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お星さまと冬の女王

作者: 文音

「こんこん、こんこん」


 広々とした室内に、かわいた咳の音が響きます。


 ここは、春・夏・秋・冬の女王様が交替でお住まいになる塔のなかです。


 今は季節が冬なので、冬の女王様が住んでおられます。


 なのに、どうしたことでしょう?


 女王様のお部屋だというのに、とても寒々としています。


 暖炉にくべられた薪の火も、落ちていました。




 冬の女王様はもう長いこと、床に伏せっておられました。


「ただの風邪だと思っていたのに……。もうどのくらいわたしは眠っていたのかしら?」


 なんてことでしょう。


 冬の女王様は気がついておられないのです。


 ほんとうならもうとっくに、春になっていなければならない時季でしたのに。


「なんて寒いのかしら? はやく春の女王様がいらしてくださる頃になるといいのに」


 冬の女王様はベッドのなかで身ぶるいをしながら、つぶやかれました。


 冬の女王様はごぞんじありませんでした。


 塔の外は激しい吹雪が荒れくるっていて、だれも近づけないでいたのです。



「はしゃぎすぎてしまったのがいけなかったのね。つい夢中になってしまったわ」


 冬の女王様は、なににそんなに夢中になってしまわれたのでしょう?


 風邪をひいて、寝込んでしまわれるほどに?




 それは、とても星のきれいな夜のことでした。


 凍てつくように寒い夜は、いつもよりたくさんの星がとてもきれいに見えるのです。


 女王様は星をもっと近くで見ようと、だいたんにも塔のてっぺんにお登りになりました。


 そこで一晩じゅう、巡る星をながめて過ごされたのです。


 冬の女王様はおひとりで塔にお住まいになるため、とめてくれるひとがおりません。




 夜がしらじらと明ける頃。


「くしょん」


 女王様はくしゃみをひとつ。


「はっくしょん、くしょん」


 続けてくしゃみが。


 鼻水もでてきます。


 女王様のからだは、がたがたと震えだしました。


 夜の間に体がすっかり凍えてしまっていたのです。


 お部屋にもどるには、長いらせん階段をおりていかなければなりません。




 お部屋にたどりついたときには、女王様はくたくたになっていました。


 女王様はベッドに倒れこむと、そのままずっと眠り続けていたのでした。




 長い眠りから目覚めたものの女王様は、ベッドから起き上がることができずにいました。


 ひどくからだがだるいのです。


「暖炉に火をいれたいのだけど、困ったわ」


 女王様はここにひとりで暮らしているので、こんなとき世話をしてくれるひとがいないのです。





 どっかぁぁーん!


 耳をつんざく大きな物音が聞こえてきました。


 ベッドに横たわっていた女王様のからだが、ゆらゆらと揺れました。


 お部屋が揺れていたのです。



 女王様のお部屋のずっと上、塔のてっぺんのほうからです。


 いったい、なにがおきたというのでしょう?





「あいたたた」


 塔のてっぺんだったところでは、ひとりの若者が頭をかかえていました。





 女王様はかくれていたふとんから、そぅっと顔を出しました。


 あたりは、静まりかえっています。


「さっきのあれは、なんだったのかしら?」



 あれきり、なにも聞こえてきません。


 静かすぎて、女王様はだんだん不安になってきました。



「なにがあったのか、たしかめにいったほうがいいかしら?」


 でも塔のてっぺんまでは、とても遠くて寒いのです。


 ぐずぐずと迷っているうちに、女王様は眠りに落ちてしまいました。





 ぱちぱちぱち。


 火の爆ぜる音で、女王様は目をさましました。



 心地よい空気が流れてくるのを、感じます。


 あれほど冷え切っていたお部屋の空気が、あたたまっているのです。


 暖炉には薪がくべられ、炎が赤々と勢いよく揺らめいていました。



 これは、どうしたことでしょう?




 見ると、暖炉の近くの一角が、ほんのりと輝いています。


 炎が照らす色とは違います。


 そこには、大きな長椅子がありました。


 椅子の上になにかがあって、それが暖炉の火をうけて、青白く光っていました。






 女王様は、困ってしまいました。


 なにしろ、久しぶりのお客様です。


 しかも、ただのひとではありません。


 若者は、じぶんは流れ星だと言いました。


 さしもの女王様も、お星さまに会ったことなどありません。


 にわかに信じられない思いもありました。


 けれど、目の前の背の高い若者が発する光は、女王様が焦がれる青く煌めく一等星と同じ色をしています。


 肌の色はよくわかりませんが、深く濃い色をした碧眼はやさしげで、女王様の目にとても好ましく映りました。



「吹雪でなにも見えなくて、塔のてっぺんにぶつかってしまいました」





 女王様はベッドの縁に腰をかけて、若者のはなしを聞いていました。


 立ち上がろうとすると、ふらふらと目眩がしてしまうのです。



「女王様はどうぞ、おやすみになっていてください。ですがお眠りになる前に、わたしがここでやすむことをお許しください」




 塔のてっぺんからこの部屋にたどりつくまで、若者はたくさんの部屋があるのを見てきました。


 けれど、どの部屋の扉も、すべて凍り付いていたと言うのです。


「どうかこの立派な長椅子をひと晩わたしにおかしください。朝になりましたら、もう一度てっぺんへのぼって様子をたしかめてまいります」



 女王様はそれでやっと、今が夜なのだと気がつきました。






 若者は目をみはりました。


 若者は、女王様から教えてもらった食物庫に来ていました。


 ここには秋の恵みが、ところ狭しと蓄えられていたのです。


 やはりというか、すべてかちこちに、凍ってしまっています。



 これらは、秋の女王様に捧げられたものでした。




 赤々と暖炉の火が燃えています。


 昨夜、女王様はぐっすりとやすむことができました。


 立ち上がることもできるようになりました。


 それで今朝は椅子に座って、壊れてしまった塔のてっぺんの状態を、若者から聞くことができました。



「雪はまだひどく降っています。壊れたところは、とてもわたしに直せそうもありません。たいへん申し訳ないことをしました」





 若者は、しばらく女王様のお部屋で、厄介になることになりました。


 吹雪がおさまるまでの間です。





「あなたもどこか、からだが悪いの?」


 あるとき女王様は、若者に声をかけました。


 若者の放つ光が、消えそうになっていたのです。




「じつはお腹がすいているのです。わたしたちは地上に降りたら、食べなくては、力を得ることができないのです」



 女王様は、もうずっと食事をしていませんでした。


 女王様は食べなくても、平気なのです。


 それで女王様は、食事というものを、長い間忘れていました。








 お部屋に、よいにおいがただよっています。


「スープをつくりました。いかがですか?」


 お部屋のテーブルには、ほかにも美味しそうな料理がならんでいます。


 女王様はせっかくなので、いただくことにしました。


 若者が給仕をしてくれて、食事がはじまりました。


 こんなことは、初めての経験です。


 女王様の近くに来ると、皆凍えてしまいます。


 だから、女王様にこんなふうに侍ることのできる者は、これまで誰もいなかったのです。



 そのうちに女王様はじぶんだけ食べているのが、心苦しくなってきました。


「あなたも一緒に、食べましょう」


 親しく、そう声をかけていました。


 若者が、うれしそうに笑いました。



 それからは、ふたりで楽しく、食事をするようになりました。 





 若者は、とても疲れているようでした。


「雪が小止みになってきました。てっぺんのがらくたを片付けに行ってきます」


 時間があると若者は、そう言って出かけてしまうのです。


 見かねた女王様は、若者ををとめようとしました。



 若者は寂しそうに、答えました。


「ほかに、なにもすることがないのです」




 女王様は、塔にいて、なにもしていませんでした。


 女王様のなすべきは冬のあいだ塔にいること、ほかになにもしなくても良かったのです。


 それで女王様は、なにかをするということを、長い間忘れていました。





 若者は目をみはりました。


 若者は女王様から教えてもらった遊戯室に来ていました。


 ここには様々な遊び道具と、ぎっしりと書物のならぶ見上げるほどの本棚が、置いてありました。


 女王様は若者に、ここで好きに過ごすように、と伝えました。




 若者は、チェスの道具を、お部屋に運びこみました。


「ご一緒に、いかがですか?」


 女王様は、困ってしまいました。


 女王様は、遊びかたを知らないのです。


 チェスだけでなく、ほかの遊びもわかりません。


 それで本だけを読んで、過ごしていました。



「わたしも、じつは久しぶりなのです。ルールを説明しますから、やってみませんか?」




 女王様は、呆れてしまいました。


 ルールがよく変わるのです。


 昔やったことがあるという若者の記憶は、いい加減なものでした。



「仲間と旅にでる前は、よくやっていたんですけどね。これは、申し訳ない」


 そう言うものの、悪びれた様子はありません。


 ゲームを最後まで続けます。



 時間があるとチェス盤を持ちだして、女王様をさそってきます。



「旅もそれは楽しかったんですけど。僕たちの旅って絶えず移動してるので、こんなふうにじっくり腰をすえて誰かと向き合ってなにかをする、というのは、さすがにできなかったんです」


 屈託のない笑顔で、そう若者に言われてしまうと、女王様もついおつきあいしてしまいます。





「今度という今度は、だまされないわ。ヒュー。あなたはこの間、この駒はこちらへは進めないと言っていたのではないの? もし進めるというのが正しいルールであるのなら、ヒュー。わたしはあのとき、あなたに勝っていたわ」


「や。そんなに怒らないでください、女王さま。ほんとに今、ちゃんと思いだしたんですって」



 こんな具合で、ゲームより言い争っている時間のほうが長い、なんてことも珍しくありません。


 強引に駒を進めようとする女王様の華奢な手を、止めようとしたヒューの大きな手がつかんでしまうということもありました。


 刹那固まってしまったヒューの様子に、女王様はぎくりとします。


 誰かの体温を感じるのも、直にふれるのも、女王様にとって経験のない出来事でした。


 ヒューは温かい手をしています。


 と同時に感じたじぶんの指先の冷たさに、女王様の顔がこわばりました。


 女王様の指先を、そっと駒からほどいたヒューの手がつつみます。


「ふるえていますね。暖炉の火を強くしましょう。ひざ掛けをお持ちしますか?」


「いいえ。大丈夫」


 ヒューの瞳が、女王様の顔をのぞきこみます。


「それにっ。わたしがじぶんでとってきます」


 離れる気配のないヒューの手をふりきって、女王様が立ち上がろうとしました。


「僕がいきます。女王さまは座っていてください」


 ヒューの手が、席をたとうとした女王様の手を握ってきます。


 女王様のからだが、今度は大きくびくりと震えました。


「ほら。座っていてください。僕は女王さまにお世話になっているんです。僕に気を遣うことなんてありませんよ」


 女王様の胸がちくりとしました。


 なぜだかわかりません。


 ヒューの心遣いをうれしく思うじぶんが、たしかにいます。


 なのにからだはさっきから忙しく震えたり、痛んだり、熱くなってきたり、心もなんだか落ち着きません。


  


 こうして、ふたりで過ごす時間が、増えていきました。





 ヒューは目をみはりました。


 ヒューは女王様から教えてもらった衣裳部屋に来ていました。


 着替えを探しにきたのです。


 ここには、色鮮やかな衣装がたくさんありました。


 ただし、どれも女物です。



 部屋の奥に、ひときわ立派な衣装箱がありました。


 蓋には、お部屋や通路の壁でよく目にする文様がきざまれています。



 この箱に収められた品がどういうものであるか、ヒューはすぐにわかりました。


 ヒューは天空を渡りながら、たくさんの願い事を聞いてきました。


 この贈り物には、祈りがこめられていたのです。



 それらは、冬の女王様に捧げられたものでした。





 ヒューはお部屋にもどると、壁にかかる大きな鏡をみがきあげました。


 鏡はすっかりくもっていたのです。



 そうして、暖炉の火で今はあたたかな鏡の前へ、女王様をいざないます。





 女王様は目をみはりました。


 女王様は初めて、贈り物の衣装を身につけました。


 ヒューが、すすめてくれたのです。



 鏡のなかから、ピンクダイヤの輝く瞳が、女王様を見つめています。


 紫がかった深いブルーのドレスは、滑らかな生地が腰から優美なドレープをつくって広がっています。


 すこし開いた胸元と山形にやや広くとられたウエストにはレースと銀糸で精緻な刺繍がほどこされ、地色のブルーとの対比で豪華さを演出しています。


 女王様のぬけるように白い肌と、ゆるく波打つ銀の髪、つぶらな瞳の色に、それはそれは似合っていました。



 なにより、女王様の目を奪ったのは。



 ティアラと首飾りは、宝石をあしらって、繊細なつくりです。


 ドレスは、たくさんの小さな宝石が、細やかに縫いとめられていました。



 暖炉の火をうけて、さながらお星さまのように輝いています。




「すごい」


 ヒューがつぶやきました。


 女王様はどきりとしました。


 それは、今まさにじぶんの口から、こぼれそうだった言葉でした。


「え?」


 どぎまぎと聞きかえした女王様に、ヒューは一瞬たじろいだ様子を見せました。


 ヒューのからだの周囲の光が、せわしなく瞬いています。


「きれいです。とても素敵だ。女王さま」



 女王様の胸が、蝋燭のあかりがともったように、あたたかくなりました。


 鏡のなかの女王様の頬が、薔薇色に染まってゆきます。


 限りなく赤に近い瞳の色は鮮やかさを増し、唇の色も紅をひいたような艶やかさです。




 女王様は、初めてのことに戸惑ってしまいました。


 今まで、そんなふうに女王様のことを褒めてくれるひとはいませんでした。


 女王様は、いつもひとりだったからです。


 他者の目を気にすることなど、久しくありませんでした。


 女王様は、ヒューに見られていることが、恥ずかしくなってきました。


 



 女王様の肩に、ヒューがみごとな白貂の毛皮のローブをかけてくれました。


 ローブは見た目よりずっと軽くて、ふぅわりとあたたかな感触です。



 女王様は、これらの贈り物をたいそう気に入りました。






 ふたりは塔のてっぺんに来ていました。


 ぽっかりあいた大きな穴の周辺は、瓦礫が片づけられていました。



「雪が止んで、星が見えるようになったんだ」


 ヒューはうれしそうに、夜空を見上げました。




 女王様は思い出しました。


「行ってしまうの?」


 ヒューと交わしたのは、吹雪がおさまるまでの、約束でした。


「そろそろ、次の流れ星の群れがやってくる頃だと思うんだ」


「流れ星の群れ?」


「ああ。ここから飛び立つには、僕だけの力じゃ足りないんだ。だから、仲間にたすけてもらう。もともと僕がいた群れではないけれど、同じ流れ星の仲間だからね」



 女王様には、どういうことかよくわかりません。


「たすけてもらう、って?」


「願いをかけるんだよ。真剣な願い事なら、流れ星たちの耳にとどく。聞こえるんだ。そして、僕らがかなえてあげたいな、って思ったら、その願いはかなうんだって」

 

 女王様はどきりとしました。


「それ、ほんとうなの?」


 女王様のほそい指が、ローブを握りしめます。


「ぼくらは通り過ぎてしまうから、実際にかなったかどうか、この目でたしかめることはできないんだけどね」


 そう笑うヒューのからだは、部屋のなかにいるより、いっそう明るく輝いています。


 その姿を眩しく思いながら、女王様は戸惑っていました。



 ヒューは、大好きな夜空のお星さまたちと、同じ輝きを放っています。


 それこそひと晩じゅう、見入っていることができるくらいに、女王様はお星さまに魅かれています。


 見上げるしかない遠くにではなく、手が届くほどの近くにいて煌めいている姿を今、女王様は見ているのです。


 なのに、うれしくないのです。



「あなたが来てから、まだそんなにたっていないのに? わたし、ヒューが来る前にも、流れ星の群れを見たわ。そうしょっちゅう都合よく、飛んでくるものなのかしら?」


 ヒューがじっと、女王様を見つめました。


「このあたりは眺めがよいので、旅のコースに組みこんでいる流れ星は多いんだ。予定では春の盛りの頃に、僕たちはここを通るはずだった。吹雪だなんて思ってもみなくて」






 女王様は、また寝込んでしまいました。


 今夜は、あの夜のように寒くはありませんでした。


 ローブはとてもあたたかでした。


 ヒューの光は、やさしく女王様のからだをつつんでくれていました。




 なのに、なにがいけなかったのでしょう?




「大丈夫?」


 ヒューがココアを持ってきてくれました。


 女王様は、熱いものが苦手です。



 額にそえられたヒューの手が、今はとても熱いと感じました。


 ココアは、そんなことはありません。


 ヒューが用意してくれるものは、いつもちょうどよい温度にあたためられていました。




「あなたは風邪をひくと、からだが冷えてしまうんだね」


 ぽつりと、ヒューがつぶやきました。




「わたしのそばにいると、寒いでしょう?」


 女王様はくるりと、ヒューに背中を向けました。


 女王様の目からは、涙がこぼれおちそうです。




 女王様は知っていました。


 ひとびとは、誰も女王様に近寄ろうとしませんでした。


 女王様が一歩足を踏み出すだけで、びくりとからだが震えます。


 近づいていくと、吐く息は白くなり、顔は青ざめ、かたかたと小刻みにからだが震えていました。



「そんなにしてまで。来なくてもいいわ」


 それきり、誰も、冬の女王様のいる間は、塔を訪れなくなりました。




 ぱちぱちと、暖炉で薪が燃える音だけが、響いています。


 ヒューがそっと、はみ出ていた女王様の背中に、ふとんをかけ直してくれました。



「あなたのそばは、とてもあたたかいです。女王さま」



 女王様は、それはヒューだから、だと思いました。


 ヒューは、お星さまです。


 きっと、普通のひとなら凍えてしまうような寒さでも、気にならないのでしょう。



「知っていますか? 女王さま。雪は冷たいけど、あたたかくもあるのですよ」



 ヒューの言葉を、じぶんを気遣って言ってくれたのだと、女王様は思いました。





 あくる朝、お部屋に漂うよいにおいで、女王様は目がさめました。


 ヒューのスープのにおいです。


 ヒューがつくるスープは、雪を溶かした水に野菜と干し肉を適当に入れて煮込んだだけの、ごく簡単なものでした。


 一度にたくさんつくるので、二日くらい続けて出てくるうちに少しずつ味が深くなってゆきます。


 素朴な料理は、大地の恵みの力を損なうことなく伝えてきます。


 味わいの微妙な変化も、女王様はこっそり楽しんでいました。





 女王様はそのにおいをかぎながら、ヒューにたずねました。


「ヒュー。外の天気は、今、どうなっていますか?」





 女王様は、気がついてしまいました。



 本当であれば、今がもう春である、ということに。


 なぜ、春の女王様がいらっしゃることができないのか、ということに。


 なぜ、ここに、ヒューがいるのか、ということに。



 あの夜に。


 じぶんがなにを、願ったのか。





 このスープは、新しくこしらえたものでした。


 湯気のたつさらりとした液体が、弱った女王様のからだにしみていきます。



 飲み終えた皿にスプーンをおいて、女王様はごちそうさまの後に一言、ヒューに語りかけました。


「わたしの名前は、コーディリア、というの」


 覚えておいて。 という言葉はのみこみました。





 女王様は、この地の冬を終わらせる、決意をしました。






 今夜は晴れわたっています。


 澄みきった空気がぴんと張っています。


 昨夜、吹雪いていたことなど、まるで嘘のようです。


 ずっとずっと遠くの星まで、見通せる気がします。


 旅立つヒューを見送るには、またとないお天気でした。




「来た」


 ヒューの声に、ぴくりと女王様のからだが震えます。


 見たくはありません。


 でも、目を背けている間に、ヒューが行ってしまうのは、もっとイヤでした。



 女王様は目をこらしました。



 はるか向こうの空から、星々が近づいてくるのがかすかに見えます。


 あんなに大勢の、ヒューの仲間たち。


 仲間たちに囲まれて笑うヒューの姿が、瞼の裏に浮かんできます。



 ヒューのからだが、輝きを増しました。


 伸ばそうとした手を、女王様はぎゅっと握りしめます。


 挫けそうになる気持ちを、懸命にささえていました。



 流れ星の群れは、まだ遠くにいます。


 女王様がその気になれば、吹雪を起こすこともできるのです。



 いいえ。


 女王様が感情をコントロールできなければ、眠っていたときのように、なにが起こるかわかりません。




 いっそ。


 行かないで。 と言えたら、どんなにいいでしょう。





 まっすぐに空を見つめていたヒューが、こちらを向きました。


「ありがとう」


 光につつまれたヒューの表情が、女王様には見えません。


 目には涙がたまっていました。



 もっと、ちゃんと、見ておきたいのに!



 空が明るくなっていきます。


 いったいどれほどの星が流れているのでしょう?


 おびただしい数の星たちが次々と夜空を翔けてゆきます。




 黒々とそびえる山が、森が、塔へと続く林道が、そして塔が。


 一帯が、すべてを覆い隠す雪に反射して、昼間のような明るさにつつまれました。



 女王様の足元も、からだも、光をまとってゆきます。



 眩しくて、ヒューの姿が、見えなくなっていきます。



「ヒュー!」







 女王様は、ちゃんと見送るつもりでいました。


 仲間とともに夜空を翔けてゆくヒューの姿を。






 できませんでした。


 惨めにうずくまって泣いていることしか。


 押し殺していた嗚咽が、だんだん大きくなっていきます。



 ヒューは行ってしまいました。


 もう、彼に心配をかけることもありません。





 今夜。


 彼女が願ったのは。





 急に、あたたかくなりました。


 夜が明けるにはまだ早すぎます。




「泣かないで」




 彼女は、耳を疑いました。



 だって、それは。


 まぎれもない、彼、の声でしたから。



 そして。


 彼女の名前を呼ぶ、彼の声が。




 彼女のからだが、あたたかいものにつつまれました。


 熱い涙が、彼女の心を満たしてゆきます。


 熱くて、熱くて。







 願ったのは。



 彼の幸せ。







「見て。きれーい!」


 少女が指さす先には、巨大な光のカーテンが真っ黒な稜線にかかっています。


 漆黒の空を染めるのは、限りなく赤に近い色が織りなす無数の襞。


 濃く薄く、風のない夜空にたゆたうように波打っています。


「昼間、冬の女王様が塔へお入りになったそうじゃ。お嬢さんたちは、良いときにきなさった」




 昔、この地の冬は、とても厳しいことで知られていました。


 ある年、永遠に春は来ないのではないか、と人々が危惧するほどの長い長い冬の終わりに、突如オーロラが現れました。


 待ちに待った春の到来。


 駆け足で春が過ぎて、季節が巡り、やがて再び冬の足音が聞こえてくるようになると、人々は怖れました。


 いつ終わるともしれない冬を、また迎えるのでは?



 人々の不安は、杞憂に終わりました。



 

 冬の初めに、オーロラが現れました。


 その冬は、極端に冷え込むようなことも、ひどい吹雪が続いて悩まされることもなく、過ぎてゆきました。


 かわりに、美しい星空とオーロラが、銀世界の夜を彩るようになったのです。




 以来、「オーロラの出現する冬は穏やかな冬になる」と、人々はこの神秘的な現象を吉兆として喜ぶようになりました。



 かつてはその寒さで訪れる者を拒んできた冬のこの地に、今ではよその土地からオーロラを見に人々がやってきます。





 そして。


 語られるのは、お星さまと冬の女王さまの。









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