真理子の前世の話
今回はキャサリン役を失敗した真理子の前世を追いたいと思う。
◆ ◆ ◆
『魔法のお姫様☆ロゼアンナ』11話収録後のことだった。
「え…っ!13話でキャサリンの出番…終わり…ですか?」
監督に告げられた残酷な事実。追い打ちがかかる。
「うん、人気がないんだよ、キャサリンはね…」
「…………」
「高飛車お嬢様と云うのは子供たちに受けが悪かったのかもね。君の責任じゃないよ。それじゃ」
(違う…)
涙がポロポロと出てきた。
「私のせいだ…」
そのまま膝から崩れ、床に手を付けて泣きだす真理子だった。
この数日後に13話の収録となるが、キャサリンは主人公ロゼアンナに不甲斐なく敗れて物語からリタイア、その芝居もちゃんとやりとおした真理子を褒めるべきだろう。
ロゼアンナ役の香織は真理子に一瞥もせず、ぶっきらぼうに『お疲れ』と言っただけ。真理子は小さく頭を下げてスタジオから出ていった。
季節は冬、外に出ると冷たい風が心身を冷やした。ジングルベルが聞こえてくるが、クリスマスなど真理子にとってはただバイトが忙しくなる日でしかない。
「堪えるわね…」
キャサリン役は残念な結果となった。それで声優としての村上真理子が全否定されるわけではないものの、おそらくはこの躓きがジュニアのうちに真理子が波に乗れなかった理由の一つであるのかもしれない。
声優は3年目が勝負、この法則に真理子は抗えなかった。所属事務所のイーストNに通いマネージャーたちにボイスサンプルを渡すも、それを聴いてさえもらえない。仕事が全然回ってこない。そんな日々が続いていたころだった。
「真理子、ちょっと俺と一緒に現場行くか」
中山康臣だった。この当時、康臣はイーストNより要請されて講師も兼任していた。事務所に訪れ、途方に暮れている真理子を見つけて誘い出す。
康臣は現在、舞台俳優、主役級の男性声優としても活躍中だ。社用車に真理子を乗せて、収録現場へと向かう。ちなみに康臣が運転している。
「今日は4つ収録がある。何とかモブか端役で真理子を使ってもらえないか頼んでみるつもりだ」
「…………」
俯いたままの真理子、事務所に通いマネージャーたちへ暖簾に腕押しのアピールを続ける日々にいい加減疲れていたのである。そんな真理子に康臣が
「…正也、覚えているか?」
同期の田中正也、稽古熱心だったが採用に至らず、他の事務所に売りこみに行っていると聞いていた。
「あの馬鹿、首を吊ったそうだ」
「……ええッ!?」
「パチンコ依存症で借金を作ってな…」
「正也が…」
信号待ち、2人には会話も無かったが真理子は歯をギリと食いしばり、康臣に以前から言いたかったことをぶつける。
「ヤスさん…」
「ん?」
「どうして同期のみんなを助けてくれなかったの?ヤスさん、元消防士でしょ!?レスキューなんでしょ!」
「…………」
「ヤスさんが事務所に頼めば、採用オーディション再挑戦のチャンスだってもらえたかもしれない!みんな、どんな思いで養成所を去っていったか…!自分がデビュー出来て売れる声優になれたからって同期のみんな置いてけぼりにしてほったらかし!ひどいよ!」
「…信じるも信じないも勝手だがな真理子、俺は助けようとした。真理子の言う通り、俺は元とは云え消防士だ。人を助けるのが生きがいみたいな人間だ。ましてや苦楽を共にした仲間であればなおのことだ」
「…………」
「でもな、あきらめちまった人間を、どうやって助けろと言うんだ?」
「そ、それは…!」
考えも無しにうかつなことを言ったと恥じる真理子。差し伸べられた手を相手が取ろうとしてくれなければ、いかに康臣とてどうしようもないではないか。
「真理子、声優になるに一番大切なものはなんだと思う?」
「…才能じゃないの」
「それも必要だが一番じゃない。一番必要なのは『何が何でもトップ声優になりたい』と云う気持ちだよ」
「…気持ち…」
「そうだ。『もういいや』と思ったら、お終いなんだよ」
「…………」
「俺が今日、真理子に声をかけたのも、あきらめてなかったからだ」
「…あきらめられるなら、とっくにあきらめているよ…」
「…………」
「でもさ…。どうしてもあきらめられないのよ声優…!私には、これしかないんだもん!」
助手席で泣き崩れる真理子の頭に触れて撫でる康臣。
「それでいい。あきらめるなよ」
「ぐしゅ…ヤスさん…。ごめんなさい…」
「さ、涙を拭け。最初の収録は男の子役でねじ込んでみようと思う。できるな?」
「うっ、うん!私、がんばる!」
真理子は康臣のフォローを得て、何とか声優業界に籍を残して地道に活動していく。
康臣を経てセルフプロデュースの能力を上げて、自力でオーディション枠を得ることも出来るようになった。
また、バイト先のマーケットではチーフの役目を任されるほどの立場にもなる。目指す本業が振るわず副業の方で小なりと云え出世するとは皮肉な話である。
時はアッと云う間に過ぎていく。真理子は康臣のフォローを得ても、それを生かしきることがなかなか出来ず、キャサリン以降レギュラーは取れず、ずっとモブと端役であった。
若くてかわいいアイドル声優たちに次々と追い抜かれ、彼女たちに陰で笑われる有様。
それでも真理子はあきらめきれなかった。
そして、真理子にとって人生最大と言える凶報が届く。
『中山康臣病死』
その知らせが記されたメール、愕然としてスマートフォンを落としてしまう。
独りぼっちの東京で唯一、心の父であり兄であった康臣。厳しい師でもあった。
心強い味方になってくれた。仕事も回してくれて、真理子に役を取らせるため現場で頭も下げてくれた。
失敗して泣いた時は頭を撫でて慰めてくれた。支えだった。『真理子、よく頑張ったな』が嬉しかった。
「ヤスさん…」
安アパートの窓の向こうには雷雨の音が響く。その雨音の中、ようやく気付いた。
私は中山康臣を心から愛していたのだと。
「ヤスさ…ん…康臣さああああん!うわあああああああああ!」
泣いた。真理子はこの時、一生分泣いたのだった。
◆ ◆ ◆
「ほう、香織と仲良くなったか」
「スタジオの外でね。収録現場ではお互いガン無視しているけど」
「しかし、知らなかったな。作中で敵役を演じている役者とは一切口をきかないなんて…香織も大したプロじゃないか」
「他人事みたいにヤスさん…。香織、アンタの娘じゃないのよ」
「ああ、早く香織の敵役を演じてみたいな…。あの甘えん坊だった香織が父さんにどんなガン無視をしてくれるやら」
「意地の悪いお父さんねぇ」
イーストN近くのファミリーレストランに康臣、そして生まれ変わった真理子がいる。
人生をやり直せてキャサリン役にリベンジ出来たことは嬉しい。
しかし、それ以上に嬉しいのは康臣との再会だ。本当にいい漢だと会うたびに思う。惚れた弱みだ。
「それにしても、正直キャサリン役は驚いたぞ」
「ん、そう?」
「真理子も人が悪い、あそこまでの実力をどうして隠していたんだよ?」
「女には色々あるの。ヤスさん、不粋だよ」
「何をいっちょ前の女みたいなことを。あはははは」
「いっちょ前の女ですよーだ。ふふっ」
そうこう言っているうちにランチセットが来た。
「おう、来た来た!真理子、遠慮なく食え!おごりだ!」
「ワンコインじゃないのよ。まあ、確かに美味しいけどさ」
康臣とのランチなら、すべてご馳走だと思えてしまう真理子。今さらながら恋する乙女驀進中である。