94 一乗寺問題~その2
一乗谷お寺化計画から五年目になるが、まだ一乗谷は完成には至っていない。だが、ある程度の形式は整った。すでに、北陸最大の多宗派都市の様相を見せ、越前のみならず、近江、若狭、美濃からも信心深い参拝者が増えている。
そんな中での『一乗寺』の名を真言宗から取り上げ、一向宗に渡す命令だ。問題が出ないわけがない。
まあ、オレが裏で糸を引いているんだけどね。
つまり、この真言宗からの問責も想定内の話なわけである。
「まず、この一乗谷の地図を見てください。殿の命令により、一乗寺の名は一向宗に渡されます」
懐から一乗谷の概略図を出し、同時に携帯用の墨と筆を取り出す。
そして、まず筆で一乗谷の入り口付近にある一向宗の寺の横に「一乗寺」と書き込む。何を隠そう、一向宗の最大の寺(真言宗の物よりは小さい)である。もちろん、この寺をココに建てたのもオレです。
「そして、今回の件で殿から二つの許可をいただきました。一つは、当寺の新しい名を自由に決めてよいという許可。もう一つが伽藍堂です」
真言宗の阿闍梨以下高僧達は事態を読めず、オレの話に耳を傾けている。
懐から取り出した白紙に墨で大きく3つの文字を書いた。
『真 乗 寺』
これが一乗谷真言宗最大寺院の新しい寺の名前である。その意味を理解したが阿闍梨の表情は晴れない。当たり前だ。名前を変えたところで、一乗寺のネームバリューを超えるとは思えないのだろう。それについては、オレも同意見だ。
「そして伽藍堂ですが、参道の中央。真乗寺の前に建立されます。これの管理は真言宗にお任せします」
寺が増える事で真言宗の扶持米が増えるのだが、それでも高僧達の表情に変化はない。
「そして、この伽藍堂を『五乗堂』と名付けます」
地図に、伽藍堂の円を書き。そこに五乗堂と書き記す。
「さらに、天台宗の寺の名を変えます。すなわち『三乗寺』」
一向宗一乗寺と五乗堂の間にある天台宗の寺に『三乗寺』と書き記す。
「一乗、三乗、五乗の先にあるのが、一乗谷最大の寺院『真乗寺』にございます」
「…ほう」
最後に、真言宗一乗寺を二重線で消し『真乗寺』と書きかえる。
数の一向衆。実利の天台宗。権威の真言宗である以上、真言宗が何よりも求めるものは権威である。
一乗谷のネームバリューが惜しいなら、その名前の価値を下げればいい。一乗谷にあるから一乗寺ではなく、一,三,五乗の最初の寺だから一乗寺。そんな名前に価値はない。
真言宗は権威によって一乗谷での立場を確立している。ここで一乗寺というネームバリューを失う事は認められない。しかし、それに価値がなくなれば話は変わる。
元々、降ってわいたような寺院だ。歴史のない名前に対する執着も愛着も薄い。
ましてや、一乗谷の二つの派閥の寺を、自分の寺の引き立て役にできるのだ。しかも建立される伽藍堂の利益はそのまま真言宗に入る計算だ。
もちろん、一乗寺の名前を譲ったという“貸し”を前田家に与えた上でだ。
どのみち、実質戦力を持たない一乗谷の唯一の支援者である前田家をないがしろに出来るわけがなかった。ゴネようと最終的には認めざるを得ないのだ。
天台宗にも、新しい伽藍堂の周りに休憩所を作り、その管理を一任する事で、実質的な利益が入るように取り計らっている。
そして、前田家の真の目的。
こんな名前なんてどうでもいい話なのだ。
オレがするべきことは、加賀侵攻の対応だ。
先の加賀対策で、内部崩壊を誘発させれば、織田家に与する一向宗が増える事になる。このまま加賀を侵攻し、一向宗を一乗谷送りにしていけば、一乗谷一向宗の数が増えパワーバランスを崩す可能性があるのだ。つまり力関係が一極集中し、その力を背景に一乗谷の各宗派をまとめて、織田家に反旗をひるがえす可能性だ。
そこで、今回の一乗寺問題となった。
まず一つが、真言宗と一向衆の確執をあおる。
真言宗は、一乗寺の名前を奪った一向宗に敵対心を貯める。一向宗も、せっかくもらった名前を貶めた真言宗に敵対心が貯まる。この二つの問題は、永遠に回復しない。
何せ、問題自体はこれで公式に決着しているからだ。
だが、感情的には収まらない。
それと同時に、一乗谷における前田家の影響力を変える。
それまで、一乗谷はオレの差配で建設が続いていた。いわばオレが一乗谷の全寺院と全宗派の統括をしていた。もちろん、その後ろには越前前田家があったが、扶持米から始まり織田家からの支援、一乗谷の賦役配分と、利益提供者がオレに一括されていた。
一乗谷のすべての宗派はオレを通すことで、様々な物事を推し進めていた。その決定権を持っていたのもオレだから当然だ。
だが、今回の事でオレは一乗谷の絶対支配者の座から転落した。オレの上司である前田家と、一乗谷の実力者であるオレの、二つの権力が争う構図となった。そして、それは同時に宗派間の争いとなる。前田利家と一向衆、三直豊利と真言宗という構図になる。
こうして、二つの宗派は二つの後援者をもって、意思統一を図ることが絶望的になる。
実質的な力を持たない真言宗が、決定権を持たない三直豊利の下に付き。最も力の強い一向宗が、最高権力者前田利家の影響下に入る。
双方が反目しあう限り、後援者を裏切ることはできない。
一乗谷の両宗派は一致団結とは逆ベクトルにアクセル全開で進む事になるのだ。
マッチポンプが超美味しいです。
こうする事で、加賀を併呑して一向宗の勢力が増大しても、双方の宗派が後援者の意図に従って、内部抗争にかかずらっているため、迎合されず。一乗谷での内部抗争が延々と続くわけだ。
その間に、加賀の宗教団体と民衆を切り離し、織田家による民衆支配へと移行させる。民衆へのエサは『四公六民』。それを補うのは復興した越前と加賀南部の生産力だ。
自分の蒔いた火の粉を振り払う一向宗にそれを邪魔する余裕はない。
そして、これで加賀に行った一乗谷出戻り組のハシゴも外された状態だ。なにせ、景勝派は、オレの命令で加賀に行ったわけだから。オレが一向宗を見限ったら後ろ盾が消えてしまう事になる。一応、前田利家の誓書をもらっているので、完全に切れたわけではない。
逆に、景虎派は、前田利家の命令で加賀に戻ったが、物的証拠は何ももらっていない。つまり、完全に前田家の命令という証拠は持っていないが、一乗谷一向衆の後援者としての名分は残る。
両方とも不完全な後ろ盾で、その行く末は、前田加賀守利家様の胸三寸という訳だ。
これで、加賀一向衆に対する攻めと守りの双方でめどが立ったことになる。