【外伝】萩原美津子 前編
コメントで美津子のその後が気になるとありまして、そのコメント返しに本来あった通りの最期になるのではないかと書きましたが、何か作者として美津子を救う方法はないかと思い、この作品を書きました。
私は声優になれなかった。芝居は自信ある。ずっと演劇部だったんだし、テレビや映画で名優さんたちの演技を見て勉強して学んできたんだ。
だけど私は悲しいくらいにプレッシャーに弱いの。
オーディションではいつもの演技力を出すことが出来ず落ちてしまった。
もう、どうでもいいや…。
私の故郷は信州の白馬…。実家に帰ったけれど
『高い金を出させておいて、そのざまか』
と言うお父さんの言葉にキレてしまった。お父さんはもしかしたら諦めるな、と言う思いから、あえて心無い言葉を発したのかもしれない。
だけど、家に入るや開口一番でそれを言われ、夢破れて希望も失った私には許せなかった。そのまま白馬駅にUターン、東京に戻った。住むところも無いと云うのに…。
そうだ。真理子のアパートに泊めてもらおう。
そう思って私は真理子がバイトしている、いなほマートへと向かった。
この日はマーケットでマグロ解体ショーが催されていて、真理子が気持ちよくしゃべって司会をしていた。
いいなぁ…。真理子はイーストNの採用オーディションに合格して正式に所属声優となったから…。やっぱり嫉妬してしまう。
バイトを終えた真理子と食事した。一度実家に帰り、父親の言葉にキレて戻ってきたなんて言えなかった。飲めないビールをあおる私を窘める真理子。
「飲みすぎよ美津子…」
あんたはいいよ、オーディションに合格して所属声優になれたんだからっ!
この言葉を発しないだけ自分の理性を褒めたかった。最後は泣きながら
「あきらめたくないんだよ…声優…」
としか言えなかった。真理子は黙って私を見つめていた。泊めてくれとも言えずに。
帰りのバスに乗る。とりあえず一番近い駅に向かうことに。確か駅前のカプセルは女性でも泊まれたはず。真理子が見送ってくれる。私は手を振った。
バスが出ると間もなくバス停から『ガンッ!』と大きな音がして振り返った。
真理子がバス停を力任せに殴ったみたい。え、どうして?
そして何か悔しそうに泣いていた。
養成所で何度も真理子と課題劇を稽古してきた私には、真理子が何を言っているのか分かったわ。唇の動きだけで。こう言っていた。
『何て無力なの、私は』
どういう意味で言ったのだろう。オーディションを落ちた私に何かしてやれないかと思ったのかな…。でも、もういいよ真理子…。私はもう帰る家も無い宿無し女。夢破れた哀れな女なんだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
真理子と別れた私は、その日はカプセルに泊まり、翌日歌舞伎町に。
寮があるキャバクラはすぐに見つかった。
同じ寮のキャバ嬢たちも私と境遇は似たり寄ったり。お互いに過去は訊かない。
中には夢の実現のためにキャバ嬢になった子もいた。パティシエになるんだとか、小説家になるんだとか、うらやましいと思った。私は夢破れて、ただ生活のためにキャバ嬢になったのに…。
風俗嬢になろうかとも思った。半ば自棄になっていた私。体だって売るのに躊躇いはない。お金を貯めて、もう一度声優養成所にチャレンジしようと。
でも、声優になった時、私を買った男が『あの風俗店にいた女だ』と言われるのも何だかね。
こう思った時、私はちょっと笑ってしまった。声優になれた時のことを考えて風俗嬢にならないのかと。私はまだ…あきらめていないんだと。
なんというかね、あの時の真理子の姿、悔しそうに泣いていた顔が忘れられない。
このままあきらめてしまったら…何かあの涙に申し訳ない気がしたの。
と、仕事、仕事!接客に集中しないと!
「「いらっしゃいませー!」」
私の勤めるキャバクラ『ゴールド』にお客さんが来た。
このお客さんが私の人生のターニングポイントを握っているとは想像もしなかったけれど。
「いらっしゃいませ、モモカです」
私はその男性におしぼりを渡しつつ源氏名を名乗った。
「橋本です。よろしく」
歳は三十歳くらいだろうか。しかし歌舞伎町で女の子がつく店に独りで飲みに来るとは、あまり利口ではありませんね。ここがボッタクリ店ならどうするの?まあ、うちは優良店だから良かったね。
しばらく話していると…
「ええと…間違えていたらごめんね。君…もしかしてアロードカンパニーの説明会を受けていた子じゃないか?」
「…えっ」
その通りだ。私は声優養成所のイーストNに行く前に、同じく声優養成所のアロードカンパニーの説明会にも行った。だけど入校はしなかった。何故かと言うと
「あっ、もしかして、あの日に隣だった人?」
「そう!いや、隣が可愛いギャルで嬉しかったから、よく覚えているよ」
「ギャルって歳じゃ…」
そう、たまたま席が隣だった、この人の影響で入校しなかったのだ。
あの説明会はよく覚えている。
同事務所の学院長は多くのアニメで主役級を務めたベテラン中のベテラン声優川本圭介、共演したいと思っていた。だからアロードに入校しようとした。川本学院長に直接指導してもらえるのだから。
だが、あまりにも授業料が高い。月に四万円は痛い。入学金は二十万円以上も取られる。これは軽々しく入校のサインは出来ない。
入校の契約書が説明会を受けに来た者たちに配布された。中にはロクに読みもしないでサインしている子がいたけれど、私はそうはいかない。
何とか父母に頼み込んで学費は出してもらえることになった。大金だ。おいそれとサインは出来ず契約書を熟読していると、隣に座っていたおじさんが
「サインを書いたあとの契約解除、違約金22万円はいくら何でも高い。法的根拠を教えていただきたい」
と言うと担当者は露骨に嫌な顔をした。さらにおじさんは訊ねた。
「それとこの項目、一度支払われた契約料と授業代はいかなることが起きても返却しないという、これの法的根拠も教えて下さい。病気や事故で卒業まで通えない可能性もあるのに金は返さないとはどういうことなのか」
「申し訳ないですが時間が押しています。このあとレッスンやプロデュースについて説明を」
担当者がそれを言うとおじさんは記入していない契約書を机の上に置いた。
「説明責任も果たさず、かつ契約書の記入を急がせるような事業所は信用できない。失礼した」
担当者とおじさんのやり取りを見て、私もそう思った。父母から与えてもらったお金と自分の夢、とてもこんな事務所に託せないと。
「よく覚えています…。でもあの時に橋本さんがああしてくれなかったら私はアロードに入っていたんでしょうね。お金だけ取られて終わりでした」
「川本圭介の名前にすっかり騙されるところだったよ。社長は現在民事訴訟もされているしロクなとこじゃなかったんだな…」
焼酎のおかわりを作った。橋本さんが美味しいと飲んでくれる。
「橋本さん、あの当時は二十七くらいだったと思いますが、正直その御歳で声優を目指すなんて、と思いました」
「イーストNの中山さんなんて四十一歳からのスタートじゃないか。しかも消防士という安定した職業も捨てて」
それはよく知っている。仲間だったんだから。ヤスさん、芝居上手だったな。
「僕も消防士だったんだ…」
「えっ?」
「子供がなりたい職業で上位になる仕事だが、実際はひどいところだよ。パワハラの巣窟、しかも僕は訓練で腰を痛めてしまい現場にも行けなくなり、若い連中に笑われていた。だからもう辞めようと思い、子供のころからなりたかった声優にチャレンジしようと思ったんだ」
「…………」
「芸事の経験ゼロ、元消防士のスキルなんて、まるで役に立たない。考えが甘かったと思ったけれど、どうしてもあきらめられなくてね。一年前、やっと現在の事務所『那由多プロ』に拾ってもらえたんだ」
那由多プロ…!声優を主にプロデュースしている事務所で、かなりの大手だ。三十歳近いおじさんがよく所属できたと思う。
「雑用や運転手もしながら声優をしている。でも、とても声優だけで食べていけないので、ここ歌舞伎町の飲食店で働きながらだよ。で、今日は給料出たから、ここに来たんだ」
「あの…養成所に行かずに直接那由多プロの門を?」
「ああ、そうだよ。ボイスサンプルを収録したUSBメモリを持ってね」
「どういうボイスサンプルを?」
「外郎売だよ。音声じゃなく動画で録った。練習を重ねて活舌も良くし、全文暗記して、しゃべっている様を収録したんだよ」
…それなら私も出来る。外郎売はしゃべることを生業とする者にとって必須のスキルだ。
馬鹿じゃないのか私は…。どうしてそれに気付かなかったんだろう。養成所を経て声優になるという固定観念に振り回されて。
「ええとモモカ…」
「萩原です。萩原美津子」
本名を名乗ったことに橋本さんは少し驚いたようだ。
「萩原さんは現在声優を…」
「…先の中山さんと同期でしたが…私は採用オーディションに落ちてしまって…」
「…………」
「どうしても本番に踏ん張れないのです。プレッシャーに弱くて。オーディションは一発勝負ですから…。今は養成所も退校して無所属です」
「そっか…。僕もオーディション落ちてばかりだよ。でもね」
「え?」
「ミルキス知っているよね」
「ええ、もちろん」
人気アイドルアニメ『ミリオン☆ハート』の主演五人組で結成されたアイドル声優ユニットだ。ヤスさんが主人公紺野梨奈を演じる根岸敦美さんの大ファンなのだ。
「それの新シリーズ『ミリオン☆ハート-虹色のローレライ-』が放映されるんだけど、僕はなんと!そのシリーズのアイドルたちのプロデューサー役を掴んだんだ!」
「ええっ、すごいじゃないですか!」
「うんうん、で…明後日初収録なんだけど…いくら稽古しても何か納得できなくてね。少しお酒が入ってしまったけれど萩原さん、ちょっと稽古に付き合ってくれるかな」
「えっ、今ですか?」
「うん、アイドルをあきらめてしまうヒロイン紗奈を踏みとどまらせるシーンなんだけど、いいかな」
「ええ、私でよければ。返事は全部アドリブでいいですね?」
「うん、じゃ始めるよ。『紗奈、この辞表はどういうつもりだ?』」
『…そのままの意味です。私はアイドルに向いていません』
『少しくらいの挫折がなんだ。君がうちのオーディションを受けた時、あんなに希望に満ちた瞳でトップアイドル目指しますと言っただろう。あれは嘘か』
『嘘なんかじゃ…。でも私もう無理です。オーディション全部落ちて…。プロデューサーの期待に応えられないんです…』
紗奈に自分の気持ちがシンクロしてきた。こみ上げてくるものがある。
『駄目なんです。どうしても緊張のあまりミスをしてしまうんです。稽古でいくら上手に歌えても踊れても意味がありません…。メンバーのみんなにも迷惑をかけて…ううっ』
『かけりゃいいだろう迷惑なんか。仲間なんだ。俺も含めてな』
ついに涙まで出てきてしまった。紗奈と自分が重なる。
『自信満々でオーディションに臨める者なんて、そうはいない。だけど、その緊張を和らげる方法はある』
『それは…?』
『稽古だよ。精神論に聴こえるかもしれないが、それしかない。オーディション、そしてライブに落ち着いた状態で臨めるのは『やれることは全部やった』という自分への信頼だな』
『自分への信頼…』
『もちろん、そこまで稽古するのは大変なことだが紗奈…。俺は君がそれを出来る人間だと思う。あきらめるな』
途中から、もう芝居にならなかった。何か自分に言われている気がした。
自分への信頼、私にはそんなのなかった。そんなことで合格できるわけがない。
ああ、橋本さん困らせちゃったな。私が泣いているものだから、お客にひどいことをされたと思われているかも。でも…涙が止まらない。
私が声優になれなかった理由がはっきりと分かった。ただの稽古不足なんだと。
やっているつもりだった。努力した。でも足らなかったのだ。




