やる時はやります!ー陛下に三行半ー
今まで生きてきた中で、目の前が真っ暗になりそうになる経験って何度あるだろうか。
まさに今、目の前が真っ暗になりかけているリシャラはどこか他人事の様に頭の中でそんな事を考えた。
目の前には自分の夫である、ジェイルーク陛下。
ダリオン国を治める若き王はいつも通り王座の前にいた。
いつもと変わらない光景。
腕の中に抱く女性以外は…。
「もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか…?」
できるだけ平静を装いそう尋ねる。
「リシャラーゼ、其方には本日をもって側妃の座を与える。そしてここにおるマリアンネに王妃の座を与える」
それ以降の事は覚えていない。
気がつけば自室に戻ってきていた。
いや、王妃を降ろされた今では自室だった場所だろうか。
正式にはマリアンネが王妃として婚姻式を結ぶ三ヶ月後までリシャラが王妃ではあったが、そんな事はどちらでも良かった。
「リシャラ様…」
侍女の一人であるアリサが躊躇いがちに声をかけてきた。
「…部屋を…移る準備をお願い。誰か私がどの部屋に移るのか確認の使いをやって」
気丈に振舞っているつもりだったが声はいくらか震えていた。
それでも一刻も早くこの部屋から去りたかった。
リシャラが与えられた部屋は側妃の部屋の一室だった。
王妃の部屋は王の部屋と対になっており部屋の中の扉で繋がっているのに対し、側妃たちの部屋は少し離れた離宮にあった。
「このお部屋はあんまりでございます!!」
アリサが我慢しきれないとばかりに声を上げた。
ジェイルークには側妃が二人いた。
ウィード侯爵家の娘・アナシスとラバウル伯爵家の娘・サシャータである。
アナシスには第二妃の部屋を、サシャータには第三妃の部屋を与えられていた。
そして今回リシャラに与えられたのは第四妃の部屋であった。
あまりにも位を落とした扱いにアリサは納得がいかないようだった。
「ごめんなさいね」
そう謝ると、アリサは驚いた表情をする。
「リシャラ様は何も悪くございませんわ!悪いのはあの憎き男でございますわ」
「それでも…侍女を全て取り上げられてしまったから私の下にはアリサしかいないわ。アリサには負担をかけることになってしまいますわ…」
自分の不甲斐なさの所為でアリサにまで負担をかけてしまうことが申し訳なかった。
「私はリシャラ様にお仕えできるだけで幸せなのです。そんなこと仰らないで下さい」
「…ありがとう」
リシャラは自分と同い年の侍女に感謝した。
アリサはリシャラと幼い頃から一緒に過ごし、ジェイルークとの婚姻の際には自ら名乗りを上げてついて来てくれた心許せる侍女だった。
こじんまりとした部屋は決して悪いものではなかったが先ほどまでの扱いの差を考えると溜息しかでなかった。
マリアンネが王妃になるという話はあっという間に城下にまで広がった。
どうやらマリアンネは地方を任されている子爵家の娘らしい。
たまたま地方巡察をしていたジェイルークが、孤児院で甲斐甲斐しく働くマリアンネに一目惚れしたらしい。
心優しいマリアンネはジェイルークを支えたいと思うようになり二人は相思相愛となった。
貴族といっても身分の低い子爵家では王家と釣り合わないものだがその身分差が二人を更に燃え上がらせた、と言うわけだ。
そんな物語のようなお話がまさか自分の身に降りかかる日がやって来ようとは…。
これが他の国で起こったことであったら素敵なお話ね、と言えたかも知れないが自分がいる国で起こるとなると頭が痛くなる。
「リシャラ様、アナシス様とサシャータ様とのお茶会のお時間が迫っております」
そうだった。
第二妃と第三妃からお茶会のお誘いを受けていたのだった。
その騒動が起きてから初めて会う二人は一体どんな気持ちでいるのであろうか。
「急いで支度をお願い」
「畏まりました」
アリサが選んだドレスは黒を基調としたシンプルなものだった。
首元は黒のレースを使用して他にもレースをふんだんに使うことで黒でも涼しげだ。
中庭に急ぐとアナシスとサシャータは既にいた。
二人はリシャラの姿を見つけると座っている椅子から立ち上がりリシャラを迎えてくれた。
「遅くなりまして申し訳ありません」
「まぁ!リシャラ様、まだお時間にはなっておりませんわ。私どもが早く来過ぎてしまったのですわ。どうぞお座りになってくださいまし」
そういってアナシスはリシャラに一番上座の席を進めた。
「アナシス様…私の現在の立場は第四妃でございます。一番上座に座ることなどできませんわ。どうぞアナシス様がお座りになってください」
その言葉にアナシスとサシャータが顔を見合わせる。
言葉を発したのはサシャータであった。
「私どもはあの女を王妃だとは認めておりません。リシャラ様が第四妃だというのもありえません。ですからどうぞお座りになって」
そう言ってリシャラの背中を押しながら無理矢理上座の席に座らせてしまった。
王妃と側妃は仲が悪いものというイメージがありがちだがアナシスとサシャータとは全くそんなことがなかった。
二人とも望まないのに側妃になった為、リシャラに対して好意的であった。
リシャラがジェイルークに嫁ぐ少し前に側妃になった二人は事あるごとにお茶会など声を掛けてくれていた。
「リシャラ様、陛下の件、大丈夫ですか?」
躊躇いがちにサシャータが声を掛けてきた。
「聞けばあのマリアンネとかいう子爵令嬢と陛下の関係は二年前から始まっていたというじゃないですか。なのにリシャラ様を正妃に迎えいれて今更側妃だなんてーー!!」
続いてアナシスが口を開く。
そう、リシャラが嫁いだのは一年半前。
その前からマリアンネとの関係があったのかと思うと一体自分は何だったのだろうかと思ってしまう。
「元々私はお飾りの王妃でしたの。マリアンネ様の事が分かって何でお飾りなのか納得しましたわ」
「リシャラ様との婚姻は国として大事なものですわ。なのに……」
「お飾りとは…もしや陛下はリシャラ様へのお渡りはなかったのですか?」
お渡りとはジェイルークが夜通ってきていたかということである。
リシャラは首を横に振る。
今更隠しても仕方がない。
「お渡りどころか初夜すらもいらっしゃいませんでしたわ」
当時はどうにかジェイルークと良好な関係を築きたいと色々努力したが報われなかった。
それはマリアンネがいたからか。
「何てこと!」
「それでは正妃の立場がないではないですか!」
二人は口々に言う。
リシャラもジェイルークのマリアンネへの寵愛を否定するつもりはなかった。
側妃に迎えるのであれば何も言わなかったであろう。
しかし正妃という立場を与えるとなると話は別だった。
リシャラとジェイルークの婚姻は幼い頃から決められていた義務であった。
リシャラの立場的にも正妃でないことなどあり得ない。
それなのにジェイルークはそのリシャラを正妃から降ろし、子爵令嬢を正妃に迎えいれるという。
頭の痛くなる話だ。
「そういえば、アナシス様とサシャータ様はもうすぐ実家にお戻りになられるのでしたよね?」
頭の痛くなる話はあまり考えたくない為話題を逸らすことにした。
「そうなの!先月で側妃になって二年になりましたのよ!あと二月で実家に戻ることができますわ」
この国の決まりでは側妃になって二年経っても子を宿すことができなかった場合お暇をいただくという形で側妃を辞めることができる。
大きな声で言えないが、二人とも好きな人がいてその人と引き離されジェイルークの側妃になった為早く実家に戻りたいと常々思っていたようだった。
「嬉しいことにマリアンネ様の婚姻式はみなくて済みますわ」
嬉しそうにアナシスは言う。
「リシャラ様も辞められたらいいのに…」
そう呟くサシャータにリシャラは微笑む。
「それができたら嬉しいのですが...」
例え第四妃になろうと辞めることはできない。
ジェイルークの妃でなくなるのはどちらかが死ぬ時か…もうひとつの考えが頭に浮かび、それを消すように軽く頭を振った。
「あと少し、短い間ですがよろしくお願いいたしますね」
「あら、まるで私達が側妃ではなくなったらそこで関係は終わりみたいな言い方ですわね」
「酷いですわ。私達はリシャラ様とお友達だと思っておりますのに」
そう二人に言われなんだか心が温かくなる。
「こんな、私を友と呼んでいただけるのでしょうか?」
躊躇いがちに聞いてみると満面の笑みで頷く二人に泣きそうになる。
「ですからリシャラ様はマリアンネ様なんかに負けないで下さいまし!」
強気なアナシスの発言に三人は顔を見合わせて笑いあった。
楽しい時間はあっという間に過ぎるもので日が傾き始めてきた頃お茶会はお開きとなった。
アナシスとサシャータが部屋に戻る中、リシャラだけはまだとどまり夕陽をぼんやりと見ていた。
「リシャラ様…」
そっと声を掛けてくるアリサにリシャラは微笑む。
「私、ここにきて初めてお友達というものができましたわ」
嫁ぐにあたり、親しい友人とは全て別れて来た。
そばにいてくれるのはアリサ一人だった。
「でもあと二月でなかなか会えなくなってしまうのはとても残念だわ…」
アリサが何か言おうとしたその時、少し離れた場所から大勢の人の足音が聞こえてきた。
リシャラとアリサは自然と口を塞ぎ足音がする方へ意識をもっていった。
「……に?」
段々と声も聞こえてきた。
男女の声だと判断するやいなや声の主たちがリシャラ達のいる庭園に現れた。
「こっちにお庭があるの?わぁ!素て……」
漸くこちらの存在に気がついたのか黙る声の主はーーマリアンネだった。
マリアンネはジェイルークと何人かの侍女と騎士を従えていた。
怯えた表情をするとジェイルークが肩を自分のそばに寄せた。
確か年齢は18歳だったマリアンネは淡いピンク色のドレスを身につけている為か酷く幼く見えた。
何よりも彼女の着ているドレスは見逃すことができないものであった。
「マリアンネ様。前陛下がお亡くなりになり、喪に服す期間にそのような明るいお召し物を着られるのは如何かと思いますが」
そうーー王族が亡くなった半年間は喪に服すという形で城にいる者は皆、暗い色の服を着る決まりがある。
ちなみに城下では特に強要はされないが自主的に喪に服す者は多かったりする。
まだ前陛下がお亡くなりになって三月しか経っていないのに淡いピンク色のドレスは悪目立ち以外の何物でもない。
アナシスとサシャータもグレーと濃紺のドレスだった。
侍女達は白ではなく灰色に近い物を身につけている。
「す、すみません…ジェイがプレゼントしてくれたので…」
顔を青くしながら聞こえるか聞こえないかの小さな声で謝罪をするマリアンネを庇うようにジェイルークがマリアンネを自分の背に隠した。
「このドレスは余がマリーに贈った物だ。余と会う為に着て何が悪いのだ。其方、口が過ぎるぞ」
「お言葉ですが、マリアンネ様が婚式を挙げられるまでの三月はまだ私が正妃でございます。皆に示しがつかないことを正すのはまだ私の役目でございます」
そういうと目を吊り上げ睨むジェイルーク。
この人は一体いつから私にこの様な眼差しを向けるようになったのだろうか。
幼い頃から知っている8歳離れたこの青年はいつから変わってしまったのだろうか。
自分に向けられる刺さるような視線に気づかない振りをしてリシャラは続ける。
「陛下も政務は終わられたのでしょうか?王の仕事が一日滞るだけで民への影響は計り知れないものになる場合もございます」
「煩い!余に指図するでない。そこの席は余とマリーが使うのだ。其方は部屋に戻れ」
どうやら怒らせてしまったようだ。
怒らせるようなことを言っているので当たり前かもしれないが…。
「仰せのままに。御前失礼致しますわ」
頭を軽く下げ、その場から立ち去る。
楽しかった気分が一気に萎んでしまった気がした。
庭園での一件の後、城内では王妃の座を降ろされた新しい王妃に嫉妬して嫌がらせをしているという噂が瞬く間に広がった。
それでも何事もなかったように過ごしていると今度は食事に毒が入っていてマリアンネが倒れた。
嫉妬に狂ったリシャラの仕業ではないかと言われるようになった。
リシャラの城での居場所はなくなり段々と何もない時は部屋に篭って一日を過ごすようになっていた。
気が付けばアナシスとサシャータが側妃を辞める日が差し迫っていた。
リシャラには最近引っ切り無しに来るようになった実家からの手紙を読んでいた。
「はぁ…」
最近自然と溜息が多くなっている。
もう潮時かもしれない…そう思うことが多くなった。
「ねぇ、アリサ。私はどうすべきなのかしら」
「リシャラ様はご決断されるべきですわ。あの男に対する情はあったとしてもそれは愛情ではございませんでしょ?」
アリサはリシャラの気持ちをよく分かっている。
「そうね…」
アリサはリシャラが心配だった。
いくら飾りの王妃だったとはいえマリアンネが現れてからこの二月の間、心労も祟ったのか華奢な身体が更に痩せてしまっているようだった。
最初の頃は王妃の仕事をしていたが、それも庭園でマリアンネに注意した後から取り上げられてしまった。
それからはマリアンネが当たり前の様にジェイルークの隣に立っている。
その恥知らずな行為にアリサは腹立たしくて仕方なかった。
リシャラの実家もその情報が入っていて一刻も早く帰って来いと毎日の様に手紙が送られてくるのだった。
「それはそうとそろそろアナシス様とサシャータ様にお会いする時間じゃないかしら?」
リシャラにそう言われ時間が差し迫っていることに気がつく。
「あ!申し訳ございません」
慌てるアリサにリシャラは笑う。
「大丈夫よ。今日はアナシス様のお部屋ですもの、そんなに時間はかからないわ」
優しいリシャラ。
なぜ彼女がこのような仕打ちを受けなければいけないのか。
こんな陛下が治める国なんてなくなってしまえばいいのに。
アリサにとってはリシャラが一番の優先事項であった。
「申し訳ございませんでした。アナシス様、サシャータ様にお会いになるのにお召し物を変えましょうか?」
「いいえ、勿体無いからこのままでいいわ。この濃紺のドレスもとっても素敵だわ」
まだ前陛下の喪があけないため暗い色のドレスばかりだが本来リシャラの青みがかったプラチナの髪には青いドレスが一番似合う。
王妃の座から降ろされてもなおこの国のために頑張るリシャラはみたくなかった。
「…お時間ですので参りましょう」
これ以上、リシャラと一緒にいると余計な事を言ってしまいそうだったので話を逸らす。
「えぇそうね」
そう微笑みながら席を立つリシャラにアリサはそっと願う。
リシャラ様が幸せになれますようにーーと。
「いらっしゃいませ、リシャラ様」
アナシスの部屋に行くと出迎えてくれたのはアナシス一人であった。
「ごきげんよう、アナシス様。サシャータ様はまだいらしてないのかしら?」
「少し遅れていらっしゃるみたいだから私達だけで先に始めていましょう」
そう言われ奥の部屋に優雅に連れていかれた。
「どなたかいらっしゃっていたのですか?」
テーブルの上に置きっ放しのティーカップがあることに気付いた。
「あら嫌だわ」
そういうとアナシスはお茶の準備をして来た侍女にティーカップを下げさせそのまま人払いをしてしまった。
アナシス自らお茶の準備をし始め、少しの間沈黙が続いた。
先に沈黙を破ったのはアナシスの方だった。
「…実は…先ほどまで父が来ていましたの」
アナシスの父親といえばウィード侯爵にして宰相を務めている。
王妃の仕事をしている時によく助けてもらっていたが、頭が良く、物事を先まで見る力がある宰相という地位がピッタリの男性であった。
アナシスに初めて会った時もその知的さにウィードの血を感じたものだった。
そんな忙しい宰相がわざわざ娘の部屋に来るのは珍しい。
「やはり娘が側妃を辞めるのは気に入らないとかでしょうか?」
父親としたら一度嫁いだものが出戻ってくるのは外聞が悪いだろう。
それを聞くとアナシスは目を丸くして次に笑いだした。
「違いますわ、リシャラ様。…賭けをしていたのですわ」
「賭け…?」
父娘で賭けとはあまり穏やかな話ではない。
詳しく聞こうとしたところでノックの音がした。
「あら?サシャータ様かしら」
離席して扉の方に向かうアナシス。
暫くしてサシャータを連れて戻ってきた。
「遅くなりまして申し訳ございません」
「いいえ、大丈夫ですわ。それよりもご用事は済んだのですか?」
「そうなんですの!先ほどまで父が来ておりまして…本来であればもっと早く来る予定でしたのに…あぁ!上手く説明できませんわ!」
珍しく要領の得ないサシャータにアナシスが宥める。
「とりあえず何をおっしゃりたいの?」
「ジェイルーク様とマリアンネ様の婚姻式が半月後に早まったそうです。私達が側妃を辞めて実家に戻ってから…すぐですわ」
「どうしてそれを!?」
「父がマリアンネ様のご家族の子爵家を迎えにいく命が下りました」
サシャータの父は騎士をまとめ上げる総監督をしている。
騎士団のトップにいるバウル伯爵が直々に命を受けたということは間違いないのだろう。
「私達が辞するのが三日後。ジェイルーク様は今すぐにでもマリアンネ様を王妃に迎え入れたいようなんですが私達たちの手前できないようで辞してすぐ行うみたいですわ」
実質国のトップ2の娘は蔑ろにできないということだろう。
「ジェイルーク様がマリアンネ様に現を抜かしている間に飢饉が起きそうな地方もあるというのに呑気なものですわね…」
アナシスの呟きにリシャラは伏せていた顔を上げた。
「ご存知でしたの…?」
最近国の南の方で川が氾濫し、田畑が水没し食糧不足が続いているようだった。
「仮にも宰相の娘ですわ。そういった情報も入ってきます」
「私が王妃の仕事さえできていたら…。何度か嘆願書を書いてはいるのですがなかなか」
王妃だった時はジェイルークに頼まなくともある程度対処できたのだが仕事を取られた今では嘆願書を書くことが精一杯だった。
それでも対応されていないということはそれすらも届いていないのか、見て見ぬ振りをされているのであろう。
「流石はリシャラ様ですわね。本当マリアンネ様に見習わせたいですわ」
ここ最近のマリアンネは生家の近くの孤児院へ寄付を続けているという話は聞くもののそれ以外は毎日のように遠出したり宴を催したりしているといった話しか聞かなかった。
「このままでは良くないわ…。アナシス様、サシャータ様」
リシャラは意を決したように二人の名前を呼んだ。
「以前、お二人にお友達と言っていただいてとても嬉しかったです。ですがせっかくですがなかったことにしていただけないでしょうか?」
今後の事を考えた時にもしかしたら二人にも迷惑がかかる可能性がある。
暫く続く沈黙に耐えられなくなりそうになった頃。
口を開いたのはサシャータの方だった。
「もしこの先何かあったとしても私達はリシャラ様とお友達を辞めるということはないですわ」
「もちろんです。女性にはとても生きにくい世ではございますので思い通りに行かないことは多々ございますが私達はリシャラ様について行きたいと思っておりますことだけは覚えておいていただけないでしょうか?」
二人が口々にそう言うと、リシャラは一気に肩の力が抜けた。
「私…本当にお二方にお友達と言っていただいて嬉しかったのですわ…」
アナシスでの部屋でのお茶会が終わり自室に戻ってきたリシャラは溜息を一つつく。
アナシスとサシャータが城から辞するのは三日後。
今の立場的にも見送ることすらできないだろう。
「アリサ、手紙を書く準備をしてくれないかしら?」
リシャラはこれから起こることを正面から向き合う覚悟をした。
それからアナシスとサシャータは城を辞していったがやはり会うことは叶わなかった。
そしてあっという間にジェイルークとマリアンネの婚姻式の日になった。
二人の結婚を祝うかのように雲ひとつない晴れた日だった。
「アリサ、準備を頼めるかしら?」
「もちろんでございます!」
これから二人の婚姻式が始まる。
しかしリシャラの準備は酷くゆっくりだった。
ジェイルークとマリアンネの婚姻式はつつが無く行われていた。
城の中にある大聖堂の前に立つ二人。
マリアンネは濃いピンク色のドレスを身に纏っていた。
「やはりマリーにはこの愛らしい色が一番似合うな」
マリアンネの手を取りながら微笑むジェイルーク。
照れたように微笑むマリアンネ。
二人はまさに幸せの絶頂だった。
この瞬間まではーーー。
ようやくマリアンネを王妃にできることもありジェイルークはここ最近で一番幸せだった。
二年前、孤児院という場所で彼女と出会った時に運命を感じた。
貴族の娘ながら一生懸命働く姿に心打たれた。
しかしジェイルークには幼い頃からの婚約者がいた。
嫌いではないが決して好きというわけでもない。
前々から恋愛することに憧れていたジェイルークはマリアンネに一気に入れ込んだ。
そして問題はたくさんあったが無事マリアンネを王妃にできるのだ。
照れているのか頬をうっすらと染めているマリアンネのなんて可愛いことか!
ジェイルークがマリアンネの姿に見惚れていると突然バタンという扉が開くこの場に相応しくない音が響いた。
マリアンネに視線こそ合わせていたが音の原因を無意識に探る。
邪魔する不届きものは一体誰だ!
やや不機嫌に視線を上げるとそこにいたのはリシャラーゼだった。
その場にいた臣下達はざわざわし出した。
リシャラはスカイブルーのドレスに身をつけ、ただでさえ綺麗な容姿を更に際立たせ下手をするとマリアンネよりも目立っていた。
怒鳴りそうになるのを堪える。
「其方、今がどのような場かわかっているのか」
怒りで声が震える。
しかしリシャラは何事もなかったようにジェイルークを見据える。
「本日はジェイルーク様とマリアンネ様の婚姻式、ですわよね」
当たり前のよう言われると余計に腹が立った。
「何故そのような出で立ちで参った。父王が亡くなってから半年経っていないぞ。其方がマリーに対して言ったことを忘れたか。そもそも我らが式に遅刻などとは側妃としてあるまじき行為。然るべき処遇があると思え」
またしてもざわつく臣下達。
それはそうだろう、然るべき処遇というのは処刑、良くても一生幽閉の身となるであろうことを暗に指している。
王としてマリアンネをー正妃を貶めるような行為をし続けてきたリシャラーゼを許すことはできなかった。
しかし当のリシャラは顔色一つ変えない。
可愛らしく小首を傾げる。
「あら、処遇ですか?それは残念。私、本日はお別れを言いにきましたの」
ジェイルークは一瞬何を言われているのか理解できなかった。
しかしリシャラはその様子を気にも止めることなく続けた。
「私、リシャラーゼ=ユアン=ダリオンは本日よりリシャラーゼ=ユアン=アシュラムになることをここに宣言致します。離縁ですわ、旦那様」
それほど大きな声を出している訳でもないのにリシャラの声はよく通った。
静寂が辺りをつつみ、誰もが口を開くことがなかった。
沈黙を破ったのは一人の騎士だった。
リシャラによって閉められた扉を外より勢いよく開け、膝をつく。
やや後方で膝をつく騎士にリシャラは視線すら向けずにジェイルークから目を離そうとしなかった。
「ご報告させていただきます!アシュラム国より竜騎士が攻めて参りました!数およそ100!」
100だと!?
ジェイルークは一体何が起きたのかわからなかった。
周りの臣下達にも動揺が一気に走る。
竜は古く歴史のあるアシュラム国にしかいない生き物で知能は高く、戦闘能力も高い。
その竜を操る騎士も竜に認められた精鋭の騎士であり、竜騎士が十騎攻めてくるだけで国が一つ滅ぶとも言われている。
その竜騎士が100とは俄かに信じることができなかった。
間を置かずしてアシュラム国の騎士達が数名入ってきた。
姿から竜騎士たちのようだった。
一番前に立っていた若い騎士がジェイルークを見る。
「ジェイルーク=ダリオン陛下とその正妃を名乗るマリアンネ=ダリオン様、あなた方はご自分で何をされたかわかっていらっしゃっていますか?」
「何をしたというのだ!」
「あなた方お二人は本当に幸せになれると思っていたのですか?田舎貴族の娘に王妃が務まると思っておいででしたか?」
騎士の失礼極まりない言い方にジェイルークが何か言おうと口を開きかけたーー。
「失礼じゃありませんか!」
先に声を発したのはマリアンネだった。
「そりゃ確かに私は田舎貴族の娘かもしれませんが、知らない人に王妃が務まらないとか言われたくありません!ジェイと私は愛し合っているんです!大体貴方誰なんですか!?」
若い騎士は口の端をあげた馬鹿にしたような笑みを向けた。
「これは失礼致しました。私の名前はマーヴェラス=シアル=シュトラッセと申します。僭越ながら竜騎士隊長の名を頂戴しております」
マーヴェラス!
アシュラム国代々の貴族の家系でありながら竜騎士になり、功績は数知れず。
数年前、ある国とアシュラム国がいざこざがあった時、マーヴェラスの竜一騎で三日で国をなくしたという。
まさかこんなに若いとはー!
ジェイルークは自分より若いであろう青年に驚愕した。
「誰よ!そんな人知るわけないでしょ!」
マリアンネがなおも言い募ろうとするのを慌てて止めた。
「ダリオン王、貴方は何をしたか分かっておいでですか。我が国とダリオン国は同盟の意を込めてリシャラ様との婚姻が昔より決まっていたはずです。しかしリシャラ様が側妃の扱いを受けるとは我が国を侮辱したのと同じですよ。我が国がダリオンに劣っていると見なされたと判断させていただきました。我が主アシュラム王より必要あればダリオンを滅ぼせとの命を受けております」
淡々と喋るマーヴェラスにジェイルークは恐怖を覚えた。
「誰か!この不届きものを捕まえよ!!」
力の限り叫んだがすぐに動こうとするものは誰一人いなかった。
そこへ静かな、しかし通った声でリシャラが言葉を発した。
「皆様には選ばせてあげましょう。王を廃位するのと、国ごと滅ぼされるのどちらが良いか」
普段見たら卒倒してしまいそうな綺麗な笑みをみせられたが、今はその綺麗な笑みが怖かった。
誰も一言も発せない。
「私は、アシュラム国につかせていただきます」
そう第一声を発したのは宰相ウィード侯爵であった。
「俺もアシュラムにつきます」
続けて騎士団総監督のバウル伯爵。
二人はリシャラへ片膝を付き忠誠を示した。
国の政権を握る実質のトップ2の発言に今度は一気に騒がしくなる。
「ウィード侯爵様、バウル伯爵様…」
リシャラも予想していなかった展開に驚いたようで言葉が続かなかった。
「裏切るのか!!ウィード!バウル!!」
ジェイルークは一瞬何を言われたのかわからなかった様子だったが腹心二人に裏切られたことがわかるとマリアンネから離れ二人の前にでて来た。
「父の政より重宝し続けてやった恩を忘れたのか!恩知らずどもめ!!」
今やジェイルークの怒りの矛先はリシャラ、マーヴェラス、ウィード、バウル全てに向いていた。
「お言葉ですが、私どもは国を良くする為にアシュラムにつくのです。貴方は王の器ではない」
とウィード侯爵。
「陛下、知っていますか?先月東の砦が隣国ゼファラに攻められ陥落しそうになっていたことをーー」
「なっ!」
ジェイルークはそんなこと初めて聞いた。
バウル伯爵は続ける。
「何度も何度も東の砦の危険性をお伝えしていた筈です!もっと強固な体制にして欲しいことも進言していたはずです!リシャラ様が政務に携わっていた頃はまだ良かった。兵士達の士気を上げる為に定期的な食料供給や潤沢な人員を交代で割いていただいた。それも王妃護衛から!自分の身の安全より、東の砦の皆を心配して下さった。しかしリシャラ様が王妃でなくなり、食料供給も人員も減り、そして壊滅状態に陥った。その壊滅状態の東の砦を救ってくれたのはアシュラム国の竜騎士隊長様でした!」
「陛下は先日南地方で川が氾濫し、田畑が水害で食料不足になったのをご存知ですか?」
今度はウィード侯爵。
「仕事を取られたリシャラ様は何度も何度も嘆願書を書いておられたがお読みになられましたかな?水害と食料不足で早く対処しないと伝染病が蔓延する恐れがありました。結局、陛下が何もすることをしない為多くの民が病にかかりました。命に関わる事態になりリシャラ様はアシュラムより医師の派遣や食料を提供する手配をしてくださった」
「そんな事知らぬ!言いがかりもいい加減にしろ!!」
「言いがかりも何も事実です。王とは国民の税によって支えられているのです。国民が窮地に陥っている時に対処しないでマリアンネ様から離れようとせず、マリアンネ様へ贈り物ばかりなさっていた」
「地方の方へ行けば行くほど不満が溜まり爆発寸前です」
「私どもは国を守っていかなければなりません。国の大事に何もしない王などいりません」
二人の話に辺りが騒つく。
「煩い!皆私の命令だけ聞けばいいんだ!誰かこの謀反人たちを残らず捕らえて処刑せよ!!」
ジェイルークは辺りに喚き散らしたが誰一人動こうとする者はいなかった。
「もう諦めたら?お兄様」
不意に聞こえるはずがない声が響いた。
竜騎士達の後ろからでてきた小柄な女性。
「な!なんでユリエルがここに!!」
「お久しぶりです。お兄様」
優雅に挨拶をするユリエルはジェイルークの腹違いの妹でアシュラムの次期王との婚姻を結ぶためにリシャラと交代のようにアシュラムに行っていた。
「それは僕から説明させていただきます」
ユリエルの横にいた、まだ少年とも呼べるような青年が喋り始めた。
「リシュエル=ユアン=アシュラムと申します。姉様の婚姻式には仕事の都合上参列できなかったから、はじめましてですね?」
にっこりと笑うその顔はリシャラとそっくりであった。
「貴方が姉に行った数々の行為をアシュラム王は大変怒ってらっしゃいます。アシュラム王からの名代として伝えさせていただきます。ジェイルーク陛下、貴方には王位をご返上いただきたいと思います」
「な、何を勝手なことをっ!」
「王位はユリエルが継ぎますからご心配なく」
「お兄様はやり過ぎました。国の事を一番に考えなければいけない者が一人の女性にうつつを抜かすとは…嘆かわしい」
「今後については追って伝える。この者たちを連れて行け」
リシュエルが手を挙げると竜騎士数名がジェイルークとマリアンネを取り囲んだ。
アシュラム国とは同盟国だとはいえ、国の大きさを考えても誰も口出しできる者はいなかった。
更に言えばアシュラム国から嫁いできてダリオン国民に真摯に向き合っていたリシャラに対しての扱いに誰もがジェイルークをよく思っていなかったというのも大きかった。
「やめてっ!触らないで!」
竜騎士に腕を掴まれたマリアンネはそれを振り払った。
「貴方たち、一体何なんですか!!ジェイはこの国の王様ですよ!失礼な真似はやめて下さい!王妃だったリシャラ様には申し訳ないと思いますが私たちは愛し合っているんです。それを、それを、なんで貴方たちに邪魔をされなければならないのですか!リシャラ様だって側妃としてお城に残れて贅沢な暮らしができるんですから良いじゃないですか!」
マリアンネの声はよく響いた。
この婚姻式に参列している者は少なからず爵位を持つ貴族たちでありマリアンネの言葉は耳を疑うものだった。
「こんなこともわからない馬鹿なのか」
「え?」
マリアンネはリシュエルの言ったことがよく聞こえなかった。
「愛しあっていれば問題ない?それが許されるのは一握りの者ですよ。王族の婚姻は国が関わること、愛だけで済まされるものではありません。そもそも亡き前王が姉をどうしてもと望んだ婚姻であるものを、側妃を持つだけでもあり得ないのに姉を第四王妃の扱いにするとは…到底許されるものではないんですよ?」
リシュエルは話を続ける。
「贅沢な暮らしができる?姉がアシュラム国息女だということが分かって言っているのですか?姉はこの国に居続ける理由など大したものではない。そもそも城にいるだけで姉も贅沢な暮らしができる、だなんて勘違いをしないでいただきたい。それは国民からの税を無駄遣いしているだけですよ。姉はこの国のお金は一切使っていない。金ばかり使っているのはお前らだけなんですよ」
「そんな…ひどい言い方をしなくても…」
泣き崩れるマリアンネと茫然としているジェイルークを竜騎士達は連れて行こうとした。
その一瞬だった。
ジェイルークが腰に帯剣していた剣を引き抜きリシャラに向かって切り掛かった。
「お前さえいなければぁぁああ!」
リシャラの驚いた顔を見下ろしながら剣をリシャラに振り下ろした。
気がつくと手に持っていた剣が無くなり、マーヴェラスの持つ剣の切っ先がジェイルークの喉元に突きつけられていた。
「殺してはダメよ、マーヴェラス」
「…ですが」
「いいから剣を下ろしなさい」
マーヴェラスは渋々ながら剣を下ろした。
「ジェイルーク様、私は、国のために上手く関係を築いていけたらと思っておりました。ですが貴方のマリアンネ様との行いは許されるものではないところまで来てしまいました。貴方なら、良い国を築けると思いましたのに…残念ですわ」
「リシャラ…!すまなかった!どうか考え直してもらえないだろうか!!」
必死に取り繕うジェイルークにリシャラは冷たい笑みを浮かべた。
「もう手遅れですわ。連れて行って」
リシャラの合図に竜騎士達はジェイルークとマリアンネを無理やり大聖堂から連れ出して行った。
リシャラは連れて行かれる二人を見ながら溜息を一つついた。
漸く終わったのだ。
溜息に目敏く気が付いたマーヴェラスはリシャラに手を差し出した。
「帰りましょう、アシュラムへ」
考えなければいけないことは沢山あるけれど、今は何も考えずにこの手を取りたかった。
リシャラはマーヴェラスの手に自分の手を重ねた。
帰ろうーアシュラムへ。