれを痛感した。
そういえば、旅に出ていいものがあったら送ると言った。
自分の寝転がっているところは坂になっていて、その下には花畑が見える。
ここから見ても色とりどりのたくさんのものが見えた。
おれはゆっくりと体起こし、そしてカプセルを小脇に抱えた。それから坂を下る。
花畑は、空から光がその部分だけ当たっているような。
表現するなら、天使の庭だった。
花畑に入るのは申し訳ないような気がしてならず、おれはその場所をただ見ているだけに留めた。
ただ、なにか見えたのだろう。
バラのアーチや噴水、ふたりがけのベンチ。
季節を問わず様々な花が咲く庭。
そして一人の白い女性が花壇の前に佇む姿。
彼女はおれの方を見るとにっこりと笑って、こう言うのだ。
「なにをしていたんです?」と。
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「ひとみ……!!」
おれはそう叫んで、花畑に飛び込んでいた。
けれど、そこから先はなにも見えない。
ふと、足下を見る。おれが持っていた花の入ったカプセルがあった。
さっきまで持っていたものを落としてしまったのだろう。ゆっくりと拾い上げる。
この中の花は、カーネーションという。
彼女が大切にしていた花だ。
カプセルを開けて、花に触れる。
気がつく違和感と共に、切なさが零れた。
これは本物の花じゃない。造花だ。
本物を見たことがない彼女はこれを本当の花だと思い込んでいた。だから世界が見たいと言ったのだろうか。
本物の花がほしくて。
あの庭で感じたこと。本当にあの場所は美しかった。けれど本物ではなかったんだ。
なにもかも。作りものだったんだ。
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おれは無我夢中で花を集めていた。
名前も分からないまま集めて、集め終わった時それは花束になっていた。
それからカプセルをリュックサックの中に仕舞い込み、おれは両手に有り余るほどの大きな花束を持って花畑を歩いた。
風に揺れる花はみな一様に美しい。
あの庭も美しかったが、ここも負けてはいないなと思った。
少し歩いて、そして足を止めた。
ここから先花畑は、続いていなかったからだ。
また別の景色が見える。
星のはしご、白く輝く光と庭。天使の庭。
「ひとみ。」
今度は力強く、彼女の名前を口にした。
花畑の終着地点に花束を置いて、おれは膝をついた。
「おれの友達になってくれてありがとう。
おれは友達いなかったからさ、ひとみが一緒にいてくれて嬉しかったよ。
夏に降る雪…ひとみは知ってたんだよな。おれ自分勝手だったから、その時ひとみに全部をわかってもらおうと思って話たんだよ。
悪かったな。」
目頭が熱くなってくる。ぎゅうと込み上げてくるも思いを堪えながら話を続けた。
「ひとみが初めて街に来たとき、すごく驚いてたよな。それとあの雪が生まれた日の話をした時も。でも、ひとみはなにもかも受け止めてくれた。正直、すごいと思ったよ。」
自分でも不思議なくらいすらすらと言葉が見つかる。いつもなら止まることも多いのに、今のおれは彼女への思いで溢れていた。
「おれさ、ひとみのことが好きだったんだ。
でもそうじゃない。新しい感情がひとみに芽生えた。友情とも似たようだけど違う何か。」
それが分かることはなかったけれど、それでもいい。
「あのまっしろな光が見えたとき本当に助かると思ったよ。まあ、そうじゃなかったけどな。
でも、おれが自分を見失ってひとみは声をかけてくれた。
だから、あの光もあながち間違いじゃない。おれは助けてもらったんだからな。ひとみに。」
それだけじゃなかった。精一杯の感謝を。今まで伝えたくても喉の奥でつっかえていた感謝を。ひとみに。
「ひとみは、悲劇じゃないって言ったよな。
おれもそう思う。これは絶対に悲劇じゃない。
でもな、今でもときどき考える。
人間がいなくなって結果的に世界はいい方に転んだ、よう見える。これが本当の平和なのかもしれない。けどさ。
やっぱり、誰もいない世界でおれひとりが平和になったってなにもいいことないよなって。」
カタチだけの平和と、孤独な平和。
どちらを人間は望むかと言われたら、本当に平和な孤独を選ぶかもしれない。
けれど、孤独というのはあまりにも寂しいものだ。おれはひとみがいなくなってそれが身に染みた。
「おれは、これからどうすればいいかよくわからない。誰にも相談できないし、誰もおれの話を聞いてなんかくれない。孤独ってのはそういうものだよな。
でも、そっちへ行こうとは思わない。
まだ約束を果たせてもいないし、これからももっと世界を回りたいんだ。
そこで、おれは本当の平和の方法を考えることにする。具体的なことはなにも思いつかないけれどきっと世界を見ていれば、なにか変わる。
ひとみとはここでお別れだ。」
カプセルを取り出して、そして造花を花束の隣に置く。
「ありがとうな、おれの旅に付き合ってくれて。今日からはここで友達と遊んでくれ。
でも、おれたちは別れてもずっと友達だ。
それだけは、忘れないでいてくれよ。」
そっと目を閉じる。脳裏に焼き付いたひとみの姿は、きらきらとした笑顔を見せていた。
ひとみの笑顔をよく思い出してから。
おれはそっと目を開いた。
遠くには、続く緑の大地。
振り返るとやはり緑色の大地。
生まれ変わった世界を目の当たりにしながらも、これは奇跡だと言えよう。
ゆっくりと立ち上がる。
感謝はもう伝えた。これ以上、なにも思いつく言葉がないくらいに伝えたいことは全部。
これからはまたひとりの旅。
先が長いことは目に見えている。重々承知でここまでの決意をした。
「大丈夫だよ、約束はちゃんと果たす。
思いついたら…な。」
◆
ありがとうを伝えて。
底知れぬ感謝を。思いを。
最期まで世界を愛した彼女に。
瞳に映していた世界が幸せであるように。
そして、愛した世界が、人々が、全てが、平和で、幸せであるよう願う彼女に。
送りものに花束を。
おわり




