純子
素敵な花たち。
あなたたちは、本当は輝けるの。
今はその準備の為に、少しきつい思いをしているだけ。ほんのすこーしだけ大変な思いをすれば、あなたは誰よりも輝けるの。
だから、夢を見なさい。夢はあなたをもっともーっと、素敵にするはず。
ね? だから、安心して、好きなように夢を見て。
私を信じなさい? 周りのことなんて、なんにも考えなくて良いの。この世界はあなたのためだけにあるんだから。
◇◇◇
夢を見ることを忘れたのは、いつだっただろう。社会人になってから? 恋愛に嫌気が差してから? ……いや、元々夢なんか見ていなかったのかも知れない。
何も考えずに小学校、中学校に通い、その流れで高校に行き、親に言われて大学を受け、県内ではまぁ名の知れたところに入れた。そのままなんとなく、実家から通える会社に勤め、もう10年くらい経つ。
夢なんか、私の人生にはなかった。夢の見方が分からない。夢と妄想は何が違う? 例えば私が大スターになることを夢見れば、それは人にさえ笑われかねない妄想と化するんじゃないの?
でもきっとそれは違う。私には、夢を見る勇気がないだけ。夢を見れば、それが本当になる。
だから、私も少しだけ、幸せな夢を見ようと思う。
それを本当にするために。
◇◇◇
「結婚したいの。私」
「結婚」
コーヒーカップに口を付けようとしていた動きが止まる。
やっぱりちょっと急過ぎただろうか。話の切り出し方というのは、重要な話になればなる程に難しい。
「付き合ってる人もいないの」
「そうなの?」
カップは口を付ける寸前で止まったまま、彼女――祐子さんは私を見上げている。
「だから、お願い!」
ひと呼吸。
「誰か紹介してくれない?」
「紹介、と言われてもねぇ……」
「旦那さんが新しい事業を立ち上げるのにお金が要るんでしょ? 援助するから……お願い!」
手を合わせ、頭を下げる。
悲しいかな、独身の働き蟻は貯金だけは多いのだ。
「そ、そんな、お金なんて良いわよ。……一応、思い当たる人はいるけど……」
「本当?!」
「いるのはいるのよ。でも……」
「お願い出来ないかしら! 本当にお願いよ。この通り!」
机につくくらい頭を下げる。
「ちょ、ちょっと……分かったわよ。分かったから、顔を上げて」
「本当?!」
「本当よ。だから、ボリュームは下げて」
そうだった。ここはカフェ。静かな場所。
「ご、ごめんなさい」
この会話を聞かれていたらと思うと……。顔が熱くなる。
「大丈夫よ。誰も聞いてなんかなかったわ」
相変わらずの可憐な微笑み。女の私でも溜め息が出る程の。
こういう人だから、簡単に結婚なんか出来たのよね。私は違うから。
でも、こういう人に紹介される相手なら、信用出来る。素敵な人だろうと思う。
「じゃ、じゃあ、その……いつ頃……」
「うーん……いつでも良いわよ。純ちゃんが良いときで」
「えっ、うーん、じゃあ……今週の日曜日……明後日とか」
「分かった。じゃ、伝えとくね」
そう言うと祐子さんは、残っていたコーヒーを一気に煽り、「ごちそうさま」と席を立った。
「もう行くの?」
ついつい縋るような視線を送ってしまう。
情けない。でも、彼女の「仕方ないなぁ」とでも言うような微笑みを見ると、情けないなんて思いは消える。
「純ちゃんも、帰って準備しなきゃ。これ、コーヒー代。今日はありがとね」
ぽん、と置かれた千円札。
「ちょ、ちょっと祐子さん」
微笑み、私を一瞥すると、そのまま店を出ていった。
お金なんて、良いのに。私が頼みごとをしているんだから、私が払うべきだったのに。コーヒー1杯ぶんよりも優に多いその紙幣を見つめ、思う。
……今度返そう。倍以上、ううん、もっともっと増やして、旦那さんの事業の援助として。
彼女の喜ぶ顔を想像し、思わず笑みが溢れた。
◇◇◇
「こちらが純子さんで、こちらが俊哉くん」
「は、はじめまして」
「純子さん……よろしくお願いします」
「こ、こちらこそっ」
声が上擦ってしまうのは、恋愛経験の乏しさが原因か……情けない。
「さ、ほら、席について。ふたりとも、コーヒーで良い?」
軽く頷くと、「コーヒーふたつ」と店員さんに言った。綺麗な声。羨ましい。
「純子さん、本当に可愛らしい方なのよ」
「そうなんですか……僕で役不足じゃないかなぁ」
「いえいえそんな、とんでもない!」
顔の前で勢いよく手を振り、否定する。
「それで、俊哉くんは実は元バスケ部なの」
「っ……」
つい、祐子さんの方を見てしまう。
私が言ったことを覚えてくれていたのだろうか。確かに私は彼女に、「バスケ部の男には目がない」と言ったことがある。
「そういうこと。あ、コーヒー来るみたいだし、私は退散するね。ごゆっくり」
さりげない笑顔で手を振ると、そのまま歩いて行ってしまった。
「あ、あの……元バスケ部なんですか?」
「はい。実は1年の頃からレギュラーで……中野南高校なんですけど……知ってます?」
「えっ、それって、バスケの強豪じゃ……」
「そうそう。部員も多いし、練習もキツくてさ……」
祐子さんのおかげで、話題には困らない。素敵な人みたいだし、楽しい時間が過ごせそうだ。
「やっぱりそうなんですね……あの、純粋な疑問なんですけど、突き指したりはしないんですか?」
「あ、それ、あるよー。かなり。痛いってもんじゃなくてさ、もう、涙滲んじゃうもん」
「涙ですか! 見てみたいかも」
「本当? はは、泣かせてみてよ」
「難しい注文ですね~……何したら泣きます?」
「……純子さんがこのまま帰っちゃったら、かな」
「え?」
「あ、ごめん。急過ぎるよね。でも、……運命みたいなもの、感じちゃってさ」
「そ、そんな……」
どうしよう。断るべき? 受けたら、がっついてる女だと思われる? 経験が乏し過ぎて、わからない。
「あ、えっと……もしよかったら、映画、行かない? チケット貰っちゃってさ」
「……行きます!」
あぁ、愛しい。
照れたように笑うこの人が愛しい。
がっついてると思われたって良い。がっついてるんだもん。この人と、離れたくない。
「……ありがとう」
純粋な彼の笑みが眩しい。顔が熱い。
「え、えっと、早く映画行かない? ほら、時間もあれだし」
時計を見ると、もう午後3時を過ぎている。
「あ、そうだよな。よし、行くか」
彼はコーヒーを煽り、立ち上がる。
「手、繋いでも良い?」
「えっ、う、うん」
軽く繋がれた右手は一旦離れ、しっかりと繋がれた。
「れっ、レジ済ませなきゃ」
「もう払ってある。そんなこと気にするな」
「そ、そっか……ごめん」
そういうものなんだ……。繋がれた右手に意識を注ぐまいとした結果が、逆効果になってしまった。
「純子……さん?」
「純子で良いよ」
「……純子、か……照れるな」
空いている手で頭を掻くと、少し前を歩いていた彼は私を振り返った。
「俺のことは、俊哉で」
「と、と……俊哉さん」
「俊哉」
「俊哉、さん……恥ずかしい……です」
「仕方ないなぁ。はい、練習! 俊哉!」
「と、俊哉」
「そう、俊哉!」
「俊哉」
「言えたな」
にやっと笑って、私の手を改めて握る。
とにかく恥ずかしくて、顔が熱くて、耳まで熱くて、私はただ、下を向いて歩いた。胸の奥底が、何か生き物がいるみたいに落ち着かなかった。
これが幸せなんだな、と思った。
◇◇◇
『俺ら、相性良いみたいだな』
照れたように笑う、彼の表情。
そっと頬を撫でる、優しい手つき。
……あぁ、何て幸せなんだろう。
「高城さん、手止まってますよ~」
「す、すみません」
いつもなら卑屈になってしまう状況でも、今なら全然こたえない。だって、私は幸せだから。絶対にぶれない味方がいるから。
文書の打ち込みを再開する。なんだかいつもより早く終わりそうだ。
今日は彼がウチに来る。晩御飯は何を作ろう? ……そういえば、彼の好物を訊くのを忘れていた。
何が好きなんだろう? 帰って訊いてみるのも良いかも知れない。
「何食べたい?」「純子かな」なんて! きゃー!
……ごほん。
落ち着いて。
こんな幸せをくれた祐子さんに、早くお礼しないと。
いくら渡したって足りない。だって、こんなに満ち足りた人生を与えてくれたんだから。
早く仕事を終わらせて、祐子さんに電話しよう。彼とのことを報告したら、きっと喜んでくれるはず。
ついでに、事業のこととか旦那さんのこととか、訊けば良いよね。そうすれば、喜んでもらえるお礼が出来る。
人生ってこんなに素敵。
早く彼女に出会っておけば、なんて無粋なことは思わないけど、でも確かに、今の私の気持ちは、「勝ち組」のそれだった。




